夏のバカンスと言えば、海。白いビーチに青い海と空は“お休み”という解放感を、燦々と降り注ぐ日光は心と体の健康を保つホルモンの活性化をもたらします。海に行くことがままならなかったこの夏。少し遅めのバカンスを、映画の中のビーチで過ごすのはいかがでしょう? 元気になること請け合います。お勧めのビーチはこちら!
トールグラスカクテルの似合うビーチ『マンマ・ミーア!』
まずはギリシャの島のビーチへ! 映画は、メリル・ストリープとアマンダ・サイフリッドが母娘を演じた『マンマ・ミーア!』(2008年)。スウェーデン出身のポップグループ「ABBA」の大ヒット曲にのせて、結婚するにあたり実の父親に会いたいと画策する娘ソフィ(アマンダ・サイフリッド)と、その娘を一人で育てた母親ドナ(メリル・ストリープ)の再出発が描かれる。
舞台はギリシャ。母ドナはホテルを営んでおり、エーゲ海の架空の島カロカイリにあるという設定。実際は、スポラデス諸島にあるスコペロス島で撮影された。豊かな自然と昔ながらの家並みが残る、歴史あるこの小さな島には人口に比べ、多すぎるほどの教会と修道院がある。結婚式のシーンに使われた丘の上のアギオス・イオアニス教会もそんなひとつ。教会の多くは、東ローマ帝国時代に建てられた東方正教会(ロシア・中東・東欧を中心とするキリスト教派)なのだそう。ドナやかつての恋人サム(ピアース・ブロスナン)がパリからやってきたように、この島は移動する人を定住させ、歴史を重ねてきた。
スタッグ・パーティ(独身最後の夜を楽しむパーティ)に出かける婚約者のスカイ(ドミニク・クーパー)が、ソフィと「Lay All Your Love On Me」を情熱的に歌い上げ、新郎の友人たちがコミカルなダンスを踊る場面や、結婚式のためにやってきた母ドナの旧友ターニャ(クリスティーン・バランスキー)が現地のイケメン青年ペッパー(フィリップ・マイケル)をあしらいながら「Does Your Mother Know」を歌い踊る場面は、島の西側にあるカスタニビーチで撮影。撮影当時は何もないビーチだったが、現在は映画のようなバーコーナーが建てられ、リゾートビーチとして麗しく整備されている。透明度の高い海もヒーリング効果抜群!
「マンマ・ミーア」「ダンシング・クイーン」「マネー、マネー、マネー」「ヴーレ・ヴー」などABBAの名曲が楽しめる作品。トールグラスに入った夏のカクテルとともに鑑賞することをお勧めしたい。
命の始まりと終焉のビーチ『ポルトガル、夏の終わり』
次は大西洋のビーチ。『ポルトガル、夏の終わり』(2019年)の舞台、ポルトガル・シントラからほど近いリンゴの浜(プライア・ダス・マサンス)と呼ばれるビーチへ!
『ポルトガル、夏の終わり』は、死が迫っていることを知った女優のフランキー(イザベル・ユペール)が、世界遺産の町シントラに、それぞれに問題を抱えた一族と親友を招き、夏の終わりの一日を過ごす物語。
フランキーの再婚した夫ジミーにブレンダン・グリーソン、その娘シルヴィアにヴィネット・ロビンソン、元夫ミシェルにパスカル・グレゴリー、ミシェルとの息子ポールにジェレミー・レニエ、年の離れた親友のヘアメイクアップアーティスト、アイリーンにマリサ・トメイ、その恋人で撮影監督のゲイリーにグレッグ・キニアの豪華キャストに加え、シントラという歴史ある都市自身も、主要キャストの一員として大いに物語を語る。
なぜシントラがそれほど大きく物語に関与しているのか? それは監督のアイラ・サックスが、この地でシナリオハンティングしたことで生み出した物語だから。様々な宗教が交差したシントラは、生と死、神秘と脅威、愛と暴力を感じさせる町。多くの芸術家に愛され、19世紀のイギリス・ロマン派の詩人バイロンは「この世のエデン」と評した。ポルトガル王家の夏の離宮がある場所としても知られている。
映画には、義兄ポールに思いを寄せるシルヴィアたちが密会し、フランキーと親友の恋人ゲイリーが出くわすイスラム風タイルの美しい東屋が登場する。このシーンが撮影されたのはペーナ宮殿周囲の公園。ポルトガルは12世紀に王国として独立。19世紀の国王は、シントラにあった修道院を、イスラム様式、ゴシック様式、ルネサンス様式、マヌエル様式を取り入れた夏の離宮として建て直した。ペーナ宮殿の在り様は、様々な宗教や文化が交差したシントラそのものだ。撮影が行われた公園は、その庭園となる。この地には他にも、シントラ宮殿、ムーア城などの城があり、それらはペーナ宮殿から眺めることができる。
黄昏へと向かうトーンで描かれる中、強烈な色調で描かれるのがリンゴの浜(プライア・ダス・マサンス)。反抗期にあるシルヴィアの娘マヤが、夏だけ運行されるトラムに乗って出かける、ユーラシア大陸の西の果てロカ岬に近いビーチだ。彼女はそこで恋をする。「アダムがイヴを誘惑した地」と表現される生命力あふれるリンゴの浜で。美しいリンゴの浜の周囲には、シーフードレストランやテラコッタカラーのリゾートホテルが立ち並び、ワイン用のブドウやリンゴなど果樹園が広がっている。
映画は最後、見事な舞台を用意する。シントラ山脈の最高峰ペニーニャの聖域だ。遠くロカ岬をも見渡せるサンクチュアリ。サンクチュアリというわけは、ある飢饉の年、貧しい羊飼いの青年が逃げた子羊を捜す中で、見知らぬ女性から村人全員のパンを施された話が元になっている。ペニーニャ修道院は、パンをもらった村人が感謝を込めて、青年が女性と出会った場所に建てたもの。
このサンクチュアリでは、誰であろうと等しく、必ず登った山は下りる、という人生の真理を見せてくれる。ユーラシア大陸の西の果てで一つの生命が終わろうとし、海の始まりでまた生命が始まる。生きるというテーマの描かれ方に、心の奥がじわりと反応する。
ビーチで体操気分!?『めがね』
最近では、嵐のニューシングル「IN THE SUMMER」のミュージックビデオのロケ地としても知られる与論島。ビーチの美しさでは日本有数のこの地は、荻上直子監督の『めがね』(2007)の舞台だ。
携帯電話のつながらない場所に行きたい。そう思った女性タエコ(小林聡美)は、大きなトランクを引きずり、プロペラ機に乗ってこの島にやってきた。
浜辺には小さなかき氷屋が一軒。店主は、ミステリアスな女性サクラ(もたいまさこ)。彼女は、毎春、かき氷をふるまうためだけに来島していた。皆からこのかき氷を食べるよう勧められるタエコだが、初めは頑なに拒否。だが、あるきっかけで一口食べるや「はっ」と何かを悟ったような顔をする。かき氷にかかったあずきソースのおいしさになのか? サクラの存在になのか?
島民に自作の「メルシー体操」の指導も行うサクラは、春以外は、チベットでヨガを教えているだの、プラハでオペラ教えているだの、謎めいている。自分自身が旅人であるにもかかわらず、サクラは人々が交差するのを見守る存在。タエコが泊る民宿のおやじハマダ(光石研)は、サクラのかき氷に惹かれて移住してきたと吐露する。サクラは、あずきを煮ながら誰にともなくいう。「大切なのは焦らないこと。焦らなければそのうちきっと……」と。
サクラがメルシー体操を行うのは、与論島の寺崎海岸。この体操、家の中にこもる時間の長い今、体を動かすにもぴったり。ビーチ気分が味わえて、体操までできる映画は貴重。
受け入れてくれる海『千と千尋の神隠し』
宮崎駿監督の大ヒット作『千と千尋の神隠し』(2001年)に登場するのは、神様専用の派手な銭湯“湯屋”の周囲に広がる、ボリビアのウユニ塩湖のような涼しげな遠浅の海だ。
https://youtu.be/etiQRSOkOIg
郊外の新興住宅地に転居する途中、道を間違えて八百万の神が穢れを落としに来る湯屋に迷い込んでしまう千尋の一家。名前を奪われ、“この世”に戻れなくなった千尋は、彼の地の食べ物を口にして豚になってしまった両親を救うため、経営者である魔女・湯婆婆と契約。ミステリアスな少年ハクに助けられ、暴れる化け物カオナシをなだめ、湯屋で働く。
森を切り拓いて造られた新興住宅地と、歴史を重ねた町の境にはたいてい神社仏閣がある。千尋たちが入り込んだのは、このあわい(間)だろう。そこは神と人間が出会う場所であり、そのどちらでもないカオナシのようなものも存在する場所。カオナシは、千尋やハク同様、湯屋にやってきた異物。ただ2人と違って物でしか他者との関係を作れず、名前どころか、顔すら無くし、人間世界にも、神の世界にも行けずにいる。
そんなカオナシを唯一受容するのは遠浅の海だ。海はもともと千尋たちが歩いてきた丘陵だったところ。その海の上を単線の列車が走る。千尋はカオナシを連れ、その列車に乗って、ハクを救いに湯婆婆の姉・銭婆のところへ出かける。この海、宮崎監督や美術監督の武重洋二は、何にインスピレーションを得て描いたものか……。気になる。
湯屋の外観のモデルのひとつは、スタジオジブリが社員旅行で訪れた愛媛県松山市の道後温泉だという。
海のモデルは特に明かされていないが、道後温泉から電車で1時間強のところに、海に浮かんでいるように見えるプラットフォームがある。JR予讃線下灘駅(愛媛県伊予市双海町大久保)だ。日常が戻ったおりには、ジブリファンならずとも訪ねてみたい場所。エモーショナルだ。
ちなみに遠浅の海を思わせる場所も大分県にある。ウユニ塩湖のように海の上を歩く写真が撮れる人気スポット、干潟の真玉海岸(大分県豊後高田市)だ。夕日とともに写すのがポイントらしい。
村を救うべく航海に出るプリンセス『モアナと伝説の海』
海の美しさなら『モアナと伝説の海』(2016年)だ。マオリ語で“海”という名を持つモアナは、海に選ばれた少女だが、海の恐ろしさを知る父親に、幼い頃から海に近づくことを禁じられていた。
あるとき闇の侵食を受け、島の食料が枯渇する。その昔、半神マウイが、女神テ・フィティの“心”を盗んだため、闇が広がったのだ。島の人々を救うため、カヌーを漕ぎだしたモアナは、サンゴ礁を超え、外洋へと漕ぎ出す。
舞台となったのはポリネシアの架空の島モトゥヌイ。ポリネシアには、サモアやトンガ、ツバルなどの独立国からフランス領、アメリカ領の島々まで、オーストロネシア祖語を使う人々が住む。オーストロネシア祖語の文化圏は、台湾からニュージーランド、マダガスカル島からイースター島まで、ミクロネシア、メラネシアを含む太平洋に広がる。
なぜそのような広域に、同じ言語、文化を持つ人々が住むのか? それはコンパスも動力も船を作る重機もない時代に、アジアから太平洋に向けてアウトリガー式カヌーでの大航海が行われたからだと言われている。諸説あるが、1度目は6000年から4000年前にかけて台湾あたりから、2度目は3500年前から1500年前にかけてサモアやトンガを基軸に移動が行われた。その間、まったく航海が行われなかった“ロング・ポーズ”と呼ばれる時代があり、それが『モアナと伝説の海』のモチーフになっている。
モトゥヌイ島の人々は、長い間、外洋に出ていない設定。それは、モアナの父である村長が海の事故で親友を失ったことと、衣食住に足りていたことに起因するが、食料難となり、モアナを送り出さざるを得なくなる。現実にも、オーストロネシア語を話す人々が再び航海を始めた理由に食料難などがあげられる。
航海を始めたモアナは、海とマウイから様々なことを学ぶ。海流の読み方、星の見方、船の操り方、そして何かを変えるためには自ら行動しなければならないことを。プリンセスではなく、村長の娘ではあるが、海を操る能力を開花させていくモアナは、雪を操るエルサ(『アナと雪の女王』)と対になっているようにも見える。
先が読めない航海において大切なのは、海と魂を通い合わせること。海を知り、信頼するしか生きるすべはない。このテーマは、海を人に置き換えても適合する。そうすると不思議。ここに挙げた映画すべてに通底するテーマともなった。
文:関口裕子
『ポルトガル、夏の終わり』2020年8月14日(金)よりBunkamuraル・シネマ、ヒューマントラストシネマ有楽町、新宿武蔵野館 他全国順次公開
『マンマ・ミーア!』『めがね』はAmazon Prime Videoほか配信中
『モアナと伝説の海』はディズニープラスで配信中