「こんまりメソッド」へのアンチテーゼでありビヨンド
誰もが経験するであろうありふれた日常から珠玉の物語を紡ぎ出した作品に出会うと、しばしば己の凡庸さを実感させられることはないだろうか? タイ映画界期待の星ナワポン・タムロンラタナリット監督の『ハッピー・オールド・イヤー』がソレ。本作はスウェーデン帰りのデザイナー、ジーンが、タイでミニマルライフを実践するまでの紆余曲折を描いたもの。
だが北欧というよりも間違いなく、劇中でも触れている“こんまり”こと片付けコンサルタント・近藤麻理恵の著書「人生がときめく片づけの魔法」であり、彼女が出演するリアリティー番組「KonMari ~人生がときめく片付けの魔法~」の影響を感じる。同番組ではこんまりが片付けの悩みを抱えた依頼人の自宅に出向き、「こんまりメソッド」に則って実行してもらい家も心も整え、新生活を手に入れるという展開だ。
大概の人はこんまりの術中に易々とハマるのがオチ。だがタムロンラタナリット監督は違った。「心がときめく」を基準にそう簡単にモノを手放すことができるかと疑問を投げかけ、さらにメソッドで最も重要な“片付けを通して自分の内面を見つめる”という行為を追究した先に見えたものを作品として昇華させてしまったのだ。
いわば本作は「こんまりメソッド」へのアンチテーゼであり、ビヨンド。同じ番組を見ていたはずなのに、別角度から事象を見つめる視点と理解の深度に“タイの俊英”の俊英たるを知る。
レッツ断捨離! モノに囲まれて育った現代っ子はストイックな“片付けの極意”を実践できるのか?
本作の主人公・ジーンが片付けをするのは、母と兄と暮らす自宅。1階はかつて父親が営んでいた楽器修理店と音楽教室が残っており、そこを自身のデザイン事務所に、合わせて住居空間もリフォームするという。内装を手掛ける親友・ピンクの指示で、モノで溢れた家を空っぽにすることから始めるジーン。そこで実践するのが、タムロンラタナリット監督流・6つの片付けの法則だ。
ステップ 1:ゴールを設定し直感に従え
ステップ 2:思い出に浸るな
ステップ 3:感情に溺れるな
ステップ 4:迷うな、人の気持ちなど考えるな
ステップ 5:もう物を増やすな
ステップ 6:振り返るな
ジーンのゴールは最低限の家具だけ置かれた北欧風の白の空間。最初はステップに従い、快調に“断捨離”をスタート。だが、ピンクから貰った誕生日プレゼントをゴミ袋に投入したところを本人に見つかって苦言を呈されたことから、徐々に法則から逸脱して感情が揺れ始める。1つ1つのモノの向こうには人がおり、ときめくか否かだけでは判断できない思い出があることに気づくのだ。
破棄することに罪悪感を覚えはじめたジーンは、人から預かったモノ、貰ったモノは本人に返却すべく行脚を始める。しかし、再会を喜んでくれる人ばかりではない。仲違いした友人、元恋人、さらには生き別れた父親もおり、ジーンはモノを介して切り捨てたはずの自身の過去と向き合うことになる。まさに「こんまりメソッド」の“自分の内面を見つめる”ことを否応なく突きつけられるジーン。モノを捨てることは新たなステージに進むためのきっかけだったはずなのに……。ラストの人生の苦さを噛みしめつつ、己の道を歩もうとするジーンのえも言われぬ表情が、我々に深い余韻を残す。
資本主義社会や大量消費社会がもたらした弊害――世界共通の問題を突きつける意欲作
タムロンラタナリット監督は、長編デビュー作『36のシーン』(2012年)が新鋭監督発掘の場として定評のある釜山国際映画祭でニューカレントアワードを受賞して以降、発表する作品はベネチア国際映画祭をはじめ名だたる国際映画祭を賑わす存在だ。エンタメが主流の東南アジアで活躍する監督の多くが海外留学で得たハリウッド的な映画趣向を自国で活かすパターンが多いが、タムロンラタナリット監督はバンコク生まれ、バンコク育ちの純粋培養。だが世界のシネフィルをも唸らす技術と作家性は、タイに存在した北野武監督やクエンティン・タランティーノ監督など世界のアート系作品を揃える海賊版ビデオ専門店に通って培われたことを、大阪アジアン映画祭で披露されたドキュメンタリー映画『あの店長』(2014年)で明かしていた。
本作も緻密な脚本はもちろんのこと、非常に計算され尽くした演出でモノに宿る人間の感情を浮かび上がらせる。ジーンを演じるのは、タイの受験戦争の壮絶さを描いた『バッド・ジーニアス 危険な天才たち』(2017年)のチュティモン・ジョンジャルーンスックジン(通称:オークベーブ)。映画初主演だった同作で一躍脚光を浴び、米Varietry誌が期待するアジアの次世代スターに贈る<アジアン・スターズ・アップ・ネクスト・アワード>に、『デッドプール2』(2018年)の忽那汐里と共に選ばれている。しかし演技経験はまだまだ浅く、彼女の演技スキルを上げるため撮影前にワークショップを実施したという。その成果たるやは映画を見れば一目瞭然で、何度もアップで捉えられるジーンの“顔で笑って心で泣いて”という表情が、言葉で表現できない余白を描く。そこに付けられている音楽はミニマル。徹底的に人間の心にフォーカスしている。
そして我々は気づかされるだろう。資本主義社会や大量消費社会がもたらした弊害は国境を超えてグローバルな問題なのだということを。コロナ禍で誰もが自身の生活を見直すことになった今、いっそう本作のテーマが胸に響くに違いない。
文:中山治美
『ハッピー・オールド・イヤー』は2020年12月11日(金)よりシネマカリテ、ヒューマントラストシネマ渋谷ほか全国順次公開
『ハッピー・オールド・イヤー』
タイ・バンコク。スウェーデンに留学していたデザイナーのジーンは、帰国後、母と兄のジェーと3人で暮らす自宅のリフォームを思い立つ。かつて父が営んでいた音楽教室兼自宅の小さなビルを、北欧で出会った“ミニマルスタイル”なデザイン事務所にしようというのだ。しかし、ネットで自作の服を販売する兄は“ミニマルスタイル”をよく分かっておらず、母はリフォームそのものに大反対! 内装屋の親友・ピンクには、年内中に家を空っぽにするよう諭されるが、残された時間は1ヶ月弱……。
家じゅうに溢れかえるモノを片っ端から捨てて “断捨離”をスタートさせるジーン。雑誌や本、CDを捨て、友人から借りたままだったピアス、レコード、楽器を返して回る。しかし、元恋人エムのカメラ、そして、出て行った父が残したグランドピアノは捨てられず……。いよいよ年の瀬。果たしてジーンはすべてを断捨離し、新たな気持ちで新年を迎えることが出来るのか?
制作年: | 2019 |
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監督: | |
出演: |
2020年12月11日(金)よりシネマカリテ、ヒューマントラストシネマ渋谷ほか全国順次公開