「怪獣映画」の傑作、その基準とは?
日本の怪獣映画の原点『ゴジラ』(1954年)が公開されてから、67年。これまでに数多の怪獣映画が世に送り出されてきた。はたして全部で何作品あるのか見当もつかないし、不勉強な筆者が実際に鑑賞したのはその数割にも満たないだろう。ざっくり言ってしまえば「怪獣」という概念が出てきさえすれば怪獣映画と呼べるわけで、良いものもあれば、悪いものもある。ひいき目に見ても玉石混淆なジャンルだ。
ただ、そんな怪獣映画の歴史の中で「長きにわたって語り継がれる奇跡の傑作」という作品が少なからず存在する。興味のない人からすれば、どこが違うの? と言われてしまいそうだが、確かに在るのだ。
では、その傑作の定義とは何だろう?「怪獣がかっこいい」「ストーリーが秀逸」「特撮技術がすごい」「俳優の演技がいい」……など、人によって評価ポイントはさまざまだと思うが、筆者の主観で定義させてもらうならば「フィルム全体にその時代の空気が深く焼きついてしまっているもの」だと思っている。
https://www.instagram.com/p/CHnKQLFJa8S/
前述の『ゴジラ』が、当時まだ生々しく残っていた戦争や原水爆の記憶を投影した作品であることは否定できないし、60年代頃から社会問題化していた公害を超絶ストレートに描いた『ゴジラ対ヘドラ』(1971年)、湾岸戦争前夜の緊迫した中東情勢が透けて見える『ゴジラVSビオランテ』(1989年)、3.11の影響も色濃い『シン・ゴジラ』(2016年)などの作品からは、出来不出来というレベルを超越して「あの頃の、あの感じ」が強烈に匂ってくる。言うなれば、時代の再現装置のような映像作品だとすら感じる。異論もあるだろうが、個人的にはそういう怪獣映画が一番好きだ。
さて、そんな筆者は1981年に生まれ、90年代をまるまるティーンエイジャーとして駆け抜けた世代。その時期を生きた者にとって、語っても語り尽くせない怪獣映画がある。それが1995年から1999年にかけて公開された『平成ガメラ』3部作だ。
ご存知の方も多いだろうが、発表から25年以上を経ても勢いが衰えるどころかファンの熱量は今なお高まっており、繰り返し特集上映や展覧会が企画され続けている『平成ガメラ』3部作。2021年に入ってからも4K HDRドルビーシネマでの再上映が行われ、好調な動員を記録していると聞く。
/
— 【公式】ガメラ55周年+プロジェクト (@gamera_info) October 29, 2020
2020年は、ガメラ生誕55周年❗️
ガメラプロジェクト始動‼️
\
📀「平成ガメラ」3部作 4K HDR UHD 発売🎉
📽️UHD発売記念「ドルビーシネマ」上映🎉
他にも、展示&物販イベント開催やガシャポン販売など
ガメラプロジェクトが目白押し🥳
詳しくは、公式HPまで👇https://t.co/PjUw4pQbKC#ガメラ55 pic.twitter.com/se4wxDJmyo
まあ自分などが今さら書くまでもなく、当時の制作陣の技術と気迫が詰まっためっちゃくちゃおもしろい映画! と語彙力低めな表現でこの原稿を締めてもいいくらい最高な作品なのだが、それにしても、なぜ平成ガメラはここまで長いこと我々の心をとらえて離さないのだろう? というわけで今回は、改めて平成ガメラと90年代を、先ほどの「時代」というキーワードを用いて読み解いていきたい。
平成ガメラ第1作『ガメラ 大怪獣空中決戦』日本史に刻まれた二大惨禍からの影響
まず1995年、この年に日本で何があったか。言うまでもなく2つの大惨禍、阪神・淡路大震災と地下鉄サリン事件だ。当時中2だった自分が暮らしていた地域には、幸い直接の影響はなかった。しかし、社会全体が明らかに動揺し不穏な空気に包まれたあの数ヶ月間は今でも忘れられない。
そんな渦中の3月に公開されたのが、巨大な鳥が人を喰いまくり東京の街が破壊され尽くす『ガメラ 大怪獣空中決戦』(以下『G1』)である。今思えば上映延期されても全く不思議ではない内容だ(実際に作品に関わったスタッフの方から、公開を危ぶむ声もあったと聞いたことがある)が、結果的に映画は予定通り公開された。
かつて1965~1980年にかけて製作された昭和の『ガメラ』シリーズと言えば、“♪ガメラ~、強いぞガメラ!”でおなじみ「ガメラマーチ」、子供から見てもユルめな特撮、子役陣の若干ヘンな演技(失礼)というイメージが強く、それが平成の世に復活したのがまず寝耳に水だった。しかし、蓋を開けてみれば『G1』は徹頭徹尾リアリティを追求した描写で、ギャオスはひたすら怖くて憎く、ガメラは悲壮で果敢、しかも謎めいた出自ときた。中学生になり怪獣映画にやや飽きかけていた筆者も、一気にこの映画の虜になってしまったのを覚えている。
中でも日本テレビの全面協力により、実在の番組キャスターが怪獣報道を行う演出は衝撃的だった。「あの『マジカル頭脳パワー!!』の木村優子アナが“怪獣”って言った!!」という驚きと興奮。その緊迫した語り口は、数ヶ月前に延々テレビで流れ続けた震災報道の姿とダブって聴こえ、劇中の惨劇がただの絵空事だとは思えなかった(ちなみに撮影された時期は震災より前だ)。また、公開直後にオウム真理教による地下鉄サリン事件が発生したこともあり、フィクションとノンフィクションの境目が揺らぐような心持ちもあった。今でも『G1』の記憶は、激動の1995年の記憶と深く結びついてしまっている。
余談だが、日テレと同じ読売系列であるヴェルディ川崎(当時)のサポーター集団が乗った電車が、不幸にもギャオスの餌食になってしまう描写がある。1993年にJリーグが開幕し、一大サッカーブームに沸いていた時期ならではの旬な演出と言えよう。
逆に、1995年頃まで我々の周りになかったものといえば? それはインターネットと携帯電話だ。もちろん存在こそしていたが、インターネットが急速に普及したのはWindows95発売以降の90年代後半。携帯電話もまだ一般層にまで浸透しきってはおらず、中高生はドコモのポケベルに憧れていた。
平成ガメラ第2作『ガメラ2 レギオン襲来』 ケータイの電磁波に引き寄せられる大怪獣
そんな潮目が変わったのが1996年。Yahoo!JAPANがオープンし、「1円PHS」などの登場でネットワークという言葉の概念が様変わりしはじめたこの年に、平成ガメラ第2作『ガメラ2 レギオン襲来』(以下『G2』)が公開された。
『G2』に登場する宇宙からの侵略者・レギオンは、電磁波に引き寄せられる習性を持つ。よって電磁波が過密する大都市を目指し、電波を発する携帯機器を持っている人間を襲うのだ。ほんの数年前までなら理解しがたかった設定だが、当時それは最先端のテクノロジーが及ぼす危機として、新鮮かつリアルな恐怖を我々にもたらした。
作中で、ガメラに関する個人ホームページ(らしきもの)が登場するのも印象的だ。前年に公開された『ゴジラVSデストロイア』(1995年)にもインターネットでゴジラの研究報告を送るという描写はあったが、それはいかにもギーク的な演出だった。一般の人がホームページで情報を検索するという行為が日常的になりつつあったのも、ちょうど1996年頃からだ。
また、『G2』では過去の怪獣映画では例を見ないほど自衛隊が主役級の描かれ方をしているわけだが、現実の自衛隊はそれより数年前、海外派兵をめぐるPKO法案審議で存在の是非が社会的に大きく問われていた。『G2』において、市井の自衛官が“人類を守る”という根本的な命題に直面し最前線で奮闘する姿は、観た人に当時様々な思いを抱かせたのではないだろうか。
『平成ガメラ』と『新世紀エヴァンゲリオン』のシンクロニシティ
ところで、『G1』と同じ年に誕生し、90年代後半のサブカルチャーに多大な影響を及ぼしたアニメ作品と言えば? もちろん『新世紀エヴァンゲリオン』だ。
1995~1996年にオンエアされたTV版『エヴァ』の制作には、平成ガメラの特技監督である樋口真嗣氏や、怪獣デザインを務めた前田真宏氏らが参加していた。両名が『エヴァ』の庵野秀明総監督と自主制作映画時代からの盟友であることは、ファンのよく知るところであろう。
とはいえ両シリーズに直接の関係性はないし、もちろん世界観は全く異なっている。ただ、なんとも言えないシンクロニシティを感じるのは自分だけだろうか? 鉄塔や日本家屋が並ぶ日常風景に未知の巨大生物が突如インサートしてくる絵作りへのこだわり、『G2』での聖書からの引用など具体的な共通点も挙げられるが、個人的にはもっと根底にあるトーンが共通しているように思えてならない。
その要因のひとつには、当時の「特撮」「アニメ」という両ジャンル自体のマンネリズムを打破したいという反骨精神があっただろうと想像する。かたや樋口特技監督、かたや庵野総監督の「俺ならもっとすごいものを作れる!」という鬼気迫るほどの信念。そしてアウトプットこそ違えど、両者の考える「かっこいい映像作品」の価値観が近かったこと。それらがふたつの作品に近い匂いを与えているのではないだろうか(ちなみに庵野氏はガメラの映画制作そのものには関わっていないが、後年「『G1』の初号試写を観たとき涙した」と明かしている)。
#須賀川特撮アーカイブセンター 開館おめでとうございます!
— 【公式】ガメラ55周年+プロジェクト (@gamera_info) November 5, 2020
お祝いに馳せ参じたいのですが、こち亀(もとい「こちとら」)、つるされて、手足(と尻尾)をもがれ、十年ぐらい前から体がカチカチでいつの頃からか身動きがトレマセン。#ガメラ55 イヤーなので、皆さまの前に立てるよう思案中…。 pic.twitter.com/kiF4Z8sn8s
そして、もうひとつの要因に「世紀末」というキーワードを挙げたい。現在の若い世代は存在すら知らないのでは……という懸念もあるが、70年代に一大ブームとなった五島勉の著書「ノストラダムスの大予言」をきっかけとして<1999年7月に人類が滅亡する>という俗説が長年にわたり流布され続けた。我々世代も「ドラえもん」や「ちびまる子ちゃん」、週刊少年マガジンの「MMR マガジンミステリー調査班」などを通じて頻繁にその噂を目にすることになり、学校で「あの予言は本当だ」「いや外れる」と議論することしょっちゅう。はっきり言って、当時「もしかしたら本当に1999年に世界は終わるのかも」と思っていた人も少なくなかったと予想する(筆者も正直、わりとガチで不安だった)。
そしていよいよ90年代が折り返しに差しかかると、この終末的ムードはさらに高まりを見せはじめる。ハリウッドでも『インデペンデンス・デイ』(1996年)、『アルマゲドン』(1998年)、『ディープ・インパクト』(1998年)など人類滅亡がテーマの大作が連発され、前述の震災やオウム事件(この事件自体、予言の影響を受けているという見方もある)等の影響もあって、社会全体に「ひとつの終わりに向かっているかもしれない感」が漂っていた印象があった。
その空気感をもろに作中に落とし込んでいたのが『エヴァ』だ。そもそも架空の大災害以降の世界を描いているだけに、その暗示的な匂いに強く感化されて多数のオタクが生まれたことも、時代性と無関係ではなかっただろう。
平成ガメラ第3作『ガメラ3 邪神<イリス>覚醒』 破壊されるコギャルの街・渋谷
そして1999年に公開された『ガメラ3 邪神〈イリス〉覚醒』(以下『G3』)でも地球規模の怪獣災害が発生するなど、前2作より終末的な演出が際立つようになる。
敵怪獣イリスとガメラを憎む少女が精神感応するスピリチュアルな演出をはじめ、オカルトチックな設定、ガイア理論などが盛り込まれ、世紀末のカオスさに溢れた1作。ラストシーンが<GAMERA 1999>というロゴで締めくくられるのも非常に示唆的だ。
終末感が漂ういっぽう、渋谷を闊歩するコギャルが時代の寵児となり、刹那的な享楽文化が盛り上がったのもこの時期。ストリートカルチャーとオタクカルチャーは二極化していて、はっきり対立構造にあった。
そんな<オタクの敵が巣食う街:渋谷>が徹底的に破壊されまくる阿鼻叫喚の映像も、『G3』の見どころのひとつ。トラウマものの特撮映像に当時劇場で震え上がったが、こっそり快哉を叫んだ人々もたくさんいたとかいないとか。
常に“時代”を映し出してきた怪獣映画
このように、たった4年の間にも社会や文化が(良くも悪くも)大きく移ろった90年代後半の日本を、平成ガメラは1作ごとに映し出していく結果となった。そして自分がいつまでも『平成ガメラ』シリーズを繰り返し観てしまうのは、怪獣を観たい気持ちと同じくらい、「90年代のあの空気をもう一度反芻したい」気持ちが強いのかもしれない、ということにも今回改めて気づかされた。ただのノスタルジーと言えばそれまでだが、あのアンビバレントな時代には今なお惹かれてしまう、どうにも強烈な「匂い」があるのだ。
ファッション、音楽といったカルチャーにも、90年代リバイバルの波が来ている昨今。それは当時、青春を謳歌していた我々世代以外にも、あの独特な匂いを求める人々が多い証左ではないだろうか。そんな90年代ラヴァーの方々にも、ぜひ平成ガメラ3部作を鑑賞しながら“あの感じ”を追体験してみてほしい。
「歌は世につれ、世は歌につれ」なんて言葉があるとおり、文化は常に時代の合わせ鏡のように姿を変えながら発展を遂げてきた。怪獣映画においてもそれは例外ではなく、むしろ怪獣映画こそ何よりも時代を映し出し続けてきたジャンルだと思っている。
だとしたら、2020年代の“この感じ”を焼きつけた怪獣映画が、いずれ観られるのだろうか。そして令和の時代に、もう一度ガメラは復活するだろうか。そんな期待も抱き続けておきたい。
文:ナカムラリョウ