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自主映画界の雄が最新作をひっさげて赤裸々対談!『脳天パラダイス』山本政志と『BOLT』林海象がぶっちゃける!!

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ライター:#中山治美
自主映画界の雄が最新作をひっさげて赤裸々対談!『脳天パラダイス』山本政志と『BOLT』林海象がぶっちゃける!!
左:林海象監督、右:山本政志監督

世界に誇る日本の“自主映画”を牽引してきた山本政志監督(『闇のカーニバル』[1981年]『てなもんやコネクション』[1990年]ほか)と、林海象監督(『夢みるように眠りたい』[1986年]ほか)。共に齢60代となったベテラン監督二人の新作が2020年、相次いで公開された。

山本監督『脳天パラダイス』(2020年11月より公開中)は準備していた別の作品が暗礁に乗り上げ、ならばと放ったぶっ飛びお祭りムービー。一方の林監督『BOLT』(2020年12月より公開中)は別々の企画で撮った3つの短編を繋げ、震災後の日本の風景を描いた技ありの1本だ。

そこで実現した両者の対談。数々の荒波を乗り越えながら変わらぬエネルギーを放つ二人の存在は、コロナ禍で鬱々とした空気が流れる今、多くの人に刺激と活力を与えてくれるのではないだろうか。

左:林海象監督、右:山本政志監督

「海象の経歴を聞いて、自分と同じ匂いを感じたんだ」(山本)

―『脳天パラダイス』と『BOLT』は配給会社も違うのに、お互いの試写会で宣伝し合っていたことに微笑ましさを感じました。しかも林監督いわく『脳天パラダイス』は「見た後に何も残らない映画」だと(笑)。

「本人がそう言ってたから。俺はまだ見てないんですよ」(※対談後に鑑賞)

山本「見てないの!? ひどいな。海象は(教授を務める東北工芸芸術大学のある)山形と(自宅のある)京都と1,400kmの移動を繰り返していて忙しいからなぁ。『BOLT』は、最初のエピソード(メインタイトルにもなっている『BOLT』)のセットといい照明といい、編集のうまさといい、映画の王道のような表現が面白いね」

『BOLT』

「現代美術作家・ヤノベケンジさんの美術のおかげだね。原子力発電所版の、めざせ『U・ボート』(1981年)ですよ」

山本「そういうセンスは自分の中にはないからな。しかし海象は(京都造形芸術大学=現・京都芸術大学の学生と制作した)『彌勒 MIROKU』(2013年)以降、過激になってるね」

「過激かな?」

山本「一時期、『ZIPANG ジパング』(1990年)とか『CAT’S EYE キャッツアイ』(1997年)とかやってたじゃない」

「NHK BSプレミアムでやった江戸川乱歩原作の『黒蜥蜴~BLACK LIZARD~』(2019年)は、そっちの路線。ただ、どうしても大きな作品となると昔ながらの製作システムを使わなきゃならないから、鬱陶しいんですよ。僕は昔から組んでいる仲の良いスタッフとやっているから良いんだけど、大概ヘンなプロデューサーが出てくるし、揉めるし。勝手に作っている方が面白いですよ。学生と一緒に映画の作り方自体を考えているほうがね」

「大島渚さんが“若い監督は、酒飲んで酔っぱらうふりをして評論家を殴れ!”って」(林)

―お二人ともバブル期の華やかな時代を経て、1周回って自主映画に戻ってきたような印象があります。

「ぜんぜん華やかじゃないよ!」

山本「俺、経験してないじゃん」

―いやいや、林監督は永瀬正敏主演「私立探偵 濱マイク」シリーズ(1993年ほか)に、山本監督は福山雅治、深津絵里など芸能事務所アミューズ所属俳優総出演の『アトランタ・ブギ ATLANTA BOOGIE』(1996年)を撮っていますよね。しかも『アトランタ・ブギ~』のプロデューサーは林監督です。

「それ、頼まれたの」

山本「ちょうど(撮影が中断していた)『熊楠 KUMAGUSU』を復活させようという動きがあった時に、海象に“プロデュースを頼む”と。でも、それも8ヶ月ぐらい撮影した頃に中断となってしまった。“じゃあ別のを撮ろう”と、出まかせでアトランタ五輪に対抗して“町内運動会をやろう”と企画したのが『アトランタ・ブギ~』」

「実は『熊楠~』も、最初からプロデュースを頼まれていたんです。でも予算が大きかったので僕にはできないと断ったら、Mというプロデューサーが出てきて(金銭面などで)映画製作自体がダメになってしまった。その責任を感じて『アトランタ・ブギ~』のプロデューサーを引き受けたの。ただ『アトランタ・ブギ~』の予算は、そんなに大きな額じゃない。その頃、僕が横浜で映画を撮ってたから、そこでならいろんな人脈やコネを使って予算内で何とか撮れると思ったんですよね」

―そんなお二人の、そもそもの出会いは?

「僕のデビュー作『夢みるように眠りたい』の頃に、何かの企画で対談したのが最初。その頃、僕は“映画監督は全部敵だ”ぐらいに思っていたんだけど、山本さんが“そんなことないよ。良い人も多いよ”って、石井總亙(現・石井岳龍)さんなどを紹介してくれた。山本さんは、僕の頑なな心を壊してくれたの。今も映画監督の友達は山本さんくらい」

山本「海象にそれまでの経歴を聞いたら、色々と渡り歩いてきたことが分かった。自分と同じ匂いを感じたんだね」

「その流れで日本映画監督協会にも所属することになって。当時は大島(渚)さん、深作(欣二)さん、若松(孝二)さんがいたわけですよ」(※現在は2人とも日本映画監督協会を退会)

山本「面白かったねぇ」

「日本映画監督協会がパーティーを開いた時はすごかったですよ。大島さんが俺ら若手を前にして言うわけです。“招待客には失礼のないように。そして若い監督は、酒飲んで酔っぱらうふりをして評論家を殴れ!”って。あいつら、日頃好き勝手書いているから殴って良いと言うわけです。勅令ですよ。マジでカッコいいと思った」

山本「若松さんもめちゃくちゃな人だったな。『スリー☆ポイント』(2011年)公開時に宣伝のアドバイスを頂こうと連絡したら、金の話しかしないんだよ」

「いつも電話での第一声が“儲かってるか?”だったからね。儲かってるワケないじゃん」

山本「上がそれだったから、俺らは楽だった」

山本政志監督

「元五輪メダリストのベン・ジョンソンに声をかけたら、本当に出演してくれることになっちゃった」(林)

「しかし『アトランタ・ブギ~』の時は、俺らもめちゃくちゃ喧嘩したね。お互い正直だから」

山本「普通だったら二度とやらないくらいの喧嘩だったけどね」

―原因は?

山本「あらゆることで(笑)」

山本「プロデューサーは色々と管理しなければならないけど、俺は“これやりたい、あれやりたい”となるから」

「撮影は楽しかったけどね。(元陸上の五輪アメリカ代表選手でドーピングでメダルを剥奪された)ベン・ジョンソンまで出てる。声をかけたら本当に来ちゃった」

山本「来日初日に、疲れているだろうからってホルモン焼き屋に連れて行ったの。ガーっと換気扇が回ってる真下の席が彼になっちゃって、煙が直撃して涙目になってるんだよ。それを俺たちは勘違いして“映画出演をそんなに喜んでくれているのか!”って感激してた(笑)。打ち上げも、横浜のフツーの中華料理店が会場だったんだけど、そこに彼はタキシードで来て。笑っちゃった」

「クロージング・パーティーだって説明してたからね(笑)。良い人だったね」

―相当なギャラを提示したのですか?

「100万円、キャッシュで。でもね、伝説のロケットスタートは凄かったですよ。速すぎるから、100メートル走ったらゴールして止まるまでにもう100メートル必要だって言うの。でも、そこまでコースは延ばせない。仕方ないから50メートルだけ延ばして、あとはマットを用意してそこに当たってもらうようにしたんだけど、“ヨーイ、スタート!”って言った瞬間に、もう半分ぐらい他の人より先に行っちゃってるの。一緒に走る人もエキストラではなく、現役の陸上選手を揃えたんですけどね」

山本「最初は一緒に走る人も“監督、マジでやっちゃって良いですか?”とか威勢がよかったんだけどね(笑)。でも全然、彼には敵わないんだよ」

アトランタ・ブギ [VHS]

「今は“身の回りのことを撮りました”みたいなものが多いじゃん。身の回りに火をつけろ! って感じだよね」(山本)

―山本監督の新作『脳天パラダイス』は、『アトランタ・ブギ~』と同じ無国籍感を感じます。現在はコンビニやファストフード店で働いている外国の方も多いですし、街中で見かけることも増えました。それなのに、日本映画の日常の風景には相変わらず日本人ばかり。それに対してお二人の作品には早くから様々な人種の方が出演していたし、合作映画も軽々と実現させていました。お二人が企画に関わっている『アジアン・ビート』シリーズなどは、日本・シンガポール ・タイ・マレーシア・台湾・香港の6カ国によるプロジェクトです。

山本「大したことはやってないけどね」

「無国籍性は山本さんの後追いだったけど、(時代が)早過ぎたね」

山本「アジアに関しては同時期に出て行ったのかな。海象はエドワード・ヤンのチームと、俺はホウ・シャオシェンのグループと仲が良かった」

『脳天パラダイス』

「当時の台湾って、ヤクザと警察が一緒に大宴会しているような時代だったから凄かった。ジョッキに紹興酒を注いで乾杯してるんですよ。俺なんて、知らずに彼らの宴会に参加していたら、いつの間にかヤクザと兄弟杯を交わしていて。もう危ない危ない」

山本「めちゃくちゃなんだよね。ヤクザみたいなプロデューサーもいっぱいいたし」

「でも今は、合作映画となるとビジネスの香りがあるけど、自分たちはないのよ。ただ面白いからやってるだけ。地平線を広げようっていう考えでやってたワケ」

山本「日本のガチガチな映画システムの中で撮る苦悩に比べたら、外国で撮った方が作りやすかったしね」

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―その後、先にもお話されていたように山本監督は『熊楠 KUMAGUSU』の製作中断、林監督は京都造形芸術大学や東北芸術工科大学での後進の指導などで多忙となります。映画製作のモチベーションが下がることはありませんでしたか?

山本「やっぱり『熊楠~』が詰まった時は、キツかった。全身全霊を込めて映画を作るのは『熊楠~』しかないと思ってたから。だから中止になった時は気分を変えて、一度、違うことをやってみようと。それで『アトランタ・ブギ~』をやって、数ヶ月後には(二度目の中止後)『ジャンクフード』(1998年)と、立て続けに撮った」

「『ジャンクフード』は傑作ですよ。俺が(製作に)入ってないと、良い! 山本さんは脚本が上手いからね。真面目なんだよ。でも、それを映像化する時に壊すんだよな。あれは照れ隠しなの?」

山本「だね(苦笑)。きっちり型にハマっているのがイヤで、壊したくなっちゃうんだよね」

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「俺はね……もうモチベーション下がりっぱなしですよ。だから学生と一緒に映画を作ることが、最近見つけた面白い遊び方なんですよ、きっと」

山本「それにしても、今は映画学校が増えたね。(映画界に入る)入り口はいっぱいある。だからどうした? って話だけど」

「山本さんも<シネマインパクト>(実践型映画塾)をやってるじゃない」

山本「俺も教育界に行こうと思ってね」

「どこにも呼ばれないから(笑)」

山本「(『熊楠~』の演出補で、現・東京藝術大学教授の)諏訪(敦彦)にも真顔で言われたよ。“山本さんは(大学に)呼ばないですよ”って。なんだよ、それ!」

「俺も大概の映画監督を(東北芸術工科大などに)呼んだけど、山本さんは呼ばない。自分も(既存の教育を)破壊してるけど、山本さんはさらに破壊する恐れがあるんでね。でも、山本さんが新しい学校を作ったら面白いかも。その起爆力で」

山本「やっぱり映画の技術ばっかり教えてもね。技術は後々ついてくることが多いから。もっと根っこの部分が大事。今は“身の回りのことを撮りました”みたいなものが多いじゃん。身の回りに火をつけろ! って感じだよね」

「映画ってさ、普通の社会でやっちゃいけないことをやるのが面白いんであって。車を爆破したり、そういうのがかっこいいと思っていたし、それが映画。夢の実現なんですよ」

「ハンセン病の映画も撮りたい。ただし、全力を使うことになる」(林)

―そんなお二人が今後、描きたいものは?

「2021年はオリンピックがある(予定)から、“殺し屋のオリンピック”をやりたい。殺し合うだけ! みたいな。まあ、宍戸錠さん主演の『殺しの烙印』(1967年)のリメイクなんだけど」

山本「面白そうじゃん」

「5人しか出ないんだけどね」

山本「もっと出せよ、オリンピックなんだから。俺はさらにディープなものをやりたい。ヤクザ映画も撮ってみたい。でも組組織自体は嫌いなんだよな」

「それだと結局、サラリーマン組織と同じだからね。だから深作さんの『仁義の墓場』(1975年)は傑作中の傑作なんですよ。規格外すぎて、ヤクザにもなれない男の話」

山本「深作映画のベスト1だな」

「それからハンセン病の映画も撮りたい。戦前・戦中・戦後と彼らは90年間、療養所から外の社会に出られなかった。資料を読んでたら、勝手に涙が落ちてるんだよ。泣かない俺がだよ? びっくりした」

山本「でも本当に、つい最近まであった事実だからね。それはやった方がいいよ」

「ただし、全力を使うことになるな」

―安心しました。林監督は『BOLT』が最後の映画になるかもしれないとおっしゃっていたので。

山本「しょっちゅう言ってるんだよ、それ(笑)」

左:林海象監督、右:山本政志監督

取材・文:中山治美

山本政志監督『脳天パラダイス』は横浜シネマ・ジャック&ベティ、シネマテークたかさきほか全国順次公開中、林海象監督『BOLT』はテアトル新宿ほか全国公開中、デジタルリマスター版『夢みるように眠りたい』は2020年12月19日(土)よりユーロスペースにて公開

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