テレンス・マリックはテレンス・マリック
世の中、テレンス・マリックに限って「わからない」「寝落ちする」「いつもおんなじ」と褒めてるんだか(褒めちゃいないか)、悪口なんだかわからないことを言ってもいい、ということになってはいないだろうか。
キャストの異様なほどの豪華さ、広角レンズを多用した完璧な絵作り、筋がわからなくなるほどの短いカットの繋ぎ、時系列が混乱して観る者がどこにいるんだかわからなくなる構成、極端な会話の少なさ。そうである。これがテレンス・マリックなのである。筋はあるにはあるけど、笑ったり、怒ったり、悲しんだり、という感情移入を拒みますわね。でも、その分、そもそもの解釈はこちらに委ねられるのだから、ある意味見応えがあって、自由に上映中、描かれていないことを妄想することが可能なのも本当。
しかし、毎回悩むんだけど、凄い役者を起用しておきながら、どう演出しているのかがわからない。『トゥ・ザ・ワンダー』(2012年)ではオルガ・キュリレンコのあまりの美しさに驚いたが、彼女は監督から「踊って踊って」とだけ言われたらしい。役者はあそこまでカットを割られると、どこを使われているのかわからなくて嫌になるんじゃなかろうかと心配になるが、皆さん撮影に続々参加するんだから、それでいいの。つまり役者たちが、役者同士、監督と競いながらフリージャズのような演技のインプロビゼーションを披露してくれるのである。
歌の映画、というわけでもない
タイトルが『ソング・トゥ・ソング』だから、誰かが歌うのかと思ったら、主要登場人物は全く歌わない。レッチリやパティ・スミスが登場して少し歌うけど、映画の内容には深く関係していない。「一つの歌から繋がるもう一つの歌」とでも言えばいいんでしょうか。「歌」は人間が生きていく過程で、時々自然に生まれてくる叫びみたいなものかしら。
映画の中ではほとんど登場人物の名前が呼ばれることがないので、誰が誰だかわからなくなります。ですから、出演者名と合わせて少しだけ解説します。
大物音楽プロデューサーのクック(マイケル・ファスベンダー)は常に思い通りに人を操りたい。若くて期待される作曲家BV(ライアン・ゴズリング)は誠実に生きたい。クックと関係を持ちながらもBVに惹かれて恋に落ちるフェイ(ルーニー・マーラ)は自由を求めている。クックに誘われてフラフラしてしまうウェイトレスのロンダ(ナタリー・ポートマン)は愛されることで救われたい。
この4人が主要登場人物だが、これにアマンダ(ケイト・ブランシェット)やゾーイ(ベレニス・マルロー)まで絡んでくるので、誰が誰に何を求めているのかわからなくなる。人生ってそんなものかもしれないけど。
この複雑にもつれる人間関係がどのように収束していくのか、いかないのか、それもあなたにお任せです。もしかしたら監督がヒントをくれているかもしれないのは、会話の代わりのように挿入される彼らのモノローグ。それは普通じゃ思いつかない歌のような詩である。
映像詩としての映画
私はこの映画を2回観たが、完璧な映像の中でまるで踊るように動き、演じるスターたちの美しさ、ロックからクラシックまで必要な時に必要なだけ敷かれる音楽に、ただ口を開けて魅了されていた。この作品は映像詩。だから解釈は自由。
どんな映画かと問われれば、テレンス・マリックの映画だとしか答えようがない。が、それじゃやめとこうか、と思ってしまう人がいては困る。やっぱり観て。
人の心はうつろい、その時々の覚悟も儚い。今回、テレンス・マリックは恋愛映画を撮ったということにしておこう。実際、パンフレットにも「音楽の街を舞台にラブストーリーの新たな名作が誕生!」と書いてあった。そうかしらと一瞬疑ったが、言われてみれば、この作品は『トゥ・ザ・ワンダー』以来の恋愛映画だった。キュンキュンしないかもしれないが、大人だったらわかるはず。
文:大倉眞一郎
『ソング・トゥ・ソング』は2020年12月25日(金)より新宿シネマカリテ、ヒューマントラストシネマ渋谷ほか全国公開
『ソング・トゥ・ソング』
音楽の街、オースティン。何者かになりたいフリーターのフェイは、成功した大物プロデューサーのクックと密かに付き合っていた。そんなフェイに売れないソングライターBVが想いを寄せる。一方、恋愛をゲームのように楽しむクックは夢を諦めたウェイトレスのロンダを誘惑。愛と裏切りが交差するなか、思いもよらない運命が4人を待ち受けていた……。
制作年: | 2017 |
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出演: |
2020年12月25日(金)より新宿シネマカリテ、ヒューマントラストシネマ渋谷ほか全国公開