『ブラックパンサー』脚本家が道を誤った若者の“なぜ”を描く
動画配信サービスで製作される映画(ドラマ)は自由度が高いとよく言われる。それは何も「ポリコレなど無視してメチャクチャやっていい」とか、そういうことばかりではない。
シリアスならシリアスで、社会派なら社会派でとことん突き詰めてやっていい。それもまた“自由度”だ。Netflixで言えばスパイク・リーの大傑作『ザ・ファイブ・ブラッズ』(2020年)がそうだし、この『オールデイ・アンド・ア・ナイト:終身刑となった僕』にも当てはまる。
本作の監督はジョー・ロバート・コール。『ブラックパンサー』(2018年)で共同脚本を担当した。物語の中心となるジャコールを演じるのは『ムーンライト』(2016年)主演のアシュトン・サンダーズ。ワイルドな土地で生きなければならないナイーブな若者の姿は『ムーンライト』の“他にありえたもう一つの可能性”のようでもある。
映画はジャコールが民家に押し入り、拳銃で2人の人間を殺すところから始まる。裁判を経て、刑務所へ。ストーリーの帰結をまず描いて、そこからコール監督は若者がなぜ道を誤ったのかを描いていく。
黒人社会の“八方塞がり”な絶望を伝え続ける製作陣の“想い”とは
貧しい街で黒人として生きるには、どうしても“強さ”が必要だ。いい意味でも悪い意味でも、である。殴られたら殴り返さなければいけない。家に帰れば父の暴力も待っている。繊細な少年が繊細なままでいられない環境だ。
そこから抜け出すために、ということでもあるのだろう。ジャコールはラッパーになるべく奮闘する。しかし、そこに待ち構えているのもカネとドラッグと犯罪の世界だ。夢を持つ人間の足を“地元”のしがらみがしつこく引っ張る。地元全体が「お前だけ抜け出させるもんか」と言っているようでもある。コミュニティの外で働こうとすれば、今度は差別に直面せざるをえない。
つまりは完全な八方塞がりだ。少年時代、犯罪に手を染める青年期、刑務所の中と三つの時間軸を行き来する構成の中でジャコールの人生を見ていると「これはどうやったって犯罪者になるしかないだろうな……」とため息が出る。重く、しんどく、けれども目が離せない。
正直に言えば、似たような映画は他にもある。決して新鮮味がある映画というわけではない。とはいえ、現実が変わらない限りこうした映画は作られ続けるし、作り続ける必要がある。“犯罪や暴力と無縁ではいられない黒人たち”が切実なテーマになる作り手がいて、観客がいる。それが2020年も変わらない現実なのだ。
文:橋本宗洋
『オールデイ・アンド・ア・ナイト:終身刑となった僕』はNetflixで独占配信中
『オールデイ・アンド・ア・ナイト:終身刑となった僕』
終身刑で服役中の青年が、置かれていた環境や周りの人間、社会の制度を振り返り、なるべくして犯罪者になった自分の人生に思いをはせる。
制作年: | 2020 |
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監督: | |
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