難病モノ? キラキラ恋愛映画? 先入観は禁物!
「Just Another Diamond Day」――劇中、そんな言葉がテロップで表示される。字幕には「ありふれたキラキラの日常」。僕は本作に対して、なんだか“キラキラ映画”と揶揄される日本映画のようだな、なんて感じていたので少しドキッとした。
病を抱えた少女と居場所のない青年との恋愛という設定が、鑑賞前の情報として一番手前にあったから植え付けられた印象だったのだと思う。そして、そんな設定は本当に入り口に過ぎないというか、手前で理解した気になっていた自分自身が浅はかだった、と言うべきだろう。なぜそう感じたのかは追って書きますが、とにかく恥ずかしい限り。穴があったら入りたいとはこのことです。
「2020年の注目すべき監督10人」に選ばれた新鋭の長編デビュー作
『ベイビーティース』はもともと舞台劇だった作品を、米バラエティ誌「2020年 注目すべき10人の監督」にも選出されたシャノン・マーフィが映画化したもの。
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難病を抱えた16歳の女子高生ミラ(エリザ・スカンレン)は、ふとしたキッカケで家族に勘当された孤独な不良青年モーゼス(トビー・ウォレス)と出逢い……という、一体これまで何回こすられた設定なのか? と思ったんですよ、最初は。これはもう間違いなく涙を誘いにきてるじゃないですか、と。なので、あなたたちの思惑通りにはいきませんわと思って鑑賞したんです。結果的に落涙こそしなかったものの、映像作品で表現しないと伝わらないであろう心の機微を映し出そうとしていることに、確かに心が揺さぶられる作品でした。
劇中、薬の副作用で髪が抜け落ちたミラがロングヘアーのウィッグを被って登校するんですが、トイレで鉢合わせた同級生に「ウィッグを試しにつけさせてくれ」って言われるやり取りがあるんです。ミラは一度は断るんですが、結局ウィッグを貸してしまう。そのときのミラの表情は、自分の居場所を盗られたような、ある種の尊厳を失ったような様相なんです。でも、同級生の「貸して」という一言は屈託なく、悪気があるような無いような微妙なニュアンスで。
ミラにとってはその姿をさらけ出すというのは、勇気がいる行為だったはず。日常でも言い方のニュアンスや語気の強弱などで、同じ言葉でも全く異なった意味に捉えられてしまうことがよくあります。そんな無邪気な思いやりの欠如みたいなものが露呈されるこのシーンは、トーンこそ明るいけれど、どこか不穏な空気を漂わせる物語の始まりを特に象徴しているように感じました。
予期せぬ出逢い、日常にある一番ドラマティックなこと
病という自分ではどうすることもできない理由によって生活が制限されたとして、果たして僕は様々なことに折り合いをつけて、それでも自分らしさを失わずに生きていくことができるだろうか? ミュージシャンという不安定な商売にもかかわらず現状、健康的に過ごせている身分としては、容易に想像できるものではない。
そんな状況の中でミラは、モーゼスとの出逢いによって、自分らしくいること、残された時間をどう使うのかということを、確かに自分で選択しているように見える。特にそう感じたのは、バイオリンを習っているシーン。集中力が散漫になったミラに対して、講師がおもむろに流したSudan Archivesで彼女は踊り出す。
音楽に身を委ねて、周りを気にすることなくリズムを取る彼女の姿から感じる、開放感のようなもの。人は人との出逢いによって、こんなにも解き放たれるものなんだなあ。もちろんフィクションではありますが、変化をもたらしてくれるかもしれない出逢いの可能性は、日々の生活のそこかしこに在るのだということも感じさせてくれます。言葉にすると陳腐だけれど、日常にある一番ドラマティックな事象なのだと思わざるを得ないよね、って。
人と人とのコミュニケーションが分断されがちな世の中で、心が荒みがちな方。本作を観賞すれば、コンビニやスーパーで透明なシート越しの対応を余儀なくされている店員さんなどにも、少しは優しくなれるんじゃないでしょうか。対話しているのは紛れもなく自分たちと同じ人間です。ミラやモーゼスのように、不器用でも思いやりを持った人が少しでも増えることを祈って、締めとさせていただきます。
文:巽啓伍(never young beach)
『ベイビーティース』は2021年2月19日(金)より公開