「ポーカー」というゲームの“闇”
この『モリーズ・ゲーム』(2017年) という映画はモーグルでオリンピックを目指し、怪我で挫折の後に非合法のポーカーゲームの経営を行ったモリー・ブルームの自伝をもとに作られている。主役は当然ジェシカ・チャステインが演ずるモリー・ブルームなのだが、彼女より重要な役割を負っているのがポーカーである。
誰でも、ワンペアだとかツーペアだとか、フルハウス、ストレート、ロイヤルストレートフラッシュなんてことを大声で叫びながら遊んだことがあるはずだが、子供がただ勝った負けたと騒いでいる分にはギャンブル、つまり賭博には当たらない。賭博の日本での定義は金銭や品物を賭けて偶然性の要素が含まれるゲームを行い、その結果で財を得たり失ったりすること、ということになっている。お菓子のやりとりが発生すると、それは賭博。いいオッサンがゴルフ場で「チョコレート2枚」とかバカなことを言っているが、お菓子だって賭博ですぜ。1枚なんぼのチョコレートか知らんけど。
しかし、この「偶然性」というのが厄介である。ポーカーは偶然性が大きな勝敗の要素ではあるが、それが支配するゲームであるかどうかは極めて曖昧である。自分の手札にワンペアさえなくても、勝ててしまうんだから、もはやこれは偶然性ではなくて心理戦によるゲームだ。
現在の私はギャンブルに関心がないが、麻雀、パチンコ、ブラックジャック、競馬、競輪はまだわかる。わからないのがポーカーだと思っていたら、この映画でもっとわからなくなってしまった。ギャンブルの闇は深くて一度その闇の甘美さを味わってしまうと抜け出せないんだろうが、ポーカーは一度の勝負でも掛け金が際限なく上がっていくので、破滅という終わり方を迎えることも多い、らしい。わざわざそんな悲惨な末路を目指してゲームに没頭する。人間以外こんなバカバカしいことをやらないんだから、どこか人間が生きるということの本質に根ざしているのかもしれない。
モリーは「犯罪者」になった
オリンピックを目指していたスキー選手がどうなりゃポーカーゲームで犯罪者になるのか。闇カジノに無理やり連れていかれて、謹慎処分となった選手がいたが、モリーの場合は闇カジノを自分で開いていたのだから全く比較にならない。
スキーはやめた、別の世界で生きるのよ、でも本気出す前にちょっとだけゆっくりしたい。というわけで暖かいロサンゼルスに居を移し、テキトーな不動産会社に就職してみたら、そこの横暴極まりない社長は闇カジノの主催者だった。手伝ってみると意外に簡単。自分がポーカーをやるわけじゃなくて、金持ち集めてチップ交換や酒の手配をするだけで、気前のいい連中が結構な額のチップを握らせてくれる。側から見ていて、こいつ絶対に負けるわ、という連中がどうして金を捨てに毎回やってくるのかわからないが、掛け金が釣り上げられればそのぶん勝った奴はチップを弾む。おいしい仕事とはこのことだ。
だったら自分でカジノを開いたらもっといけるんじゃないの、と思うのは自然な流れ。実は客を集めてポーカーをさせても、手数料を一切取らなきゃアメリカでは主催者は罪を犯したことにならない。場の作り方次第で、太い客は集まってくるし、チップの額も半端じゃない。それで良かったのだが、財力を超えて負けが込んでしまった人間が出ると、主催者がその金を肩代わりしなければならなくなる。物事は大きくなればどこかで帳尻が合わなくなるものである。手数料を取れば万が一のことがあっても穴は埋められる。でもそれは犯罪。
モリーは幾多の困難を乗り越える。スキー競技の緊張感に繋がるところがあるのか、その障害を楽しんでさえいたかもしれない。どうなる賭博の美人胴元。アドレナリンが出っぱなしだと寝られなくなる。寝られるように酒と睡眠薬。起きればシャキッとしなきゃいけないのでまた興奮剤。どこかでよく聞く話だ。
テンポが早いこの作品。当然ポーカーのシーンが多くて、観ている側もつられて興奮するんだけど、実は何をやっているのかわからない。どこでレイズして、どうなったら降りるのか、そのあたりの大事なところについていけない。でも大丈夫。お金の話ってやっぱり面白いから。
人生って博打?
私の話。大学の最初の1年は麻雀漬け。恐ろしく下手くそだということがわかったので、それから牌を握ることはなくなった。パチンコも少々。すぐにやめた。ラスベガスで一夜だけブラックジャックで徹夜した。数万円、金がなくなるまでと思ってやっていたのだから、最初から勝つ気なし。金を使って、ただ時間つぶしの遊びのつもりであればそれで構わない。
だから本気のギャンブルがわからない。と、書きながらギャンブルって「偶然性の要素が含まれる勝負」ということになれば、宝くじはもちろんギャンブルだし、株の売買ももはや完全にギャンブルの域に至っている、と思ってしまった。さらに起業するにしても、タイミングによってはうまくいくべきはずのものも、失敗するのだからギャンブル性を否定できない。
それを言うなら、人生もギャンブルのようなもの。私もよくここまで生きてこれたものである。人生を勝ち負けで評価することほどつまらないことはないが、どこで方向が変わってしまうかわからないのが人生である。
『モリーズ・ゲーム』、人生に役立てようなんて思わない方がいいが、目まぐるしくアップダウンするモリーの人生を一緒に味わってドキドキすることはできる。
文:大倉眞一郎
『モリーズ・ゲーム』はCS映画専門チャンネル ムービープラスで2020年7月放送