約56万人ものユダヤ人がナチス・ドイツによって殺害された第二次世界大戦が終わると、ソビエト連邦の強い影響下、社会主義国家への道を歩み始めたハンガリー。人々の多くが戦争で受けた傷を癒す間もなく、今度はスターリン率いる社会主義が台頭していったのだ。『この世界に残されて』は、そんなハンガリーに生きる、家族をホロコーストで失った少女と中年医師の、絶望と希望の物語。
米アカデミー賞国際長編映画賞のショートリストにも選出された『この世界に残されて』について、バルナバーシュ・トート監督にうかがった。
「キューブリックの『ロリータ』的な関係ではない(笑)、友情のような愛情の物語に惹かれます」
―ある舞台の俳優として、本作の原作者で精神科医のジュジャ・F・ヴァールコニと知り合い、いつか彼女のこの小説を映画化しようと決めたそうですね。まず、なぜその小説を映画化しようと思ったのかお聞かせください。
理由は2つあります。まずは小説が、ホロコーストのもたらしたものと、それを生き延びた人々が紡ぐ美しい物語だったことです。ホロコーストでは想像を絶する大量殺戮が行われ、子ども、科学者、アーティスト、工場主などが皆、ユダヤ人であるだけで殺戮されました。我々ハンガリー人の多くが持つ、つらい記憶です。だからこそ、それを生き延びた人々の映画を作りたいと思いました。守る者を得たことでトラウマを乗り越えていく、この物語を映画にしたいと。
もうひとつは、僕が10代の少女と大人の男性の友情物語に惹かれていたからです。映画でいえばリュック・ベッソンの『レオン』(1994年)や、ベルトラン・ブリエの『Beau-père(原題)』(1981年)、『足ながおじさん』(1955年)といった作品。性的な関係ではなく、友情のような愛情。ともかくスタンリー・キューブリックの『ロリータ』(1961年)的な関係ではない(笑)物語に惹かれています。日本にも、年嵩で裕福な男性が若い女性を心から愛しているテレビアニメ作品がありましたよね。
「“理性で一線を超えない”ことを描写するのは一つの挑戦でした」
―『この世界に残されて』では、ホロコーストで家族を喪った知的な少女クララと、妻と息子を喪った婦人科の医師アルドの、娘と父親とも、友情とも、それ以上ともつかぬ、すごく曖昧な関係を描いています。そのあたりの表現を、映画的にどう描こうとされたのでしょう?
クララとアルドは、性的な関係ではありません。それはアルドが紳士、かつ人間だから。もちろん誘惑に戸惑うことはありますが、それには負けない。大人の男性とはイノセンスを都合よく利用したり、搾取したりしないものだから。逆にクララは、全ての意味でアルドを愛しています。でもアルドは、彼女が“愛”の意味をまだ理解していないのを知っている。だから一時の感情に流されないのです。
本作を作るにあたり、“理性で一線を超えない”ことを描写するのは一つの挑戦でした。お互いをリスペクトしていることをどう表現し、どのように押し留まらせるのか。その意味において、原作は少し矛盾しているんです。
小説のなかのアルドは、動物的本能でやった行為で、彼女に性教育をし、自分が死んでしまったら彼氏にこういうことを求めていいんだよと教える。でも、これを映像で見せたら作品が壊れてしまうと考え、主に彼女のほうから火遊びのようなハグをする表現を取りました。ただ撮影時はまだ自信がなく、いろいろなバージョンを撮らせてもらいました(笑)。
「僕の家族は“そのシステム”に苦しんではいませんが、理不尽に異を唱えることはできなかった」
―この物語は、監督が生まれる前、第二次大戦直後の出来事を描いています。この物語の背景にある時代を、ご家族から聞く、学校で学ぶなど、監督はどのように知ったのですか?
家庭で話すことはありませんでした。ただタブーだったわけではなく、うちはユダヤ系ではないので、直接体験した家族がいなかったからだと思います。逆にユダヤ系の家庭のほうがタブーにしていたと聞きます。原作者のジュジャも、収容所で30名くらい家族を亡くされたそうですが、家庭では一切話すことがなかったそうです。子どもたちは、親たちが声をひそめるし、違う部屋に行って話すし、「あの事件が」「あの悲劇が」という言い方をするので、何か大きな秘密を抱えていると気づいていたそうですが。それもとても恐いものである、と感じていたそうです。
僕の家庭の話題は、もっぱら社会主義についてでした。父方、母方とも祖父母は共産党員で、父も1989年にハンガリーが民主化するまで共産主義者でしたが、望んで党員になったのではなく、映画でも描かれるようにスターリンの影響下、当時の共産主義の管理が徐々に厳しくなって、やむを得ずだったようです。僕の家族は、そのシステムに苦しんではいませんが、理不尽に異を唱えることはできなかったと言っていました。党員でなければ政治的迫害を受ける可能性があり、家族は仕方なくとはいえ迫害するほうにいたわけです。そういう理不尽と向き合わなければならなかったという話は聞きました。
「当時のハンガリーでは、男女が出会う場所はダンスの練習会くらいしかありませんでした」
―クララとの関係が揺らいだとき、アルドは自分の患者の一人に電話をし、共同生活者……つまり“夫婦”となる提案をします。それにショックを受けたクララに、彼女の叔母オルギは戦争で家族を失った一人者同士を紹介し合うシステムがあり、それと同じであると教えます。これは当時、本当に行われていたことなのでしょうか?
ユダヤ系の方に限らず、アパートを持っている男性と、泊まるところのない女性をカップリングすることは行われていたそうです。合理性だけを求めたシステムですが、なかには幸せな家庭を築いたカップルもいたようです。僕は40歳になるまで知りませんでしたが、脚本のクララ・ムヒが設定として面白いんじゃないかと言ってくれたので取り入れました。
―クララはダンスパーティに参加し、ボーイフレンドのペペと知り合いますが、パーティというよりダンスの練習会のようですね。当時のハンガリーのダンスパーティはこんな感じだったのでしょうか?
いいえ(笑)。その通り、練習会です。当時の学校は共学ではありませんでしたし、もちろんディスコやクラブもありませんので、男女が出会う場所はダンスの練習会くらいしかありませんでした。特に社会主義国家に移行した初期は風紀がかなり厳しく、倫理観や肌の露出に関しても定められていたそうです。
「主演のアビゲール・セーケは、常に痛みを湛え何かに対して怒りを覚えているような瞳が起用の決め手でした」
―クララを演じたアビゲール・セーケの瞳には、言葉以上に人を魅きつける何かがあり、その瞳に魅了されました。セーケをキャスティングした理由は?
撮影当時は19歳でクララより少し年上でしたが、常に痛みを湛え、何かに対して怒りを覚えているような瞳が決め手でした。最初に彼女を見たのは、キャスティングのためのビデオで、そのまま「次」と言いそうになったのですが、キャスティングディレクターが「監督、次のシーンまで見てください」と言うのでそのまま見続けると、次のシーンでカメラに寄ってメガネを取ったのです。アビゲールは、クララとは逆でとても控えめな女性です。10代の男の子のようにアグレッシブで、人をイラつかせるキャラクターは、一緒に作っていきました。
―監督の言うアビゲール・セーケの“痛みを湛えた瞳”とは、ラスト近くの「ここにいない大切な誰かのことを祈る」シーンでの、クララの瞳ではありませんか?
ラスト近くではありますが、バスルームに行くアルドを心配するクララの表情です。ぜひ、あの表情を観逃さないでください。
取材・文:関口裕子
『この世界に残されて』は2020年12月18日よりシネスイッチ銀座ほか全国順次公開
『この世界に残されて』
第二次世界大戦終戦後の1948年、ハンガリー。 ホロコーストを生き延びたものの家族を喪った16歳の少女クララは、両親の代わりに保護者となった大叔母オルギと暮している。大叔母に心を開かず、同級生とも打ち解けず、孤独な日々をおくるクララ。そんなある日、クララは寡黙な医師アルドに出会う。42歳の彼は、勤務先の病院とユダヤ人会の孤児院、そして自宅を行き来するだけの毎日を過ごしていた。
言葉をかわすうちに、アルドの心に自分と同じ孤独を感じ取り、父を慕うようにアルドに懐くクララ。そんなクララを見て、大叔母オルギは「私は勉強をみてあげることもできないから」と、クララのもう一人の保護者になってほしいとアルドに懇願する。「明るい父親にはなれないが、いないよりはましかも」とアルドは快諾し、クララは週の半分をアルドの家で過ごすという不思議な同居生活が始まった。ゲームに興じたり映画を観に行ったり、殺伐としていた彼らの日々は徐々に輝きはじめる。そんななか、ふとした会話をきっかけにアルドが動揺し、これまで明かさなかった秘密をクララに打ち明ける。彼もまた、ホロコーストによって大切な人たちを喪った犠牲者だったのだ。
共に心に傷を抱えながら、寄り添うことで徐々に人生を取り戻していくクララとアルド。 だが、スターリン率いるソ連がハンガリーで権力を掌握すると、再び世の中は不穏な空気に包まれ、党に目をつけられた者たちが次々と連行されるなど緊張が増していく。そんななかクララとアルドの関係は、スキャンダラスな誤解を招いてしまう――。
制作年: | 2019 |
---|---|
監督: | |
出演: |
2020年12月18日よりシネスイッチ銀座ほか全国順次公開