草彅剛が“凪沙”としてそこにいる
映画『ミッドナイトスワン』(2020年9月25日(金)公開)で、草彅はトランスジェンダー女性(男性の身体で産まれ、性自認が女性の人。以下、トランス女性)の凪沙を演じているが、映画の中では凪沙という一個人としてそこにいる。都会の片隅で生きることに必死な凪沙は孤独な少女、一果との出会いによって、新しい自分を見出していく。憑依型、自然体、天才……そんな言葉では言い尽くせない。あくまで一人の人間として役と対峙し、特別視せず、「ふわっと」そうなってしまう。その人間としての力が、この人を特別な存在たらしめているのだろう。インタビュー中も全く気負わない笑顔が印象的だった。
「服部樹咲ちゃんの存在感がすごい。良い意味で僕をゼロにさせてくれた」
―役作りの上で、凪沙という名前を選んだ理由とか、上京してからの生活とか、そういう背景の話を内田英治監督とされましたか?
全然してないですね。多分、凪沙本人が考えたんだと思うんですよね。たまたま僕も草彅なので、ナギつながりで(笑)。僕にとっては台本に書かれていることがすべてというか、内田監督の世界観が、台本を読んだ時に鮮烈に響いてきたので、裏設定とかを考えなくても、自然な形でやれました。すごく台本に力があったから、無意識のうちに書かれていない凪沙の背景とかも感じ取れたのかな、というところはありますかね。
―特に監督とはディスカッションとかもなく?
そうなんですよね。今回は本番前のテストもなくて。監督がそういうスタイルだったので、別に困ったこともなかった。あまり考えて演じる役でもないというか、もしかして何度もテストしたり、作り込んだりしちゃうと考えすぎちゃって、このような形では演じられなかったんじゃないかな、と。僕としては非常に楽な形で演じさせてもらったというか、好きにできましたね。
―好きにできた、というのは具体的にどんな感じですか?
好きに動くというか、ここのセリフはこういう風に言おう、とか思わずにやって、それで監督がOKを出してくれたので、この方向性で合っているんだろうな、って思ってやっていました。一果(服部樹咲)には監督はずっとディスカッションというか、話をしてたんですが、僕には何も言わない。そのバランスがとてもよくて。僕を信頼してくれたのか、僕も監督はあえて言ってこないのかな、と思ったりして。日に日に、お互いに目指している凪沙が掴めていったというか、監督もやりながら掴んでいったところがあったのかもしれないですね。
―一果への凪沙の目が、どんどん母親のものになっていきますね。
服部樹咲ちゃんが今まで演技をしたことがない故に、僕の目の前にいるのは“一果”だったんですよね。それに僕はびっくりしたというか。監督にいろいろ言われていて、本当に大変そうだな、ちゃんとお芝居できるかな、というのも含めて、すごく愛おしくなってきたんです。そういうのがうまく相まってというか、役を超えて“守ってあげたい”って思わせてくれて、逆に僕は勉強になったというか、いろんな作品に出ていますけど、そういうことじゃないんだな、って。僕が今までどんな演技をしてきたとかは関係ない。すごく純粋な、女優さんとして生まれたてでそこにいる彼女を見ていることで、本当に良い意味で僕をゼロにさせてくれた。
アパートにいるときは田舎から来た女の子なんだけど、バレエを踊り始めると周りの空気を変えてしまう存在感がすごい。僕もそうですが、役とのめぐり合わせというのがあって、今回はスペシャルな奇跡がみんなに起きていた。だから僕も何も考えないで、スラッとできたんじゃないかな、って。僕も彼女に刺激を与えたいなと思って一所懸命にやったのもあるし、すごく相乗効果があって、演じ切れたのかなと。
「差別や偏見ということについて、いろんな方が何か考えるきっかけになったらいいなと思う」
―女性に見えるように、ということは考えましたか。
特に考えなかったですね。今まで会ってきた女の人のことを考えてたのかな……考えてないけど(笑)。歌舞伎の女方さんの映像を観て、参考にしたりはしました。
―凪沙は一果と共に生きるために、ある命がけの決断をしますが、もし自分だったらどうしますか?
僕はしないですね。人のために生きるというより、まず自分が健康で、自分がちゃんとしてないと疲れちゃうので。もし自分に子供ができたらっていうのは、ちょっと思うけれど。基本的に僕は自分重視なので、それから人を助ける。凪沙のように自分を犠牲にするような部分は、僕にはないな。やっぱり、凪沙はお母ちゃんだから、なんでしょうね。母親ってそうなのかもしれないって思いましたし、自分の母親のことを考えたりしました。思えば、僕が熱を出した時にうちの母ちゃんが心配してくれたとか、そういうときの母親の気持ちって「自分はどうなってもいいから、この子を助けたい」っていうもの。それがこの年で初めてわかったんですよね。この作品をやったからわかったというわけではないんですけど、ちょうどそういう年齢になった時に、この役が来たから演じられたのかな、とは思います。本当にこのタイミングでしかできない役だと思いますね。
―現在、ハリウッドを中心にトランスジェンダーの役はトランスジェンダーの俳優がやるべき、という意見もあります。スカーレット・ヨハンソンやハル・ベリーが、トランス男性(女性の身体で産まれ、性自認が男性の人)の役から降板したりもしましたが、その点、葛藤はありましたか?
僕にとってはやったことのない役なので、葛藤というか、トランスジェンダーだからということではなく、医者の役でも、刑事の役でもそうだし、どれも自分が経験したことのない役という意味では同じです。だから僕はそこが気にならないというか。いろんな意見があるかとは思いますが。
―実際にトランス女性の方にお話を聞かれたそうですね。
映画にもその方は出ています。トランスジェンダーだからって普通ですよ。お会いしたことで、凪沙も特別な人ではなくて普通なんだな、ということが改めてわかって安心しました。そういう意味では役作りにとてもなったというか、「トランスジェンダーだからこういう気持ちでいないと」とか、「こういう話し方じゃないと」とかは全くなくて。むしろ今の僕でいいんだ、とその方にお会いして思えたんです。世の中にはいろんな方がいるわけですよね。トランスジェンダーも、男も、女も。そういうことなんだな、って思いました。
―凪沙を草彅さんが演じる意味というのはあったと思います。
差別や偏見ということについて、いろんな方が何か考えるきっかけになったらいいなと思うし、実際、凪沙みたいな気持ちを抱えて苦しんでいる方も少なからずいると思います。そういう方にとっても勇気づける役割を僕ができたらとも思うし、そういう要素も含まれている。けれど、映画として、作品として、エンターテインメントにもなっているので、いろんな方に観ていただきたい、というのはありますね。
「ふわっと、流れのままに。逆らわないといけない時がきたら、スイッチを切り替えればいい」
―草彅さんには、どこか人を温めることができる、寄り添える部分があるんだと思います。大人用紙おむつのCMも拝見しましたが、衝撃的なようで全然、衝撃じゃないという、矛盾して聞こえるかもしれませんが、何事も特別視せずにいるのが、草彅さんの役者としての貴重な個性なのではと感じています。
いやいや、みんながそうさせてくれてるんですよ。そうなんですよね、そのコマーシャルもすごく大きな役割を僕に与えてくれて、あまり大袈裟な感じじゃなく、ふわっと伝わるのがいいんじゃないかな、って。そういう大袈裟にしない、という意識はしてるかもしれないですね。今回の役もわざとらしくならない感じで伝わればな、と思ってましたね。
―“ふわっと”というのがキーワードなんでしょうか。あまり力を入れすぎない?
そうですね、ふわっと。さっきも言ったけど、トランスジェンダーの方に会って、今の僕でいいんだな、何もしなくていいんだな、って思わせてくれるその環境というか。そこに僕は居られるので、自分で何かすごいアクションを起こさなくても演技ができる。でも、それはみんなで作っているんですけど。ふわっと、流れのままにというか。多分どこかで流れに逆らわないといけない時もあるとは思うんです。人生だったり、役だったり、そこへのアプローチというか。でもなんかね、そういう時が来たら来たで、スイッチを切り替えればいいなというくらいに思っていて。あとは本当に、なんか毎日、今日はここまでの撮影でした、じゃあ帰って寝よう、みたいな感じで(笑)。それで気づいたら、別に大変じゃなく終わってた、みたいなところがある。
―ついつい観る側は、すごいチャレンジだと思ってしまう部分があるんですよね。
そういう時の方が、自然に行っちゃうことが多いという気がします。
―今年初めの舞台「アルトゥロ・ウイの興隆」でも、何か一線を超えていく瞬間があり、恐ろしいものがありましたが、あれも意識せずなってしまうんですか?
うーん、あれは結構大変だった。舞台は。(演出の)白井(晃)さんがすごい攻めてくるので(笑)。でも苦ではないというか。
―意識的にスイッチを入れる感じだったんですか?
そこは映画と舞台でパターンが違うというか。舞台だと「もう1回やろう」とは言えないじゃないですか?(笑)。映画だと、本当はいけないんですけど、今回はテストをしなかったこともあって、ダメだったらもう1回やればいいんじゃないかな、って僕は思っていたのもあって、自然に任せる部分がある。でも、「アルトゥロ・ウイ」も大変だったけど、そんなに大変じゃない。いや、でも大変だったんだけどね(笑)。その意味では、すごいスイッチ入れてやってる、っていうわけじゃないんですよ。あれもやっぱり、その環境に置かれるとそうなるという。白井さんに赤いスーツを着せられて、「なんで?」って思っているうちに(笑)。そんな感じなんです。
取材・文:石津文子
写真:町田千秋
『ミッドナイトスワン』は2020年9月25日(金)より公開