なぜ今“前科者”を描くのか
西川美和監督の最新作『すばらしき世界』(2021年2月11日[木・祝]公開)は、人生の大半を刑務所で過ごした元殺人犯、三上(役所広司)の出所後の人生を描いたもの。佐木隆三のノンフィクション小説「身分帳」(講談社文庫)を現代へと脚色し、モデルとなった男の数奇な生き方を通して、人間の愛おしさと愚かさ、そして社会の既定路線やコミュニティから外れた者の厳しい在りようを浮き彫りにする。
主人公の名は三上正夫。4歳で芸者だった母親と離別し、養護施設などで暮らすが12歳で少年院のお世話に。10代半ばからは暴力団に関わり、たびたび服役。最終的に、ホステス引き抜きの報復に日本刀を持ってやって来た若いヤクザを返り討ちにして殺人罪となった。
出所して再出発を誓う三上のもとに、生き別れた母との感動の再会をクライマックスにした“ドキュメンタリー”番組にしようとテレビマンらがすり寄る。几帳面で情に厚いが、沸き上がった怒りを抑えられない三上の行動は、以後、ディレクターの津乃田(仲野太賀)ら彼を見守る存在を通して描かれていく――。
それにしても西川監督は、なぜ今、前科者を主人公に据えたのか? 本作のテーマはそこに隠されていそうだ。西川監督のインタビューや「身分帳」のあとがきから、紐解いていきたい。
現代エンタメの世界では受け入れられない、退屈かつ切実な物語
西川監督が「身分帳」を映画化したいと思ったのは、2015年。佐木隆三氏が亡くなった際、親交のあった作家の古川薫氏による追悼文に、伊藤整文学賞を受けた「身分帳」が彼の真骨頂だと記しているのを読み、取り寄せて読んだことに端を発する。
ちなみに、佐木隆三さんの作品は、西川監督が映画の世界に入った理由にも関係している。西川監督が学生時代に観て、ものを書く仕事につきたいという夢を持った作品が、テレビドラマ「実録犯罪史シリーズ/恐怖の二十四時間 連続殺人鬼 西口彰の最期」(1991年:中島丈博 脚本、深町幸男 演出)だった。「何が解決されるわけでもなく、希望があるわけでもないのに、泣きたくなるほどの人間を見たような気になった」のだと。ご存じのように今村昌平監督作『復讐するは我にあり』(1979年)と同じ題材であり、原作は佐木隆三氏の同名小説というわけだ。
「身分帳」を読んだ西川監督が驚いたのは、そこに描かれていたのが、いわゆるミステリー的緊迫感ではなく、「ひたすら瑣末で、面倒で、時に馬鹿げてさえ見える“生きていくための手続き”」の数々であったこと。我々が生きる中で最も多くの時間を割かざるを得ない「退屈かつ切実な物語」だった。
恋愛なら結ばれるまで、戦いなら勝敗が決まるまで、ミステリーであれば事件が解決するまでがドラマの核であり、大抵の物語はそこに向かって描かれるわけだが、「身分帳」に綴られるのは、その後の物語。西川監督は「世界中で多くの人はもはや気づき始めている」と語る。
「どう生きるべきか人が本当に迷うのは、大いなる物語や大義を失ったその後だ。目に見えづらい苦境に立たされた中で、分かり合えぬ他者を貶めず、言葉を交わし、とるに足らぬことにでも希望を見つけながら互いの生命を保つ。たったそれだけのことができず、世界は音もなく、容易に壊れてしまう」
それはまさに最近、よく考えることだった。こんなにつらい時代なのに、私たちはなぜ他者を傷つけてしまうのか? と。人の業と言えばそれまでだが、結果、自分自身も傷つく。にもかかわらず止めることができない、人のみじめな部分。そんな葛藤は、カタルシスを得やすい物語が支持されるエンターテインメントの世界では受けない。
だが西川監督は、「現実は、物語を盛り上げるような苛烈さばかりではないし、振り上げた拳を不格好に降ろさずにはいられなくなるような、ほの温かさにも満ちているものだ」とし、「それこそが社会の複雑さであり、生きていくことの難しさと楽しさではないか」と肯定する。そして善悪が誇張された物語を、「無垢で不遇な人間をさらに周囲がいじめるばかりの物語こそ、読み手の感情移入のために成形された古臭い寓話」と一刀両断する。
西川美和が「身分帳」佐木隆三から受け継いだもの
そんな、人の人たる様を描き続けてきた西川監督には、「身分帳」の主人公・三上正夫(小説では山川一という名)は最適なキャラクターに映ったようだ。4年の月日をかけて三上の“かけら”を探し続け、三上を演じる俳優として、役所広司をアサインした。西川監督は、三上を演じる役所についてこう話す。
「いつ声をかけても穏やかで優しいのですが、ふと気づくと隅の方でじっーと何かに集中されている。それはたぶん、私にも他の人にも、誰にも分らないレベルの鍛錬であり自主トレなんだろうと思います。それはちょっと直視できないような、鬼気迫る感じがありました」
西川監督が「身分帳」を映画化しようと強く課したのには、もうひとつ大きな理由があった。「この小説には、一人の元犯罪者の社会復帰の物語とは別に、私たちがもうすぐ完全に証人を失うはずの、日本の戦後史のアウトサイドが綴られている」からだという。
半藤一利さんの訃報が伝えられた際にも皆、感じたことだと思う。私たちは今、“戦争”の記憶を明確に共有しないまま、証人を失おうとしている。「身分帳」に描かれる戦争とは、戦後の急速な経済成長のなかで母親と離別し、社会に顧みられることのない存在として育った男のことだ。ヤクザになるしか生きる術のない子どもたちが、戦争の記憶とともに忘れられていく現在、彼らの生きた時代をすべて再現することができないならば、「この小説をもう一度、人に手に取ってもらうきっかけを作りたい」と西川監督は思ったのだという。「佐木さんを突き動かしてきた動機も、山川(三上)の人生も、やっぱり一顧だにされずに消えていくだけのものだったのかと思うに連れ、そりゃ違うんじゃないか、違うだろ、という煮えるような思いもまた私の中で追って湧き上がってくるのだ」と。
『無頼』(2020年)、『ヤクザと家族 The Family』(2021年)と、このところヤクザを描く映画が続くのは、反社会勢力として封じ込められ、絶対悪となったヤクザにしかなりようがなかった人々のルーツについて、いま一度考える機会が必要だという意志の表れなのだと思う。
異質なものに対するアレルギーと敵意、様々な仕組みからこぼれ落ちていく人々
そんな映画『すばらしき世界』のルックは暗い。出所後の三上が住むキッチンと六畳一間の安アパートは特に。「ライティングは“暗く、暗く”とお願いしました。俳優の微妙な表情はすくってもらいつつ、画面には必ず暗部を存在させて、ちゃんと陰と陽を両立させたかった」と西川監督。撮影は笠松則通。「黒の締まり方が強くて、人間のアダやアクみたいなものが艶っぽく映るところが大好き」だったのだそう。そんな三上の部屋が、ある花とともに柔らかな光で満ちる瞬間がある。このシーンは、4年の間、生きた証を集め、三上と生きた西川監督が、彼に捧げた愛情表現なのだと受け取った。
もうひとつ本作に、今だからこその必然性を感じたことがある。それは、新型コロナウイルスその他の影響でコミュニティを失った人々への視線だ。西川監督が、当初から新型コロナウイルスを予測したわけはないだろう。でも少なからず、様々な仕組みからこぼれ落ちていく人々は意識していたのだと思う。コロナのために、それがさらに顕著になった。
「多様性をうたわれながらも、どこの階層でも似た者同士が似たような世界で集まって、異質なものに対するアレルギーと敵意は増しているようにも感じる」と西川監督は言う。いま、レベルの差こそあれ、その分断はよりはっきりした形で進んでいるように思う。仕事や住まいを失い、それを相談できる行政の窓口の存在にもたどり着かない人々から、三上の入っていた独房を見てスッと心が冷えるのを覚えた、ワンルームマンションで故郷にも帰れずリモートワークに励む人まで。
善人でも悪人でもなく、でもそれらをどうにかしたいと考える多くの人の心にしみるだろう作品。「自分の人生の実感を描く物語」から、視線が「世界や時代、社会へ」とシフトし、不朽の魂を描いた西川監督の新作は、新しさに溢れていた。
取材・文:関口裕子
『すばらしき世界』は2021年2月11日(木・祝)より全国公開