戦争アクションの金字塔!『ナバロンの要塞』
『ナバロンの要塞』(1961年)は戦争冒険アクション映画の傑作です。エーゲ海のナバロン島をドイツ軍が要塞化し、2門の大口径重砲で連合軍の海上交通路を脅かす。要塞内部から重砲を破壊すべく、イギリス軍上層部が送り込んだ6名の特殊部隊。ドイツ占領下に潜入した彼らの前に立ちふさがる危機また危機。まさか裏切り者が――という、現在にいたるまで作り続けられている潜入特殊部隊ものの雛型的存在と言える作品です。
この6名がそれぞれ特殊技能の持ち主なのですが、「勝利のため」とか「民主主義のために」とか発奮することなく、「まぁそれが私の能力ですから」とシニカルとも言える淡々とした態度なのが、いかにもイギリス的です。それでも、圧政弾圧は許さないという信念を胸に秘め、団結して困難に立ち向かう“クールに熱い”チームワークも、やっぱりイギリス的なのです。
小道具・大道具の考証に拘る近年の作品と比べてからすれば、兵器類の再現は“大らか”な部分もありますが(戦車や車両、重火器は撮影に協力したギリシャ軍が装備しているアメリカ製)、とにかく人物造形が巧み、かつ展開がスリリングなので、観ていただければ納得の面白さです。ドイツ兵がちゃんとドイツ語を話しているのも好ポイントのひとつでしょう。
あの巨砲はなに?
砲員を薙ぎ倒さんばかりの発砲時爆風も凄まじいナバロン要塞の巨砲ですが、劇中では型式名も口径も射程も語られてはいません。
イタリアに上陸した連合軍をトンネル陣地から出てきては砲撃した列車砲「28㎝ K5(E)」あたりがモデルでしょうか? 弾頭の大きからすると口径38㎝の列車砲「ジークフリート K(E)」かもしれません。前方からの見た目は、口径80㎝という史上最大の列車砲「80㎝ K(E)」を参考にしたようにも感じられます。いずれにせよ、閉鎖機が鎖栓式+薬莢式弾薬なのでドイツ製の重砲という設定なのでしょう――そんなことを想像するのも映画『ナバロンの要塞』の楽しみ方のひとつだと思います。
日本の「ナバロン要塞」
さて、島や沿岸部に大口径重砲を備えて敵の海上使用を阻止するという発想は、珍しいものではありません。
例えば日本でも、対馬要塞を核とした「対馬海峡防衛ライン」が存在しました。壱岐や対馬などの島々に40㎝砲、30㎝砲、15㎝砲の砲台を配備、さらに海峡水道部には機雷を敷設することで、敵海軍が日本海へ侵入するのを防いでいたのです。事実、この対馬海峡防衛ラインの存在によって、太平洋戦争末期になってもアメリカ・イギリス海軍艦艇の日本海侵入は難しいままで、おかげで日本海沿岸都市は、太平洋沿岸都市のように艦砲射撃を浴びることがなかったのです。まぁ最後には潜水艦に入られてしまうのですが……。
沖縄の悲劇、間近に感じる長崎の島 東洋一「黒崎砲台」https://t.co/iQ9dFLaoJw
— 朝日新聞デジタル (@asahicom) August 3, 2020
長崎県 #壱岐島 の黒崎半島の小高い丘に、直径、深さともに約10メートルの大きな穴が口を開けています。
東洋一といわれた #黒崎砲台 。
実戦で使われることのなかった「撃たずの砲台」です。#空から見た戦跡 pic.twitter.com/kSZzt6ZJ7K
もちろん、これらの砲台は敗戦後に撤去されてしまうのですが、その跡は保存されています。とくに、戦艦の40㎝連装砲(実口径41㎝)を流用した対馬の豊砲台や壱岐の黒崎砲台はビックリするほど大がかりなもので、地元観光協会のHPを見てみるのもよいでしょう。
また、アメリカはハワイ併合直後からその島々に砲台を築いていましたが、1941年12月の日本海軍によるパールハーバー奇襲によって、さらなる強化が図られます。例えばオアフ島では1942年夏から、撃破され着底した戦艦「アリゾナ」の40㎝三連装主砲塔を引き揚げて設置する砲台工事が始まります。
戦局がアメリカ優位になるにつれペースダウンしつつも工事は続けられ、完成状態となったのはなんと1945年8月。戦争は終わっちゃってます。動きだした公共事業が止まらないのは、洋の東西を問わないようです。
ちなみに、その眺望の素晴らしさから観光名所となっているダイヤモンド・ヘッドのレアヒ・ピークは、オアフ島砲台システムの観測拠点だったところです。だから「海側の見晴らしが良い」のは当然なのです。
今度はダム爆破!『ナバロンの嵐』
『ナバロンの嵐』(1978年)は、『ナバロンの要塞』の正統派続編です。俳優は変更しつつ同じキャラクターが登場しますが、全体的に前作より少しばかり“明るい”テイストなのは、アメリカ軍バンズビー中佐役のハリソン・フォード、そして『ロッキー』シリーズ(1976年~)のアポロ・クリードことカール・ウェザースを生かした脚本演出の影響かもしれません。
今回の任務は、ドイツ占領下のバルカン半島はユーゴスラビアに潜入してのドイツ側スパイの暗殺という、いかにも謀略好きのイギリス的なもの。そこにダム破壊任務を帯びたアメリカ軍特殊部隊が合流、そこでまたしても展開する危機また危機、そのなかで裏切り者を炙り出すには――というストーリーで、現地勢力が決して一枚岩ではないのも前作通りです。
撮影にはユーゴスラビア軍が全面協力。そう、1978年にはユーゴスラビア連邦共和国という国は、まだ存在していたのです(冷戦後の90年代に内戦を経て分裂、消滅)。ユーゴは不思議な国で、ソ連式の小火器体系を基本としつつ、ドイツのマウザーKar98小銃をM48として、MG42機関銃をM53としてコピー生産・配備しており、これらは『戦争のはらわた』(1977年)撮影でも大量に使われました。
またドイツ戦車役でソ連製T-34-85が登場しますが、これも予備兵器としてユーゴ軍が保管していたものです。そして後のユーゴ内戦ではこれらの武器が実戦投入されたという……。
イギリスとギリシャ&バルカン半島の関係
『ナバロンの要塞』はギリシャ、『ナバロンの嵐』ではバルカン半島。これらの地域は第一次~第二次世界大戦期のイギリスにとって重要な地域でした。というのも、スエズ運河がいまだイギリスの管理下にあり、エジプトやスーダンなどがイギリス領だった当時、地中海を扼する位置にあるギリシャは大英帝国の覇権維持のための戦略的要衝だったのです。
またアドリア海に面したバルカン半島は、地中海そしてギリシャ~トルコに隣接した、やはり大英帝国にとっての戦略的要衝でした。ソ連軍が東欧圏に進攻しつつあった第二次世界大戦末期、イギリスのチャーチル首相がソ連のスターリン書記長に持ち掛けた所謂「パーセンテージ協議」にも、これら戦略的要衝に対するイギリスの執念があります。このパーセンテージ協議は、ギリシャ、ユーゴ、ハンガリー、ブルガリア、ルーマニアへの“影響力”を、イギリスとソ連がそれぞれどれだけの比率(パーセンテージ)で確保するかを、当事国抜きで勝手に調整しようと図ったものです。
もちろん御破算に終わったパーセンテージ協議ですが、そこでは黒海および地中海への影響力についても話し合っていたのですから、呆れてしまいます。そのような意味からも、これら2作品は「イギリス的」なのです。
文:大久保義信
『ナバロンの要塞』『ナバロンの嵐』はCS映画専門チャンネル ムービープラス「特集:第二次世界大戦」で2020年8月放送