二重支配されていた“ベトナム戦争以前”のベトナム
太平洋戦争末期の1945年3月9日。フランス統治下のインドシナ半島(現在のベトナム・カンボジア・ラオスを合わせた領域)で、日本軍によるクーデターが起こった。当時のインドシナ半島は日本とフランスによって二重支配されていたのだが、フランス軍の武装解除とインドシナ半島の完全掌握を狙ったこのクーデターは「明号作戦」と呼ばれた。『この世の果て、数多の終焉』は、そんな明号作戦が実行された3月9日の夜から幕を開ける。
日本軍が築き上げた死体の山から這い出てきたのは、フランス軍兵士ロベール・タッセン(ギャスパー・ウリエル)。彼は森を彷徨い歩き、地元住民に助けられフランス軍駐屯地に生還する。当然帰国を促されるが、タッセンは部隊への復帰を強く希望。というのも、兄夫婦殺害に関与したベトナム解放軍=ベトミンの将校ヴォー・ビン・イェンへの復讐を誓っていたのだった……。
フランシス・フォード・コッポラの『地獄の黙示録』(1979年)、オリヴァー・ストーンの『プラトーン』(1986年)、スタンリー・キューブリックの『フルメタル・ジャケット』(1987年)などをはじめベトナムを舞台にした戦争映画は多いが、本作の舞台はベトナム戦争以前のベトナム。日本軍が関わっているとはいえ、我々日本人にとっても馴染みの薄い知られざる歴史だ。
無残に殺された死体が転がる中で私怨に燃え、娼婦に執着するひとりの兵士
序盤でさまよう主人公タッセンに現地女性マイ(ラン=ケー・トラン)がスープをめぐむ。その後しばらくして偶然マイと出会うのだが、マイは軍人ばかりの酒場に出入りする売春婦であった。マイはタッセンのことを覚えておらず、タッセンは客としてマイと体を重ね合わすことになるが、その後もタッセンはマイに執着する。
そのいっぽうで、軍規を無視し、私怨に燃え、ゲリラだらけのジャングルに足を踏み入れるタッセン。延々と続く緑色の地獄のなかでは、見たものを震え上がらせるためだけに残虐すぎる手口で殺された死体がゴロゴロと転がっている。目的があるから生きられるのか、生きるために目的があるのか。タッセンはマイと復讐、ふたつに執着する。
戦場の一兵士を演じるギャスパー・ウリエルの妖しく危険な魅力
タッセンを演じるギャスパー・ウリエルは、『ハンニバル・ライジング』(2007年)で若きハンニバル・レクターを、『約束の葡萄畑 あるワイン醸造家の物語』(2009年)では翼のついた天使を、『サンローラン』(2014年)ではファッションデザイナーのイヴ・サンローランを演じてきた。そんな役柄からもわかる通り、なんともいえない危険な妖しさが魅力の役者で、本作でも常に一寸先は何をしでかすかわからない危うさだ。
映画は一兵士タッセンの視点で、日記のように淡々と進んでゆく。周囲に構わず堂々と自慰行為に耽る男も、切り取られた鼻や耳で作られたネックレスも、ヒルが入りこんでパンパンに膨れ上がったペニスも、カボチャのように雑に扱われる生首も、セックス中の結合部でさえも、当たり前の光景のような静けさで見せつける。その静物画のような絶妙な距離感が余計に戦争の狂気を浮き彫りにしている。
文:市川力夫
『この世の果て、数多の終焉』はUNEXTで視聴可能
『この世の果て、数多の終焉』
1945年3月、フランス領インドシナ。現地に進駐していた日本軍がクーデターを起こし、それまで協力関係にあったフランス軍に一斉攻撃を仕掛けた。駐屯地での殺戮をただひとり生き延びた青年兵士ロベールは、兄を殺害したベトナム解放軍の将校ヴォー・ビン・イェンへの復讐を誓い、部隊に復帰する。しかし険しい密林でのゲリラとの戦いは苛烈を極め、憎きヴォー・ビンの居場所は一向につかめなかった。その悪夢のような日々のなか、マイというベトナム人の娼婦に心惹かれるロベールだったが、復讐の怨念に駆られる彼はもはや後戻りできない。やがて軍規に背く危うい行動を繰り返し、理性を失ったロベールは、さらなるジャングルの奥地に身を投じていくのだった……。
制作年: | 2018 |
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監督: | |
出演: |
2020年8月15日(土)よりシアター・イメージフォーラムほか全国順次公開