激動の2020年、8月に入ってからは猛暑酷暑で、世の中Go Toトラベルキャンペーンだろうがお盆の帰省の時期だろうが、何処に出掛けるのも嫌になるほどの日々が続いている。コロナも怖いが、この殺人的な暑さの外気温で、外に出るほうがよほど怖い。そのおかげで相変わらず自宅にいる時間が多くなっている。
こんな時こそ、エアコンをガンガン効かせた部屋でビール片手に、超大作の戦国映画を観てみようということになり、今回選んだ作品が黒澤明監督の『影武者』(1980年)。上映時間3時間の超大作だ。時間はたっぷりあるのだから、おもいっきり戦国映画に浸かってやろうと鑑賞に臨んだ。
信玄・若山富三郎、影武者・勝新太郎という幻の兄弟キャスティング
この映画は1980年公開で、ハリウッドの大手スタジオから世界配給された、最初の日本映画なのだ。しかも黒澤明を敬愛するフランシス・フォード・コッポラとジョージ・ルーカスが海外版プロデューサーとして参加している。さらに黒澤作品で唯一、実在の戦国武将を取り上げた作品でもあり、公開当時は歴代映画興行成績第一位を記録している(のちに1983年公開の『南極物語』に抜かれる)。
物語は戦国時代、戦国最強と言われた武将、武田信玄の影武者を主役に描かれ、武田信玄とその影武者の両方を名優、仲代達矢さんが演じている。
もともと最初にオファーされたのは、武田信玄に若山富三郎、その影武者に勝新太郎と兄弟でのキャスティングだったのだが、若山さんが出演を断り、その後、勝さんが一人二役でやることが決まった。しかし撮影開始直後に勝さんと黒澤監督との間で衝突が起こり、勝さんが降板……というのは有名な話だろう。そこで新たにキャスティングされたのが、仲代達矢さんなのだ。
他にもこの作品にはエピソードが満載で、予算があまりにも高額だったため、資金集めが難航した。この状況を聞きつけたルーカスとコッポラが20世紀フォックスの社長に働きかけ、フォックスが海外配給権を得る条件で出資することとなり、ルーカスとコッポラが海外版のプロデューサーになることとなったのだ。しかし、当初の予定では製作費11億円だったのが、最終的には23億円に跳ね上がる。それでも興行収入27億円をあげ、さすが世界の黒澤と誰もが思ったであろう。
室田日出男、大滝秀治、山崎努、倍賞美津子、桃井かおり、そしてショーケン! ため息モノの超豪華キャスト陣
キャストも豪華で、武田四天王の一人、鬼美濃とも呼ばれた馬場信春に室田日出男さん。赤備えの山県昌景には大滝秀治さん。そして史実でも武田信玄の影武者をしていたと言われている信玄の弟・武田信廉に、これまた怪優の山崎努さん。信玄の側室には倍賞美津子さんに桃井かおりさんと、かなりインパクトがある。
そしてなんと言っても印象的なのが、ショーケンこと萩原健一さんが演じる信玄の息子・武田勝頼だ。イライラした演技をやらせたら右に出る者はいないんじゃないかと思わせる、ショーケンさんの見事な演技。劇中、信玄の死を隠すために影武者を立て、重臣たちはあたかも信玄は死んでいないように装うのだが、ショーケンさん演じる勝頼だけが納得いかず、偽者を“お館さま”と崇めるのにも抵抗を感じ、イライラ×2しはじめ暴走していく。この辺りの描写は史実でも、勝頼が重臣たちの意見を聞かず、長篠の戦いで織田徳川連合軍に完膚なきまでに敗れ、信玄時代からの重臣たちを失う事態につながる重要なシーンの一つでもある。
なんでこんなに広いのかよ――黒澤映画における「月代(さかやき)」の謎
ただ私がこの映画を見て、あれ? と気になったのは「月代」だ。今まで見てきたどの時代劇の中でも、一番広いのではないか? と思わせるくらい、どの人も月代がとにかく広い! なんでこんなに広いのだ?? ……まずは月代について説明を。月代は、つきしろ/げつだい、ではなく「さかやき」と読む。ちょんまげの前髪からてっぺんにかけて髪を剃り落とした部分のことだ。では何故、この部分を剃り落とすのか?
平安後期から鎌倉時代にかけて、カブトをかぶった時に頭が蒸れて暑くてしかたがなかった。そこで戦さの時に頭のてっぺんの髪を、最初は抜いていたそうなのだ。しかし、あれだけの範囲の毛を広範囲に抜くと、ずいぶんカブれて痛かったらしい。そこで、いくさの前に剃るように変わっていった。さらに、戦国時代になるとカブトをかぶる頻度も増えたので、常に月代を剃っておくようになっていったそうなのだ。つまり、ちょんまげのあのハゲの部分は、武将がカブトをかぶることありきでできた髪型なのだ。
その後、いつの頃からか庶民まで同じ月代のちょんまげの髪型にするようになっていった。ちなみに月代を剃らないで、髪を後ろに束ねるだけの髪型を総髪(そうはつ)といい、お医者様や、主君に仕えない浪人などはこの髪型をしたそうだ。
今回改めて『影武者』を観ていて、どの人物も月代が広いな~と私は思った。頭のてっぺんだけでなく、サイドの方までかなり広い。これは黒澤映画ならではなのだろう。そういえば、同じ黒澤作品『七人の侍』(1954年)に出でくる侍も、月代が広かった覚えがある。何故こんなに月代が広いのか? こればかりは黒澤監督に聞くしかなく、今となっては謎である。そんな月代の広さにも黒澤監督のこだわりがあったのだろう。
思わず漏らした黒澤監督の本音!?「勝新の『影武者』を一番観たかったのは俺だよ」
それにしても、この映画には後日談がある。映画の完成披露試写会に降板した勝さんが観に来たそうだ。そして「面白くなかった……俺が出ていたらもっと面白くなってたよ」と言ったそうだ。
確かに仲代さんの信玄も悪くはないのだが、勝新太郎演じる恰幅の良い武田信玄を見てみたかったし、当時の邦画ファンや勝新ファンも見たかったに違いない。1987年に放送された大河ドラマ『独眼竜政宗』で勝新さんが演じた豊臣秀吉は、どっからどう見ても武田信玄に見えて仕方がない。つまり勝新さんは武田信玄にそっくりなのだ。私は最近までずっとそう思っていた。
しかし最近の研究で、我々が教科書で見ていた“恰幅の良い武田信玄の肖像画”は信玄ではなく、描かれている家紋から、能登の戦国大名・畠山義続を描いたのではないかと言われている。本当の武田信玄は、若い頃から労咳(現代で言う結核)を患っていたため痩せていたであろうとの見解なのだ。つまり、私がずっと勝新さんは武田信玄に似ていると思っていたのは間違いで、本当は仲代達矢さんの方が、実際の武田信玄に近かったのかもしれないのだ。こういう所が歴史は本当に面白い。
最後にひとつ。黒澤監督は「勝新の『影武者』を一番観たかったのは俺だよ」と後日、知人に言っていたらしい。
文:桐畑トール(ほたるゲンジ)
『影武者』はU-NEXTほか配信中