【惹句師・関根忠郎の映画一刀両断】
名のみぞ知る!? 米作家ジャック・ロンドンの傑作長篇小説映画化
冒頭から無礼千万な言辞を吐いてしまったが、あなたは作家ジャック・ロンドンを知っていますか? あるいは彼の作品を読んだことがありますか? こんな問いを投げかければ、当のJ・ロンドン氏とその熱狂的ファンの皆様に叱られるかもしれない。読書家の端くれを自認する私ながら正直に言えば未読。その昔、角川映画の超有名な「読んでから見るか、見てから読むか」という宣伝コピーがあったが、今回、長篇小説「マーティン・イーデン」(※原作タイトル)に関しては、都合によって映画を“見てから”小説を“読む”ことにした。特別な理由はない。
従って、この映画を文字通りの《白紙》で観た! 物語を一口で表すならば、社会の底辺で働く粗野で無学な若者が、運命の女性との出会いを機に、知性に目覚め作家として生きていく波乱の青春劇ということになるだろう。しかし、こう言ってしまうとあまりにも類型的なメロドラマに隋してしまう。ここでは映画終盤の驚異的展開を明かせないが、破格の作家ジャック・ロンドンの自伝と目されているこの小説の映画化は、単に青年マーティン・エデンの成長をのみ描いたものではなく、そのあとに待つ激動の社会と人間一個人との劇的葛藤(ストラッグル)こそが、大きな見どころとなっていく。
幾多の苦闘の果ての作家的成功のあと、エデンを待ち受けていたのは希望か絶望か。彼はなぜ社会に背を向けたのか? 映画前半の青年と上流階級令嬢との華麗な恋愛ロマン。そして後半の激動的社会のうねりと作家の絶望。相反する映画展開のダイナミズムに圧倒される魅惑の129分! 見終わってから直ちに原作を手に取った。
栄光と悲劇の世界的作家ジャック・ロンドンの異端的軌跡
アメリカの作家ジャック・ロンドンは、1876年、サンフランシスコに生まれた。若い頃、工場労働者、アザラシ漁船の乗組員等々の職を転々としたあと、1903年に「野生の呼び声」で一躍脚光を浴びて流行作家に。以後、海洋小説、ボクシング小説、SF、幻想小説、ルポルタージュなど、多彩なジャンルの作品群を連打。1909年に「マーティン・イーデン」を発表後も多数の作品を世に送り、世界的名声を博したが、凄絶な過労とモルヒネの多用により1916年に急死したという。
創作に魅入られた作家の内なる心の奥底と現代社会との絶えざる葛藤の末、謎めいた死を遂げる――余人には計り知れない。ジャック・ロンドンを破滅型の作家と言ってよいものかどうかも断じがたい。死に魅入られた作家は、古今、少なくないが、今では失われたロマンティシズムの香りが、何故か微かに思い起されるばかりだ。
作家としての成功後、マーティン・エデンを襲う社会的騒乱と軋轢
赤貧の中で執念にも似た作家修業に打ち込み、執筆を重ねては繰り返し雑誌社への投稿を続けるマーティン。その度に返送されるが、ようやくひとつの作品が採用。エレナと共に歓喜するマーティン。これをきっかけに小説家への道を歩み始めるアメリカン・ドリームさながらの展開。だが、この前半を引き継ぐ後半は一転。作家としての成功を得て、著名人になっていくマーティンと彼を取り巻く周囲の人々との関係の変容が、俄かに騒がしく描かれていく。
マーティンの才能を高く評価する謎めいた老人ブリッセンデン。この老人に社会主義者たちの集会に連れていかれたマーティンが、大衆の前で演説をさせられたことがもとで、エレナとの間に齟齬が生じて訣別。あるいはブリッセンデン老人が不可解な遺稿をマーティンに託して自死するなど、そうしたさまざまな出来事が次第にマーティンを失望と虚無の濁流に追い込んでいく。マーティンの成功とは、いったい何だったのか。
20世紀最大のアメリカ文学映画化にイタリア映画界最高の才能が結集!
ジャック・ロンドン畢生の長篇小説「マーティン・エデン」の映画化に踏み込んだのは、アメリカの映画界に非ず、イタリア映画選りすぐりの才腕たちだった。
監督は1976年イタリア生まれのピエトロ・マルチェッロ。経歴はここでは省かせて頂くが、この作品の完成度から類推しても、かなりの才腕を持った映画人だと思う。ドキュメンタリストとしてもフィクショナリストとしても、充分な素養と実力に恵まれた監督に違いない。ジャック・ロンドンの自伝的小説を得て、これを自国イタリアという舞台に映画構築を成し遂げた完成度は大いに称賛されるべきだ。
そしてもう一人、マーティン・エデンを演じた1984年生まれのルカ・マリネッリ。本作で第76回ヴェネツィア国際映画祭において見事男優賞を受賞した。主人公の名を原作そのままにして、20世紀初頭のアメリカ西海岸から、1920年頃~1970年頃までのイタリア、ナポリに移しての映画展開の成果はマリネッリに負うところ大と言っておきたい。端正なマスクを誇る久々の大器だ。そして急いで付け加えるが、脇を固める助演陣の素晴らしさ、イタリア映画ならではの強烈な実在感には只々感銘。
さらに撮影担当の二人、フランチェスコ・ディ・ジャコモとアレッサンドロ・アバーテ。この作品ではデジタルを避けて、スーパー16ミリ・フィルムを使用してのシューティングを敢行。コクのあるカラー場面と、時代を映したモノクロのアーカイブ・ショットを多用して絶大なビジュアル効果を遺憾なく発揮している。映画を観る歓びに充分浸り切った。
映画ファンと文学ファンの双方を魅了してやまない久々の文芸巨篇
映画の誕生から今年で125年(因みに映画歴年は1895年から今年2020年)。これまで長年、映画と文学は、切っても切れない相愛の縁で結ばれてきた。今日までの全世界における全映画作品総数が、いったいどのくらいに至るのか全く分からないが、例えば原作ありの作品と、原作なしのオリジナル作品との比率は、果たしていったいどのくらいなのか。「MARTIN EDEN」について書いていた、たった今この瞬間にそんな連想を自分に投げかけてみた。
それもこれも、この純粋なアメリカ文学「マーティン・イーデン」が、純粋なイタリアン・シネアーティストの手で映画化された幸福な実例に接し得たとき、まだまだ映画には更なる未来があると感じ入った。
文:関根忠郎
『マーティン・エデン』は2020年9月18日(金)よりシネスイッチ銀座、YEBISU GARDEN CINEMAほか全国順次公開
『マーティン・エデン』
貧しい船乗りマーティンが優雅なブルジョワの“高嶺の花”エレナに恋したことから作家を目指し、幾多の障壁と挫折を乗り越えてついに名声と富を手にするが……。果たして彼を待ち受けるのは希望か、絶望か――。
制作年: | 2019 |
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監督: | |
出演: |
2020年9月18日(金)よりシネスイッチ銀座、YEBISU GARDEN CINEMAほか全国順次公開