閉塞的な環境、歪んだ家族関係……超パーソナルなテーマを映し出す
第91回アカデミー賞と第71回エミー賞にWノミネートを果たし、あのオバマ前大統領が<年間ベストムービー>に選んだというドキュメンタリー映画『行き止まりの世界に生まれて』。本作の主な舞台となるイリノイ州ロックフォードには馴染みがないかと思うが、それもそのはず、アメリカで“ラスト・ベルト(錆びついた地帯)”と呼ばれている、つまり不況によって空洞化まっしぐらとなった工業地域の、いわゆるシケた街なのだ。
そんな街を舞台にドキュメンタリーを製作したのは、同地で青春時代を過ごしたビン・リュー監督。十代半ばの頃に撮ったスケボー映像をきっかけにドキュメンタリー製作を思い立ったビンは、ロックフォードで同世代の若者たちと再会する。彼らが抱えていた将来への不安、親世代とのしがらみ、貧困の連鎖が招く負の感情……それらに共感を覚えた監督が淡々と、しかし誠実に映し出したのが『行き止まりの世界に生まれて』だ。
主な登場人物は、ロックフォードに暮らすキアーと彼の兄と母、ザックと彼女のニナ。そしてビン監督自身と母、そのほか多くのスケーターたち。ブルーカラーの白人が多いコミュニティゆえか、黒人としてのアイデンティティーを強く押し出さないようにしているにようにも見えるキアーは就職に悩みつつ、しつけに厳しかった亡き父の影を引きずっている。お気楽白人な風情のザックはニナとの間に子どもを設けるも頻繁に衝突しアル中気味になり、パリピ的な交友関係に逃げつつ極貧生活にストレスを抱えている。
ド田舎に暮らす若者たちの八方塞がりな人生をテーマにした作品は数あれど、本作が一線を画しているのは、やはりその“普通さ”ゆえだろう。派手さは皆無だが、10~20代のごく普通の若者たちの状況や心理を真正面から捉えた超パーソナルなドキュメンタリーとして、代えの利かない切実さと瑞々しさを湛えた奇跡的な作品に仕上がっている。遠くアメリカに住む彼らの物語が胸に迫ってくるのは、その言葉に嘘くさいところが一切ないからだ。
嫌なことも忘れられる! 痛みを抱えた若者たちを救うスケボーの癒やし効果
過疎化しただだっ広い元工業地域は、思いっきりスケボーをするのには向いているかもしれない。しかし、かつてアメリカの産業を支えた同地域がIT化やグローバル化に伴い仕事が国外に流れたことで大不況に陥り、その結果トランプ大統領の誕生に貢献してしまったという事実からは、この街に住む登場人物たちが抱えている問題の一端が透けて見えてくる。その負の連鎖から抜け出す手段のひとつがスケボーであって、彼らの自己表現のツールでもあるこのカルチャーには、キアーが自分の板に書きなぐっているように、まるでドラッグのような癒やし効果があるのだ。
何かつらいことがあってもスケボーさえできれば最高、悲しいときもスケボー、怒りをぶつけるのもスケボー。本格的にハマった経験がない人でも、車や人の少ない道路を疾走したこと、必死でオーリーの練習をしたことがあれば、込み入った思考を開放してくれる不思議な感覚を味わったことがあるだろう。劇中、スケートショップ店主の「スケボーはクールなスタイルだとか友達作りのツールじゃない、人生になるんだ。ここから抜け出せるかもしれない」という言葉は、スケボーが持つ可能性を示している。
キアーを通して、スケボー仲間同士でも感じざるを得ない人種間の溝も見えてくる。ホワイトトラッシュを引き合いに出して「苦労してる白人もいる」と言う仲間もいるが、低所得の黒人家庭に生まれた者の苦しみは別次元だろう。ザックも彼女との間に子どもを授かるがアルコールに溺れ堕ちていき、キアーと徐々に疎遠になっていく気まずさも描かれる。幼い子どもはどんどん成長していくのに、世間が押し付ける“正解”を拒絶し現実を受け止められないザックの姿は、見ていてかなりつらい。そして監督であるビンも、自らのトラウマと対峙する。継父から受けた暴力はビンの心に暗い影を落としていて、カメラの前で母親と本音をぶつけ合う。
貧困や暴力の連鎖から抜け出せただろうか? 鑑賞後も“彼ら”のことが気になる傑作ドキュメンタリー
どんな俳優の名演技よりも、どんなドラマチックな事件よりも、どこにでもいそうな彼らが発した屈託のない言葉が胸をザワつかせる。自分から意見はせず、ただ話を聞き、逆に聞かれたら率直に答えるビン。キアーやザックにとっては、カメラの前で話すことが自分を見つめ直すセラピーになっているようにも見える。それは複雑な家庭環境のトラウマから逃れ、スケボー仲間に家族を求めたビン自身にとっても同じことだったのだろう。
「いつも給料日の1週間前に金がなくなる」という、無ケーカクに人生を浪費してしまった過去のある人ならば共感必至の言葉も飛び出す本作。ゲラゲラ笑いながらスケボーしていた頃の姿を経て、最後に少しだけ逞しくなった現在の姿を見ると、思わず涙がこぼれてしまう。家族、友人、愛、日々の生活、ほんの数年先の将来、なにもかもが不安定だけど、今日より少しでも良い明日を送るために、とにかく生きていくしかない。
いま彼らは、このコロナ禍でどう過ごしているだろうか? 会ったこともない青年たちに、つい想いを馳せてしまう。彼らと同世代の若者も、とうの昔に青春時代を終えた世代も、ぜひ体験して欲しい傑作ドキュメンタリーだ。ひとしきり泣いてからもう一度観返すと、冒頭のスケートシーンからぼろぼろと涙がこぼれてくる。
『行き止まりの世界に生まれて』は2020年9月4日(金)より新宿シネマカリテ、ヒューマントラストシネマ渋谷ほか全国順次公開
『行き止まりの世界に生まれて』
「アメリカで最も惨めな町」イリノイ州ロックフォードに暮らすキアー、ザック、ビンの3人は、幼い頃から、貧しく暴力的な家庭から逃れるようにスケートボードにのめり込んでいた。スケート仲間は彼らにとって唯一の居場所、もう一つの家族だった。いつも一緒だった彼らも、大人になるにつれ、少しずつ道を違えていく。ようやく見つけた低賃金の仕事を始めたキアー、父親になったザック、そして映画監督になったビン。ビンのカメラは、明るく見える3人の悲惨な過去や葛藤、思わぬ一面を露わにしていく――。
制作年: | 2018 |
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監督: |
2020年9月4日(金)より新宿シネマカリテ、ヒューマントラストシネマ渋谷ほか全国順次公開