役者にはなれない、機械もダメ……監督以外なにやるの?
僕にとっては映画の仕事がしたい、イコール監督になるっていう選択肢しかなかったわけ。役者になれるとは思ってなかったから。美少年でもなければいい男でもないし、身体能力もないから、回し蹴りもできないし、機械がダメな子どもだったので、カメラとか照明とか選択肢としてなかった。そうするとさ、監督以外何やるの? っていうね(笑)。プロデューサーっていう存在すら知らなかったから。
映画いいかなって思ったのは、確か……高校の時かな。高校の途中までは絶対にSF作家になると決めてた。自分で勝手に本も作った。っていっても手書きで作っただけだけど(笑)。「押井守 SF傑作短編集1」とかね、本のカタチにしたんですよ。それぐらい作家になりたかった。本出すってことは素晴らしいことだっていうさ。どこで変わっちゃったのかっていうと……高校の時に色々あって、学校に行かなかったんですよ。たぶん半分くらいしか行ってないと思う。どこ行っていたのかっていったら、映画館に逃げ込んでいた時期があるわけ。たぶん、その時からだと思う。映画を作りたいなっていうか、映画監督になるっていうことと直結してたから。
たぶん大学に入って2年目くらいじゃないかな。漠然と選択肢には入っていたんですよ。SF作家になるか……あとマジメにね、彫刻家になりたいと思った時期も一瞬だけあった(笑)。あと学者さんになりたいとか、博物館の学芸員で、はく製の埃を払いながら一生を終えたいとかね、割とそういう爺くさいことばかり考えてたわけ。早く隠居したかった。現実関係が面倒くさくて嫌いだったから。世界と関わらないで生きたいと思ったわけね。だからSF作家だったりとか……SF作家って別に、世界と関わらないで生きていけるのかっていったらそんなことないんだけどさ、当時はそう思ってたの。自分の妄想書いてりゃいいんだと思ってたからさ。
『2001年宇宙の旅』を見て、脳天に一発食らった、痺れて立てないくらい。
『2001年宇宙の旅』(1968年)は、SF作家になりたくてしょうがなかった頃に観た映画。SF映画を作りたいっていうんじゃなくて、「SFで一生いきたい」と思ったわけ。高校生だったからね。当時は“シネラマ”って言ってたんだよね、70ミリ映画。スクリーンが横に倍あるんですよ、異様に横長の世界。はっきり言って当時の70ミリ映画っていうのは、ドラマがどうこうじゃなくて単純に“見世物”だったんですよ、当時の認識は。
確か東京ではテアトル東京でしか上映してなかったと思うんだけど、そこに観に行った。当時はもちろんSFの知識があったから、アーサー・C・クラークももちろん読んでた。(スタンリー・)キューブリックは知らなかった(笑)。で、封切になってすぐ行ったんですよ。映画館の前にモノリスが立ってましたからね。
かなり前のほうの席で観たので、首がね……スクリーンが大湾曲してて。宇宙船がね、しなってるんですよ(笑)。だからまともな映画観賞っていう感じじゃないんですけど、感動したの。めちゃくちゃ感動した。脳天に一発食らったっていう、痺れて立てないくらいだった。
いま思うと何をそんなに感動したのか良くわかんないですけど、ただ間違いないのは“音楽”にやられた。観た翌日にレコードを買いに行ったの。それははっきり覚えてる。電車に乗って、隣街かなんかだと思うんだけどレコード屋さんに行って、探して買った。で、その時に店にいたお姉さんがとっても素敵な人で、高校生だった私に懇切丁寧に応対してくれて、なおかつ「素敵なジャケットね」っていうさ。「ツァラトゥストラ聴くのね、キミ」っていう。すっかり舞い上がっちゃって、しばらく通った(笑)。
昔はさ、レコード屋のお姉さんっていうのが一ジャンルだったんですよ。高校生だから、クラスの女の子とかじゃなくて、ちょっと年上の素敵なお姉さんに一発で痺れたんですね。しかも優しくしてもらったもんだから舞い上がって(笑)。
CGでは“空気”は映らない、模型作って撮った意味がある
この映画の正体が分かったのは、初めて観てから30年くらい経ってから。人間の進化の歴史とかに興味を持って、自分でそういう本を書いたりして。要するに狩猟仮説ってやつだけどさ、「人間はなぜ人間になったか」っていう。そういう思想的背景っていうか、そのまんま映画にしたような、そういう映画ですよ。ストーリーがすごいとか、ドラマがすごいとか、役者さんがすごいとか、そういう映画じゃないんですよ、思想そのものっていう。それは解るまでにずいぶん時間がかかった。
それなりに本を読んだり、勉強したりしないと、この映画のバックグラウンドって分からないですよ。単純にビジュアルがすごいっていうさ。こういう映画って、いまCGでもできないですから。でっかい模型作って撮った意味があるんです、確かに。CGでこれやったらもっとすごいものができるだろと思ったら大間違いでさ。CGって空気は映らないから。だから僕はね、これはCGがない時代にこれを作ったっていうことのすごさっていうものが、いまだにあると思う。CGっていうのはあっという間に古くなるんだけど、どんな表現でも。アニメーションと一緒で、人間の手が作ったものってね、最後まで妙な迫力があるんですよ。作画でやったアニメーションって30年経ってもね、ある種の迫力がある。説得力がある。
だからこの映画は、僕の中のSFってものを舞台にした、いちばん多感だった時代の青春みたいな、ものすごく恥ずかしい……記録(笑)。いま観たら全然違う映画ですよ? 当時は何を観てたんだっていう。だから映画って、再会しないとダメなんですよ。何十回観たってね、それから30年経って観たらびっくりするくらい違う。本当にいい映画の場合はね。
宇宙空間を感覚的に表現した、初めての映画
この映画を観て「良い」っていう人間の半分以上は、たぶん音楽で覚えてるんだと思う。それぐらい強烈だった。宇宙空間っていうものを表現するのにね、ツァラトゥストラ(※「ツァラトゥストラはかく語りき」)と、あとはワルツの「美しく青きドナウ」っていうさ。宇宙空間を感覚的に表現した、初めての映画ですよ。広がりとか、虚無感とか、静寂とか。
宇宙って、いちばん表現しにくいもののひとつなんですよ。宇宙の表現って、映画が後々になればなるほど上手くなるかっていうと、そうなってない。いまだにこれを超えるような宇宙空間の迫力っていうか存在感っていうかね、そんな映画ってたぶんないと思う。
SFでもあるんですよ、宇宙を言葉でどう表現するか? っていうさ。初めて宇宙を日本語にした、光瀬龍っていう作家が大好きなんですけど、彼の最大の功績だと言われてますよね。映画で言えば、この映画です。宇宙の存在感みたいなものをこれ以上に表現できたものは、たぶんいまだにないと思う。本当にエポックメイキングな映画っていうのは、そういうことを指すんですよね。全く違う次元の体験を作り出しているという、これはとても大事なことなので。映画の本質みたいなものだから。生涯に一本でも作れたら……大体無理なんだけど、僕は40年近く映画作っているわけだけど、そこまでは全然いってないですよね。そういうものをいつか作りたいっていう野望はあったとしても。
エポックメイキングな映画を同じ監督(リドリー・スコット)が2本撮った。それはもちろん『ブレードランナー』(1982年)と『エイリアン』(1979年)のことです。こんな監督はもう、二度と出てこないですよ。しかも80過ぎて、まだ現役。結局この映画っていうのは、僕にとっては確かにエポックだった。ただそれは、当時思っていた意味とは全然違っていたけど、再会して解ったこと。
トリュフォーと同じ立場になって、現場で映画を撮って分かったことは
『映画に愛をこめて アメリカの夜』(1973年)に関してはね、言うことが山ほどあるんですよ(笑)。っていうのは、見事に騙されたっていうね。何て言ったらいいんだろう、これは確か学生の時に観たんですよ。大学2年生ぐらいだったかなぁ。はっきり覚えてないんですけど。封切で観たのか名画座で観たのかも覚えてない。ただ観た直後の印象っていうか、感情だけははっきり覚えてる。もう「映画監督になるしかない!」と思い込んでた。ていうか、映画監督にならなきゃ生きていけないと思った。
有名なセリフがあるんですよ、劇中で。トリュフォーが言うんですよ、「君や私のような人間はね、映画の中でしか幸福になれないんです」って。だから、現実との折り合いなんて諦めろって話なのね。それに痺れた。っていうか、自分もそうだと思い込んじゃったんですね。だから、映画監督にならないと生きていけないと思い込んじゃった。選択の余地がないと思ったわけ。「映画監督になるしかないんだ、もう」っていうね。じゃないと幸せになれないっていうさ。
まあ後に映画監督になったわけだけど、映画監督になって判明したことは……全部ウソとは言わないけれども(笑)。実際にトリュフォーと同じ立場になって、現場で映画を撮って分かったことは、トリュフォーが言ってたことはウソじゃないんですよ。「映画監督っていうのは質問に答えることが仕事だ」とかね。いろんないいセリフがいっぱいあるんですよ。で、いちいち思い当たったの。
いちばん有名なセリフだけど「映画を作るっていうのは旅をするようなもんだ」って。希望に溢れて出発するけど、最後はね、到着すること以外は何も考えないんですよ。その通りなんですよ。確かにトリュフォーの言ったことはウソじゃなかった。ただ根本において、いちばん肝心なこと言ってないじゃん! っていうさ(笑)。
それが何かって一言では言いづらいんだけど。このサブタイトルが『映画に愛をこめて』っていうさ。登場人物全員が映画を愛してるわけですよね、言ってみれば。全員が映画の仕事以外では幸せになれないタイプの人間っていうさ。明けても暮れても映画っていう。撮影中でも撮影が終わっても映画の話しかしてない。確かにそれは、現実の映画業界っていうのもそういうもんなんだけど。
映画監督って“ファイター”なんだ。必要とあれば皆殺しにする覚悟が必要
僕は「映画を愛してる」っていう言葉に、すごく拒否反応があるの。どっかの映画祭でもさ、『イノセンス』(2004年)で行った時かな、(クエンティン・)タランティーノが映画への愛について熱っぽくスピーチしたけど、「えっ!?」とか思ったのね。「愛っていうのは、ちょっと違わない? それ」って。だから僕が映画祭が嫌いなのは、映画を愛してるとか愛してないっていう話に必ずなるんで。映画って、愛したり愛されたりするもんなんだろうか? って。僕にとってはね、そんなようなもんじゃないっていうかさ。どっちかって言ったら戦争に近いんですよ。「戦いです」っていう。
映画監督って“ファイター”なんだっていうさ。愛を囁く人間じゃないんだ! って。必要とあればね、それこそ皆殺しにする覚悟が必要だっていうさ。まあそれほど大げさじゃないにしても、とにかく映画とか愛とか言われるとね、何か違わないか? って気がしちゃう。映画を愛するってことで、すべて語れんのか? 語った気でいるのか? っていうと、絶対そんなことないと思う。これはこれで見事な映画なんだけど(笑)、「ほんとに言いたいこと言ってないんじゃない、あんた!?」って、僕は思った。
ゴダールは別の言い方をしたけどね。ゴタールがこの映画について語った有名な言葉があるんだけど、「トリュフォーは確かに映画の現場を描いた」「映画を作ることの意味を描いた」って。でも「肝心なことを一つ描いてない」って。それは何か?「トリュフォーは、映画監督っていうのが女優とレストランに行ったり、ホテルにしけこんだりする部分だけは描いていない」って言ったの。確かに、トリュフォーってそういう人だった(笑)。ほぼすべての主演女優と恋愛してるから。まあゴダールは逆だからね、タイプとして。あんなに女運の悪い男も珍しいっていうさ。ことごとく裏切られてるからね。
まあトリュフォーにとっては女優との恋愛自体が、映画を作るっていう重要なパトスになってたのかもしれないんだけど。だって、どっから見てもないでしょ、それ? 他人ごとにしてるでしょ! って(笑)