オードリー・ヘプバーン主演ミュージカル『パリの恋人』
パリを描いたミュージカル映画といえば、まず『パリの恋人』(1957年)を挙げたい。主演はオードリー・ヘプバーンとフレッド・アステア(当時58歳のアステアは全盛期を少し過ぎているが、ミュージカル初挑戦のヘプバーンをしっかりサポートしている)、そしてジョージ&アイラ・ガーシュインによる名曲がちりばめられている。ガーシュインなら『巴里のアメリカ人』(1951年)の方が有名だが、残念ながら全編セット。その点、『パリの恋人』は現地ロケ。しかも、アンドレ・マルローが“白いパリ”計画(建物の表面についた煤を洗い落とし、本来の色を取り戻す)を実行する以前の貴重なパリの風景が見られる。
前回紹介したルーヴル美術館もピラミッドが出来るずっと前だし、2019年4月に火災に遭ったノートルダム寺院も、凱旋門も、オペラ座も、ベルエポック時代からの“煤けた”姿で映像に収められている。
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『パリの恋人』のプロットは、ファッション誌の編集長マギー(ケイ・トンプソン)とファッション写真家ディック(アステア)が、グリニッジヴィレッジの本屋で出会ったインテリ娘ジョー(ヘプバーン)をモデルにスカウト、紆余曲折を経て、パリでファッションショーを開いて大成功、ディックとジョーの恋も成就するというもの。
脚本のレナード・ガーシュが、友人のファッション写真家リチャード・アヴェドンの半生にヒントを得てブロードウェイ上演用に書いたシナリオを、スタンリー・ドーネンがミュージカル映画化したもので、アステア演じるディックはアヴェドン、ケイ・トンプソンのマギーはハーパース・バザー誌の編集長カーメル・スノウがモデルになっている。
ルーヴル美術館前のカルーゼル凱旋門、オペラ座内の大階段、サモトラケのニケ像前の階段……まるで絵葉書のようなパリの風景
肝心のパリが登場するのはマギー、ディック、ジョーの3人がオルリー空港に降り立つところから(まだロワッシーにシャルル=ド=ゴール空港が出来る前のことだ)。3人はそれぞれタクシーで市街へ向かい、マギーはオペラ座前からヴァンドーム広場へ、ディックは凱旋門前からシャンゼリゼを下ってアレクサンドル三世橋へ、ジョーはサクレ・クール寺院の裏あたりからセーヌ川岸へ。そして最終的にエッフェル塔で落ち合う。このシークエンスで次々に登場するパリ名所が、まるで絵葉書のように素敵なのだ。
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それに続いて、ショーのドレスを着たジョーの写真を撮るシークエンスでは、ルーヴル美術館前のカルーゼル凱旋門、北駅の黄金の矢号(パリからロンドンへ向かう特急列車)、オペラ座内の大階段、ルーヴル美術館内のサモトラケのニケ像前の階段などが登場。いったいどうやったらこれだけの撮影許可がとれるのか、驚くほどの量と質である。
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アステアの自伝によれば、パリ・ロケは雨続きだったそうで、画面をよく見ると雨が降っていたり、空がどんよりしていたりするのだが、それを逆手にとって、オプチカル処理で鮮やかな色彩を施し、アヴェドン風のファッショナブルな映像に仕上げている。
ただし、ウェディング・ドレスの写真を撮る教会はパリではない。パリ北部オワーズ県コイ=ラ=フォレにある“白い王妃の城”Le chateau de la Reine Blancheで、教会ではなく城(廃屋)だ。行き方は、パリから郊外電車RER、D1号線に乗り、オリー=ラ=ヴィル駅下車、そこから2キロほど北のロジュ池のほとりにある。
さて、ジョーが“共感主義”の教祖フロストル教授(ミシェル・オークレール)に会うために出かけるカフェは、サルトル、ボーヴォワールら実存主義哲学者が活動拠点としたカフェ・ド・フロールをモデルにしたもの。
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サンジェルマン大通りにはフロールのすぐそばにカフェ・ドゥ・マゴがあり、サルトルたちはフロールとドゥ・マゴを行き来して1日を過ごしたという。
錚々たるアーティストが通ったモンパルナス大通りのカフェ群
サンジェルマンと並んでパリのカフェ文化を語るうえで欠かせない場所がもう1つある。それがモンパルナス大通りのヴァヴァンからポール・ロワイヤルにかけてで、ここにはル・セレクト、ラ・ロトンド、ル・ドーム、ル・クーポール、ラ・クロズリー・デ・リラなど、ピカソ、マティス、藤田嗣治、モディリアニ、ローランサンなどの画家や、ボードレールやヴェルレーヌなどの詩人が常連だった蒼々たるカフェがずらりと並んでいる。
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ジャン=リュック・ゴダールの『勝手にしやがれ』(1959年)には、そのうちのル・セレクトとラ・ロトンドが登場するが、この映画で最も有名なロケ場所はカフェではなく、ジーン・セバーグがニューヨーク・ヘラルド・トリビューン紙を売るシャンゼリゼとジャン=ポール・ベルモンドが警官に撃たれて死ぬ、カンパーニュ・プルミエール街だろう。
シャンゼリゼは今さら語るべくもない、世界で最も有名な通りにして観光名所だが、カンパーニュ・プルミエール街の方は知る人ぞ知る存在。モンパルナス大通りとラスパイユ大通りを斜めに結ぶ、一見ごく普通の通りだが、有名画家が多く住んでいたことで知られる。詳細はネットで検索していただくとして、ベルモンドとセバーグが最後の夜を過ごす写真家の家は11番地にあり、ベルモンドはここからラスパイユ大通りへ向かって走っていき、大通りの手前で倒れ、「最低だ」と言って息絶える。
カンパーニュ・プルミエール街は私にとっても忘れられない通りである。ベルモンドが倒れた地点から数メートル右に地下鉄ラスパイユ駅があり、パリの映画学校で勉強していた頃、ここから地下鉄6号線に乗って当時はシャイヨー宮の地下にあった(現在はベルシーに移転)シネマテーク・フランセーズに通うのが日課だったからだ。下宿はサンミシェル大通りとヴァル・ド・グラース街の角の屋根裏部屋で、ラ・クロズリー・デ・リラの前でモンパルナス大通りを渡り、カンパーニュ・プルミエール街を抜けてラスパイユ駅へ歩くのが通常のルートだった。
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ちなみに、ベルモンドが倒れた地点から左へ行くと、カルティエ財団の現代美術館があるし(私は北野武展とデヴィッド・リンチ展を見学した)、まっすぐエドガー・キネ大通りを歩いてモンパルナス墓地に入ると、すぐのところにサルトルとボーヴォワールの墓がある。
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今回は『パリの恋人』の絵葉書のような名所と、『勝手にしやがれ』のもう少し深くパリを知ると訪れたくなる名所を紹介してみた。
文:齋藤敦子
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