バウハウスで教鞭を執ったラースロー・モホイ=ナジの業績とは?
バウハウスは1919年、第一次世界大戦後のヴァイマル共和政期ドイツ(ワイマール共和国)に設立された教育機関だ。初代校長ウォルター・グロピウスを筆頭とする教授陣は、デザインや工芸を含むアートと建築を教え、新しいテクノロジーと芸術的創造の融合を目指した。
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バウハウスの革新的な教育内容はすぐには世間に理解されず、1925年にデッサウに移転し、1933年にはナチスの台頭により閉校を余儀なくされてしまった。しかし、わずか14年しか存在しなかったこの学校で教え、学んだ人々は、20世紀の生活に相応しいモダンなデザインと芸術表現のアイデアをいくつも生み出して、後世に絶大な影響を与えている。
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「バウハウス100年映画祭」で上映される『ニュー・バウハウス』は、バウハウスで教鞭を執ったアーティストのひとり、ラースロー・モホイ=ナジの業績を紹介するドキュメンタリーである。ハンガリー出身のユダヤ人だった彼は、バウハウスの閉校後、アムステルダムとロンドンを経由してアメリカに渡り、1937年にシカゴで「ニュー・バウハウス」を開校した。
映画はモホイ=ナジの娘で考古学者のハトゥラ・モホイ=ナジをはじめ、彼のもとで学んだ人々や、研究者たちの証言によって構成されている。加えて、モホイ=ナジ自身が遺した発言が、国際的に活躍する有名キュレーター、ハンス・ウルリッヒ・オブリストによる朗読で紹介される。また、モホイ=ナジに直接師事したわけではないが、その作品や著作で提示されたアイデアを引き継ぐアーティストとして、バーバラ・カステンやオラファー・エリアソンも登場。今日のアートとデザインにおいてモホイ=ナジがいかに大きな存在なのかを伝えている。
マルチ・アーティストであり教育者/学校経営者でもあったモホイ=ナジの先進性
絵画、写真、タイポグラフィ、立体、映像と、さまざまなメディアを駆使して創作と教育活動を展開したモホイ=ナジは、驚くべきバイタリティの持ち主だ。「なぜモホイ=ナジはピカソやマグリットほど知られていないのか」という問いに対し、ひとつの分野を専門的に追求しなかったこともその理由のひとつではないか、と娘のハトゥラは分析する。確かに、さまざまな分野で横断的に創作をおこなう活動スタイルは、当時としては全貌が掴みにくく、マーケットでも売りにくかったに違いない。それは20世紀前半には特例的だったかもしれないが、今となっては決して珍しくないやりかただ。
また、モホイ=ナジはアーティストであるのと同時に、教育者で学校経営者でもあった。彼が「いかに芸術性・実験性と商業性を両立させ、活動資金を確保するか」という永遠の課題に取り組む姿を見て、身につまされる人は少なくないだろう。シカゴのニュー・バウハウスから生まれた商業的な成果として、現在でも世界的に有名なダヴの石鹸の形状や、クマの形のハチミツ容器「ハニーベア」があるといった事例からも、彼らの実践が現在の私たちの生活と地続きであることがわかる。
父がやりたいことをやることができたのは献身的な妻に支えられていたから、という娘の証言をはじめ、モホイ=ナジと関わった女性たちについての話も興味深い。若き日にモホイ=ナジが刺激を受けたという革新的な女性たちのコミューンについては、もっと深く知りたいところだ。ちなみに本作を監督したアリサ・ナーミアスも女性である。
51年の決して長くない生涯に、さまざまな分野で時代を先取りする仕事を成し遂げたモホイ=ナジ。天才神話の解体が進み、ひとりひとりの創造性を育むことが重んじられるようになった現在、改めてその先進性が際立って感じられる。今後もこのマルチ・アーティストの評価がますます高まっていくであろうことを予感させるドキュメンタリーだ。
文:野中モモ
『ニュー・バウハウス』は2020年8月8日(土)より東京都写真美術館ホール「バウハウス100年映画祭」で上映
『ニュー・バウハウス』
ハンガリー出身の画家、写真家、美術家で、後世の視覚造形芸術に多大な影響を与えたラースロー・モホイ=ナジ。彼はアートにテクノロジーを積極的にとりいれるという構成主義的な姿勢で、バウハウスの発展に貢献した。その後、米国でニュー・バウハウスを創設し、米国のデザイン教育にも足跡を残す。最新の研究を元に、彼の理念や業績、ニュー・バウハウスの展開、そしてその素顔が明かされる。
2020年8月8日(土)より東京都写真美術館ホール「バウハウス100年映画祭」で上映