恩人・伊集院光との真剣勝負から生まれた清州城への想い
10月に入って関東は天気も良くなく、気温も一気に下がって、あの暑かった夏がウソのように何処かに行ってしまい、雨が降ると冬のような寒さだ。大好きな秋は何処に行ったのだ? 薄手の上着を通り越して、もうダウンジャケットを着込んで、小さい秋でも探すしかないか。
読書の秋、スポーツの秋、食欲の秋、戦国の秋! と色んな秋があると思うが、わたくし戦国バカはこの秋、無性に旅行に行きたい。もちろん戦国時代に関連のある名所に行って、観光してからその地の美味しい名産に舌鼓を打ちたいのである。
仕事柄、全国の色んな場所に行くこともあるが、なかなか観光までは出来ずに帰ってくるのがほとんど。それでもたまに地方に行った時は、次の日はスケジュールを空けて、その地の戦国名所をレンタカーを借りて回ったりしたこともある。だが、不完全燃焼というか心残りな思い出の場所もある。それが愛知県にある「清洲城」だ。
その昔、わたくしの大恩人で今なお、お世話になっている伊集院光さんの深夜ラジオで「東海道自転車サッカー」という企画があった。ルールは簡単、わたくしの買ったばかりの自転車が東海道の真ん中あたりの静岡に勝手に持って行かれ、そこからキックオフ! 僕は東京方面、伊集院さんは京都方面にお互い一台の自転車を休みの空いてる日に漕いで、ゴールすれば勝ちという戦い。自転車を漕いでいいのは昼間だけで、日没前には東海道線の駅に止めて、写メを送らないと一発レッドカードで退場なのだ。
当然、仕事の少ないわたくしは忙しい伊集院さんに負けるわけがないとタカを括っていたら、伊集院さんが三連休をとり、その間にわたくしの自転車を愛知県と岐阜県の県境近くまで漕がれてしまったのだ! 焦ったわたくしは次の日、品川駅から朝4時台の東海道線を乗り継いで西へ西へ。辿り着いたのが、JR清洲駅! ホームから見える景色は長閑な田園風景に、ポツンと工場らしき物が見えるだけ。工場の従業員と思われる人たちと改札を抜け、寝ぼけ眼で駅前を見渡すと、すぐそこにそびえ立つ天守閣! おー!! あれは織田信長の居城だった清洲城ではないか!!!
https://www.youtube.com/watch?v=xnVP4HX5i7o
気分はマックスハイテンション! だがしかーし、急いで自転車を漕いで東京方面に向かわなければならない! 清洲城を堪能する時間などあるわけもなく、泣く泣く後ろ髪を引かれる思いで清洲を後にした。そんな思い出が今でも、もう一度清洲城に行ってみたいと思わせるのだ。
かなり前振りが長くなったが、今回の戦国映画は2013年11月に公開された作品『清須会議』。この作品は三谷幸喜さんの原作小説をコメディ映画化したもので、監督も三谷さんが務めている。戦国時代の映画なのだが、劇中にはほとんど合戦シーンは無く、大半が清洲城で繰り広げられた5日間にわたる評定(会議)をコメディ要素たっぷりで描いた作品だ。
役所、小日向、大泉! それぞれが演じる武将役にドはまりの豪華キャスト陣
物語は戦国末期、天下統一まであと一歩の織田信長が、家臣の明智光秀に謀反を起こされる<本能寺の変>から始まる。光秀は<山崎の戦い>で羽柴秀吉に敗れ、京都の小栗栖辺りで落ち武者狩りに遭う。残された織田家臣団の筆頭家老・柴田勝家派と、主君・織田信長の仇討ちを見事にやってのけた羽柴秀吉派に分かれて、今後の織田家の当主を誰にするのか? を清洲城に集まって、4人の家老だけで決める会議。織田家家老たちのそれぞれの思惑が交差する清洲城……。この史実が三谷監督によって、見事にコメディとして描かれている。わたくしも最初に映画館で観た時は、あまりの面白さに愕然としたのを覚えている。
この映画、まず何が良いって配役が素晴らしい。勝家を演じるのは、わたくしの大好きな役所広司さん。役所さんはどんな役でも完璧に演じられるが、この作品での勝家像がまたいい。無骨で戦さ場では頼りになるが、女心が全然わからず、根回しや調略にはとんと疎い、真っ直ぐな性格の武将を見事に演じておられる。他にも家老の一人、丹羽長秀に小日向文世さん。脇を固める名バイプレイヤーの一人だが、小日向さんのお顔が現存する丹羽長秀の肖像画にそっくりなので、ぜひ皆さんも見比べて欲しい。さらに信長に認められ出世した、どこの馬の骨ともわからぬ猿のような男=秀吉を演じるのは大泉洋さん。秀吉という男が、周りから嫌われていても持ち前の明るさと人なっつこさ、簡単に人前で土下座も出来るずる賢さで人の心を魅了していく様は、大泉さんにぴったりハマる。ちなみに三谷監督は大の戦国好きと聞いたことがあるので、この辺りの配役も見事と思わせてくれる。
ここで戦国雑学を一つ。秀吉は元々、木下藤吉郎秀吉という名前だった。だが出世するにつれて、次第に周りから疎まれるようになっていく。そこで織田家家臣ナンバー1の柴田勝家の“柴”の文字と、ナンバー2の丹羽長秀の“羽”の文字を頂いて、お二人のような立派な武将になれるよう“羽柴”の姓を名乗るのだが、信長亡き後この二人の先輩の頭を押さえつけるような立場になっていくあたりが、秀吉の人たらしと言われる所以であろう。
史実に基づき身体的なディテールも忠実に再現した超こだわりの時代劇コメディ!
話を映画に戻すと、本作は他にも三谷監督のこだわりが随所に見られる。まずは織田信長の“鼻”だ。肖像画でもわかるように信長の鼻はなかなか立派なのだが、本作における信長はもちろん、弟の三十郎、息子の信忠、次男信雄、三男信孝と織田家の人間は皆立派な鼻で、これは特殊メイクの付け鼻をして撮影されている。
次に、チラッと2回ほど出てくる明智光秀。信長は家臣にあだ名をつけるのが得意だった。秀吉のことは「禿げねずみ」と呼んでいたらしく、光秀のことは柑橘系のキンカンの様な頭だというとこから「キンカン」と呼んでいたらしい。そしてこの映画に出てくる浅野和之さん演じる光秀が、これまた特殊なカツラで見事にキンカン頭に仕上がっている。この辺りもかなり面白い三谷監督のこだわりだろう。しかし戦国バカの目を一番引いたのが、大泉さん演じる秀吉が右手に派手な柄の手袋のような布を巻いているところだ。
最後に、会議に向かうシーンで、秀吉は服を着てから、気合を入れる感じで手袋をギュッと着ける。観ていて「あれは何?」と思われた方もいると思うが、実は秀吉の右手には指が6本あったと言われているのだ。これについては宣教師のルイス・フロイスの書簡や、秀吉の旧友・前田利家が記した文献に、「秀吉は右手の親指が1本多かった」と書かれているのである。これは多指症という生まれつき指が多い症例で、昔も今も幼い頃に切断することが多いらしい。しかし秀吉は貧しい家の出身だった為そのまま大人になり、関白・豊臣秀吉になった頃に取ったと言われている。だから、まだ羽柴秀吉時代は右手に6本の指があり、それを隠すために手袋のような物を着けていたのだろう。こんな細かい部分まで忠実に描いているのはこの映画ぐらいだろうと、戦国バカは思うのである。
それでは最後に、織田家臣団を表現した唄を紹介しよう。
「かかれ柴田に、退き佐久間、米五郎左に木綿藤吉!」
この唄は、「かかれ柴田=突撃の戦に強い柴田勝家」、「退き佐久間=撤退戦の時に退却しながら戦うのが上手かった佐久間信盛」、「米五郎左=米のように絶対必要な物の例で、織田家に絶対必要な丹羽長秀」という意味。そして「木綿藤吉」とは、木綿の様に丈夫で使い勝手が良い羽柴藤吉郎秀吉のこと。この様に、織田家にはそれぞれの分野で優秀な家臣が揃っていたことが窺える歌なのである。
そんな家臣が集まって織田家の行く末を決める『清須会議』。戦国時代をコメディ映画で味わうのも、この秋いかがかな。
文:桐畑トール(ほたるゲンジ)
『清須会議』はAmazon Prime Videoほか配信中
『清須会議』
天正10年(1582年)本能寺の変。一代の英雄織田信長が死んだ―。跡を継ぐのは誰か? 後見に名乗りを上げたのは2人。筆頭家老・柴田勝家と後の豊臣秀吉=羽柴秀吉。勝家は、信長の三男でしっかり者の信孝を。秀吉は、次男で大うつけ者と噂される信雄を信長の後継者として推す。
勝家、秀吉がともに思いを寄せる信長の妹・お市様は、秀吉への恨みから勝家派に。一方、秀吉は、軍師・黒田官兵衛の策で、信長の弟・三十郎信包を味方に付け、妻・寧の内助の功もあり、家臣たちの心を掴んでいく。
そして、開かれる清須会議―。会議に出席したのは4人。勝家、秀吉に加え、勝家派の策士・丹羽長秀、会議の行方を左右する池田恒興。繰り広げられる一進一退の頭脳戦。様々な駆け引きの中で騙し騙され、取り巻く全ての人々の思惑が猛烈に絡み合う! 勝家派か? 秀吉派か!?
制作年: | 2013 |
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監督: | |
出演: |