日本を飛び越え、世界にその名をとどろかす浮世絵師・葛飾北斎。彼の人生を、柳楽優弥と田中泯が演じるという。『HOKUSAI』(2021年5月28日公開)は、いったいどんな映画なのだろう?
『探偵はBARにいる』(2011年)『相棒』シリーズ(2003年、Season2~)の橋本一監督がメガホンをとった本作は、北斎の青年期と老年期にフォーカスを当てた壮大な物語。幕府に取り締まられながらも、浮世絵文化が栄華を誇っていた江戸時代。貧乏絵師の青年・北斎(柳楽優弥)が、喜多川歌麿(玉木宏)や、版元・蔦屋重三郎(阿部寛)といった面々と出会い、自分だけの表現を見つけていく。
北斎の浮世絵の世界観を再現した豪華絢爛な画作りや、ハリウッドのスタッフを招いて実現したダイナミックなカメラワークに目を奪われ、表現者として遮二無二創作と向き合った北斎の姿に、胸が熱くなることだろう。
公開を来年に控える今、作品の魅力はもとより、コロナ禍で考えた「表現者としての生きざま」について、柳楽と田中に語ってもらった。
北斎を演じるうえで研ぎ澄ませた“感覚”と“解釈”
―同一人物の若き日と晩年を演じたお2人ですが、お互いの出演シーンをご覧になっていかがでしたか?
田中:「やっぱり若いんだなぁ」と思いました(笑)。僕は老年期から演じるのが仕事でしたから、出来上がったものを観て、まず「よくまとめたな」と感じましたね。
柳楽:そうですね。青年期と老年期という時代をまたいで描かれたのは斬新だと思いました。
田中:柳楽さんが演じたパートは、喜多川歌麿や東洲斎写楽など、大勢の人物が登場します。その中で存在するということは、すごく苦労されたんじゃないでしょうか。僕のパートは北斎ばっかりですから(笑)、余計にそう感じましたね。
作品自体がそのように作られているとしても、柳楽さんの“存在の仕方”が、北斎か北斎じゃないかを決めてしまう。玄人っぽい見方をすれば、柳楽さんじゃなくて北斎だと“見える”ようにしなければならない。すごくデリケートに頑張っていらっしゃると感じました。
柳楽:僕は田中泯さん演じる北斎を見て、本当にこういう人だったのではないかと思いました。泯さんが演じられた北斎の青年期を演じさせていただけたことはラッキーだったと感じました。青年期は謎が多く、どういう風に演じるのか大変だったのですが、橋本一監督と相談しながら作り上げていくのは楽しかったです。
―森や海といった自然の中に身を置いて、北斎が感性を研ぎ澄ませたりモチーフを見つけたりしていく姿が印象的でした。お2人はどのようにして、自分自身の中に北斎像を構築していったのでしょうか。
田中:北斎の生きていた時代と今の時代を比べたときに、自然から受け止める“感覚”に相当大きなギャップがあるんじゃないかというのは、最初から考えていました。
いまは、「夕立」なんて言葉がなくなってしまうくらいの気象状況でしょう? でも当時は、サーッと降って消えていく夕立というものがあった。僕たちは無意識に自然環境というものを感じながら生きているけれど、もっともっと身体にビンビンくる感覚を持っていたんじゃないかと思います。
例えば海を観たときも、こみ上げる感覚の“濃さ”がより満ちあふれていたはず。今だと、海を観ても感覚より先に言葉が浮かんでしまいますよね。いま北斎が生きていたら、同じ人物ではいられなかっただろうなと感じます。
柳楽:いやぁ……泯さんのお話、本当に勉強になります。ありがとうございます!
田中:いやいや(笑)。
柳楽:僕はそこまでは考えが至らず……(苦笑)。ただ、とにかくがむしゃらに「いい絵を描きたい」「うまくなりたい」という衝動を大切にしました。さらに、自分よりも若い写楽や先輩にあたる歌麿など他の絵師たちへのライバル視、その心理はどういうものなのだろうか、という部分を役への入り口にしました。
北斎が“海に気づく”というのは、とても大きな出来事だと思うのですが、「どうしてこんなにも海に感動したんだろう?」と橋本監督と話していくなかで、「1度は、人生をあきらめようとしていたのではないか」と解釈しました。監督も「それ、いいね!」と言ってくれて(笑)。
その後は、「自分の中で、最も大きく悩んでいる時の感覚」を引き出そうとしました。ある意味、最も感情が盛り上がっている瞬間というか、実際に見えるかどうかは別として、それくらいのエネルギーを出せるように努めました。
スタイルの“ブレ”こそが、自分らしさ
―海のシーンも含めて、北斎が自分なりのスタイルを見つけていく姿が鮮やかに描かれていましたが、お2人が表現者として“自分らしさ”を確立できた瞬間はいつでしょうか?
柳楽:僕はこれまで「いつになったら自分らしさが見つかるんだろう?」と思っていました。三十代を迎えて、急に「もっと自分らしくやってみたい」と思うようになったんです(笑)。いつか居心地の良い場所に到着できるんじゃないかっていうことだけを信じてやっています。
田中:僕も決まっていないですね。模索もあんまりしてない(笑)。日々変わっていく可能性というか、もともと一本道を歩いている気がしていないんですよ。いつも踏み外したり迷ったりしているのが、僕にとっては心地よくって。しっかり歩いている感覚は子どものころからないですね。だから「軸がブレないね」って言われると、「ブレっぱなしだよ?」と思う(笑)。でも、それが僕らしさだと思っています。
―田中さんは“踊り”に加え、『たそがれ清兵衛』(2002年)で映画にも出演され、本当に多岐にわたる活動をされていますよね。だいぶ前になりますが、2008年にNHKの「課外授業・ようこそ先輩」に出演された際、踊りを見た子どもたちの表情がみるみる変わっていくのを目の当たりにした衝撃が、いまでも忘れられません。だからこそ「ブレている」というお言葉はちょっと意外でした。
田中:やっぱり言葉って、本人が体の中で感じているものとちょっと違う場合があるんですよ。大人が知っている言葉で子どものことを評価しちゃうけど、子どもが感じている想いや、子どもの中にある言葉とはズレてしまうときがある。いまの子どもたちは、そういった感覚をより抱いているんじゃないかな。
じつは「課外授業・ようこそ先輩」は結構好き勝手やってしまったので、当時は「これは放送されないんじゃないか」と思っていたんですよ(笑)。
北斎の筆の持ち方を2人で学んだ
―北斎を演じるうえでの“心”の面を中心にお聞きしてきましたが、身体面についても伺わせてください。今回は東京藝術大学の方にコーチについてもらって、筆の持ち方などを学んだとお聞きしましたが、具体的にはどういった内容だったのでしょう?
柳楽:まずは筆の持ち方ですね。
田中:そして、筆運び。
柳楽:演じる絵師によって全員持ち方や筆運びが違うんですが、僕たちの場合は「北斎ならこうやるんじゃないか」という動きを教わりました。
田中:難しかったね。
柳楽:でも泯さんはとてもお上手でしたよ(笑)。描く筆と描かない筆、2本の筆をスイッチさせる手さばきが大変でした。
田中:逆だよ、柳楽くんの方がうまかった。僕は全然できなかった(笑)。隣でサクサク上達していくから、自分の手元を見せないようにしたもの(笑)。1回だけ同じ画面に2人が映るんですが、そうするとお互いの技術の度合いがわかっちゃう(笑)。焦りましたよ。
―2人の北斎が並び立つシーンは、感動的でした。本作を通して描かれる「芸術は世の中を変えられる」というメッセージを象徴しているシーンに感じました。
田中:本当に? 良かった。
コロナ禍で改めてを感じた、エンタメの強さ
―『HOKUSAI』のテーマである<芸術>と<世の中>の関係性については、お2人はどうお考えですか?
田中:僕は60年近く踊り続けているんですが、「世の中とは」「人生とは」といったことを言葉でしゃべるような習慣から、できる限り自分を遠くに引っ張っていく方法が“踊り”だと思っています。
だからといって、踊りを選んで生きているということは、自分の中での世の中に対する理想があるということ。例えば「もっと自由に」とか「裏の技を使わずに、正面を向いてコミュニケーションしたい」とか、そういったことは多々あるわけです。
世の中というのは、政治を感じないほうが平和だと僕は思っているんです。そのために、踊りはあると信じていますね。いまは逆に、政治ばっかり考えさせられますよね。それは正反対じゃないかと思います。
柳楽:コロナ禍の中で、映画や音楽といったエンターテインメントにとても励まされた気もしますね。改めて、エンタメの強さを感じました。
いまは、世界中が一つのテーマについて話しているじゃないですか。なんてすごい時代だと思うし、そうなった時に、北斎のように人生自体がエンターテインメントになっている人を観ると、元気をもらえるのではないかと思います。
田中:僕はコロナ禍で、踊りのことをずうっと考えていました。なんで人間は踊り始めたんだろう? という、いちばん根本的なことですね。時代がどんな踊りを踊っていても、数十万年という時間をかけて、人は踊りを継続してきた。そのことがうれしいなと、改めて思える時間になりましたね。
取材・文:SYO
写真:町田千秋
『HOKUSAI』は、2021年5月28日(金)公開。