岡田准一、役所広司、滝藤賢一、平岳大ら競演の歴史アクション大作!
新型コロナウイルスの影響で東京五輪が延期になり、プロスポーツも開幕が遅れ、とりあえずプロ野球、Jリーグ共に無観客で始まったが、公開予定のはずだった映画も次々と延期になっている。
私が公開を待ち望んでいた、司馬遼太郎原作・原田眞人監督の新選組/土方歳三を中心に描いた作品『燃えよ剣』も公開が2021年になってしまった。V6の岡田准一さんが土方歳三を演じていて、さらに、この作品には芸人仲間で後輩でもあり、わたくしの数少ない親友、はんにゃの金田も、なんと新選組隊士の藤堂平助役で出演しているのだ。3月に一度、試写会に招いていただき観ているのだが、やはり早く映画館の大スクリーンで観てみたい作品の一つである。
今日は歴史ライブのメンバーで我らが金田哲が出演している燃えよ剣の映画を試写会で見てきました。
— 桐畑トール (桐畑ダボ男) (@KiriHemo) March 23, 2020
面白かったなあ〜⚔
金田もカッコよかったなぁ〜
5月22日公開なので皆さま是非!#歴史ライブ#軍師と足軽#歴史好き芸人#ロクモンジャー pic.twitter.com/4NytHbJUR1
そこで今回は、同じ原田眞人監督の作品『関ヶ原』(2017年)を改めて鑑賞してみた。主演は同じく岡田准一さんで、真面目すぎる故に周りから嫌われることの多い、豊臣五奉行筆頭の石田三成を演じている。対する豊臣五大老の一人、老獪なタヌキ親父の徳川家康を役所広司さんが熱演。他にも狂気的な怖さが垣間見える、年老いた豊臣秀吉を滝藤賢一さんが怪演されている。さらに、わたくし戦国馬鹿が一番好きな戦国武将、島左近を平岳大さんが荒々しくもあり、忠義に厚い家臣として見事に演じている。
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ただこの映画、どの役者さんのセリフ回しも、とにかく早い! 正直、戦国馬鹿のわたくしでもついて行くのがやっとのところもある。そのため、この作品を観る前にある程度、関ヶ原の戦いに突入するプロセスを予備知識として説明しておこう。
https://www.youtube.com/watch?v=_WZnxsvtXzk
ブラックな秀吉に従った三成の心中やいかに!? ついに家康派と正面激突!!
織田信長亡き後、豊臣秀吉が関白となり、天下を治めたあたりから物語は始まる。秀吉は50代半ばにして、後継ぎがいなかったため、甥の豊臣秀次に関白職を譲り、自分は太閤となっていた。そんな折に秀吉の側室、淀の方との間に待望の男の子、秀頼が生まれる。我が子に跡を継がせたくなった秀吉は、甥の秀次に謀反の疑いをかけ、秀次のみならず、その家臣や正室側室、女子供に至るまで皆殺しにしてしまう。秀吉のこの理不尽な所業にも、三成は疑問に思う気持ちを抑えて、粛々と処刑の業務を執り行う。
この三成の五奉行という役職は豊臣政権の中で、現代でいう官僚的なポジションだった。内政を主に執り行う立場のグループだ。一方、加藤清正や福島正則ら、秀吉の親戚筋にあたる武将たちは、みな武闘派。戦さ場での槍働でのし上がってきたグループである。この2グループは常に仲が悪かった。そこに訪れる、太閤秀吉の死。秀吉亡き後の豊臣政権下では、三成の官僚派と加藤清正らの武闘派グループの対立が激化! この内部争いを利用して、天下を虎視眈々と狙う五大老筆頭・徳川家康! そこで豊臣政権を維持するために、家康の野心に立ちはだかる三成! そして家康率いる東軍と、三成率いる西軍に分かれて、激突する関ヶ原の戦い!!
と、ま~これさえ抑えておけば、セリフ回しが早くても物語の流れは誰にでもわかると思うのだが、この作品でわたくし戦国馬鹿がもっとも注目した場面が、最初は三成の西軍側に付いたはずの、東出昌大さん演じる小早川秀秋(この武将も秀吉の甥で、小早川家に養子に出されている)が西軍を裏切り、東軍に寝返る描写が、今まで見てきたドラマや映画とは違ったところだ。今までの場合、秀秋は無能で臆病で、秀吉の甥というだけのダメダメ武将が、関ヶ原の戦場でアタフタしながら東軍に寝返るパターンとして描かれることがほとんどだった。しかし、この作品では秀秋は秀秋なりに、この先の豊臣家を憂いて悩み、三成との約束を守ろうとするも、今後のお家大事と考えた小早川家の家臣たちが秀秋の指示に従わず、勝手に東軍に寝返ったと描かれている。このシーンには、わたくし戦国馬鹿もグッとこみ上げるものがあった。
もちろん関ヶ原の合戦シーンも壮大で、戦国好きにはたまらない。鎧甲冑の武者たちが戦場を縦横無尽に駆け回る様子には、あたかも自分も同じ戦場にいるのではないかと錯覚するほどの臨場感がある。そんな戦場の場面で、面白い武器が出てくる。戦国時代の武器と言えば槍や刀に鉄砲だが、この映画では三成が小型のボウガン(弩)を使用している。この時代、弓矢はあるのでボウガンがあってもおかしくはないのだが、戦国映画でボウガンが出てくるのは初めてのような気がする。この辺りも原田監督の面白い演出だ。
現代の若者も合コンでよく使う?“あの言葉”の由来も戦国時代にあった!
さあ、それでは皆様お待ちかね! 今回の戦国馬鹿の戦国雑学は、戦場に投入された鉄砲の数。関ヶ原の戦いには、約3万挺の鉄砲を使用したと言われている。この数、当時のヨーロッパ全土にある鉄砲の数とほぼ同じ。日本全土の鉄砲の数になると、約5万5000挺と言われている。これは驚異的な数字である。
1543年に種子島に鉄砲が伝来してから50年余りで、日本は国産の鉄砲数で世界トップラスの軍事大国にのし上がっているのだ。それを為し得たのは日本人の手先の器用さが織りなす技術力。さらに鉄砲製造に分業制を用いて、鉄の筒を造るチーム、木の台座を造るチーム、引金などのからくりを造るチームの三つに分けて、大量生産にも成功した。しかもヨーロッパの鉄砲より高性能の鉄砲を次々と製造している。この頃から日本人の物作りは世界に引けを取らなかったのである。
もう一つ関ヶ原の戦いならではの雑学としては、映画の中でも「先駆け」、いわゆる戦場で一番最初に敵と交戦する部隊だ。東軍側は豊臣恩顧の武将でありながら、家康側についた福島正則と決まっていた。戦場では先駆けの一番槍(最初に槍をもって敵陣に突き入る)や一番首(最初に敵の首を上げる)は最高の手柄であり、誉れなのだ。しかし、家康の家臣たちは、なんとしても先駆けは徳川恩顧の武将がやるべきだと密かに思っていた。そこで徳川四天王の一人、井伊直政は娘婿であり、家康の四男・松平忠吉を連れて、先駆けが決まっていた福島正則隊には物見(偵察)にいくと嘘をついて、しれっと戦場の最前線まで押し出し、先駆けてしまったのだ。このような行為を「抜け駆け」と言う。現代でも合コンなどで、周りにバレないように一番人気の女の子とこっそりLINEの交換をしたものなら、他の男性陣から「抜け駆けするなよ~」などと文句を言われることがあると思う。この「抜け駆け」と言う言葉はもともと戦場で使われていた言葉で、知らずに使っている人も多いのではないだろうか。
今月の24,25日は、関ヶ原古戦場での歴史イベントに、
— 桐畑トール (桐畑ダボ男) (@KiriHemo) June 12, 2017
歴史好き芸人ユニット「六文ジャー」で出演してまいります!
参加型の企画も盛りだくさんみたいです~
■6/24(土)・25(日)
『関ヶ原武将シリーズ第三弾~大谷吉継~』
お時間のある方は是非遊びに来て下さい! pic.twitter.com/YYM2qsfQZx
さて今回の雑学はこの辺にしておいて、わたくし戦国馬鹿は趣味の一つで、古戦場に行くのも大好きなのだ。関ヶ原の古戦場には、仕事やプライベートを含め何度も行っている。笹尾山の石田三成の陣跡や、桃配山の家康の陣跡など、両方から関ヶ原の平野部を眺めたこともある。実際に見ると、関ヶ原の山あいの平野は思った以上に狭く感じた。ここに両軍合わせて17万人もの兵が動員されたというのだから、両軍かなりの過密だったのだな~と感慨にふけったことを思い出す。コロナのせいでなかなか行くことはできないが、映画『関ヶ原』を見て、あの平野の眺めを思い出すのもまた乙なものだ。
文:桐畑トール(ほたるゲンジ)
『関ヶ原』はAmazon Prime Videoほか配信中