ワン・ビン監督が反右派闘争~飢餓収容所を生き延びた人々の生々しい声を届ける!
ワン・ビンの『死霊魂』は、証言だけで綴られた8時間あまりのドキュメンタリーである。語られているのは、ゴビ砂漠の過酷な収容所に送られ、飢餓に襲われて生き延びた人々の証言だ。2010年にヴェネツィア映画祭のコンペ部門でサプライズ上映された『無言歌』の双子のような作品でもある。
なので、辛く、苦しく、やりきれない打ち明け話が続くのだが、いつのまにか引き込まれてしまう。人間の強さと弱さ、善と不善、時の流れに洗われたものと洗われなかったものが粛然と現れてくる。面白いという言葉は不適切かもしれないが、面白い。長さに尻込みせずに見ていただきたい。見ているうちに映画に引き込まれ、長さを感じなくなるはずだ。
『死霊魂』は中国近代史を知らなくても十分に面白いが、多少は知っていた方が映画を立体的に見ることができる。簡単に説明しよう。
現在の中国、中華人民共和国は、1949年に建国された。当初は社会主義ではなかったが、1952年に最高権力者だった毛沢東が社会主義への移行を宣言、様々な政策を実行していく。1956年にソ連のフルシチョフ首相によるスターリン批判に衝撃を受けた毛沢東は、中国共産党に対する批判を歓迎するとした<百花斉放百家争鳴>運動を展開したが、翌年、手のひらを返して、共産党を批判した人々を弾圧する反右派闘争を開始した。
目的は自分に敵対する勢力、主に知識人を一掃することだった。このときに右派とされて収容所に送られた50万の人々の一部が『死霊魂』と『無言歌』の主人公である。反右派闘争の悲劇は、1958年から開始された大躍進政策(15年でイギリスを追い越すことを目標に無謀な生産計画を課した)の失敗で引き起こされた、史上空前の大飢饉が、収容所の人々に容赦なく襲いかかったことだ。
運良く生き延びた人々、わずかな差で死んでいった人々、運命とは何と平等なことか
ワン・ビンは2004年に、ゴビ砂漠にある夾辺溝の収容所に送られた人々を主人公にした楊顕恵の小説「夾辺溝の記録」を読んで衝撃を受け、映画化の権利を得て、リサーチを開始する。その一部が2010年にフィクション『無言歌』として結実するのだが、ワン・ビンはリサーチの過程で集めた証言を元にドキュメンタリー映画を作るというアイデアを温め続け、2014年になって改めて生存者に話を聞き、集大成としてまとめたのが『死霊魂』である。このインターバルが醸造作用となって、映画がただの証言集を超えた、人間の深淵をのぞくような、とてつもなく重要な作品になったと私は思う。
映画に登場する証言者が右派とされた理由は様々だ。反右派闘争が標的にした知識人(教師)だった人もいるが、大半は、作業効率をあげるための提案を“批判”とされたり、上司が悪いやつだったり、員数合わせのために右派にされたり、といった理不尽な理由で収容所送りになった人々だ。そして彼らは、収容所の中で再び理不尽な差別を受ける。
過酷な収容所生活を生き延びるには、何らかの形で他より優位な立場にいなければならない。料理係になった者は少し多く食べられたから生き残れた。家族が食料を持って面会に来てくれたから生き残れた。死んでいった者の遺体を食べたから生き残れた。わずかな運の差、過酷な選択が生死を分けただけでなく、運よく生き残った者に後ろめたさを植え付けた。彼らは皆、被害者なのに、加害者であるような罪悪感に苦しんで生きた。
証言を聞いていると、その苦しさが胸に迫ってくる。歳月を経て、再びカメラの前で証言する者の顔が老い、死に近づいているのが分かると、彼らの話の中の死者と彼ら自身の死がダブって見えてくる。彼ら生き残った者の言葉は死者が語らせているのだ、と気づく。運の善し悪しが分けた人間の生と死は、ここに至って何の差もなくなっている。運命とは何と平等であることだろう。
ワン・ビンは120の証言と600時間のラッシュ映像を元に、ひとつの証言が他の証言よりも目立たせないよう、すべての証言を同じ比重にするというルールを課して『死霊魂』を編集した。中国近代史の暗黒面についての貴重な証言であるばかりでなく、過酷な運命にさらされた人間の運命の記録でもある。3部構成、休憩時間を入れて8時間26分は、彼らの人生に比べたら、ほんの一瞬でしかない。
文:齋藤敦子
『死霊魂』は2020年8月1日(土)よりシアター・イメージフォーラムほか全国順次公開