誰もが認めるSF映画の金字塔
『2001年宇宙の旅』は、公開当時こそ難解だと言われ賛否両論の評価に別れたが、半世紀以上経った今は、誰もが認めるSF映画史上に残る金字塔である。
まずは簡単にあらすじを。人類登場以前の時代、どこからともなく現れた謎の物体モノリス(一枚岩)に触れた類人猿は、骨を武器として闘うことを知り、人類へと進化を始める。そこから数百万年後の人類が月を開拓する時代。アメリカ合衆国宇宙評議会のフロイド博士(ウィリアム・シルヴェスター)は月面のクレーターで発掘されたモノリスを調査するため、宇宙ステーションから月のクラビウス基地に向かう。フロイド博士達がモノリスの前で記念撮影をしようとした瞬間、太陽光を浴びたモノリスが木星へ向けて強烈な信号を発し始める。それから18カ月後、宇宙船ディスカバリー号が木星へ初の有人探査に向かう。乗組員は船長のボウマン(キア・デュリア)とプール(ゲイリー・ロックウッド)、人工冬眠中の3人の科学者と人工知能HAL9000型コンピュータである。HALは真の目的を隠したままの、このミッションに疑問を抱いていることをボウマンに打ち明ける。その直後、HALは船の電波受信装置の故障を訴えるが、それは誤りだった。ボウマンとプールはHALの異常を疑い、回路を停止しようとするが、2人の計画を察知したHALは乗組員全員を抹殺しようとする…。
原案と脚本はスタンリー・キューブリックとSF作家のアーサー・C・クラーク。人類創生から人類を超越したスターチャイルド誕生に至るプロットは壮大で哲学的で難解だ。クラークによれば、小説と脚本は互いのアイデアをフィードバックしながら同時進行したというが、映画は完全にキューブリックの作品になっており、これに不満だったクラークは、続編『2010年』の映画化に際して、“キューブリック抜き”を条件に出し、結局ピーター・ハイアムズが監督したという逸話まである。
キューブリックのイマジネーションを映像化した驚異的な撮影技術
とはいえ、『2001年宇宙の旅』の素晴らしさの大半は、キューブリックのイマジネーションの凄さと、それを的確に映像化してみせた彼の驚異的な撮影技術にある。プロットの難解さは、見事に映像化された宇宙の神秘にひたるための方便といってもいい。冒頭のリヒャルト・シュトラウスの交響詩<ツァラトストラはかく語りき>に乗って太陽系の3惑星が1直線に並ぶ画面、ヨハン・シュトラウスの<美しき青きドナウ>に乗って宇宙船アリエス1B型が月に向かう場面、リゲティの<レクイエム>が不安をかきたてるクレーターの発掘現場でのモノリスとの対面場面など、数えあげたらキリがない。その数々の独創的なイメージは、その後に登場した『スター・ウォーズ』、『エイリアン』、『ゼロ・グラビティ』など、数え切れないSF映画に影響を与え、今も与え続けているのだ。
写真家からキャリアを始めたキューブリックは撮影技術に強く、『バリー・リンドン』の月面撮影用に開発されたレンズを使った撮影や、『シャイニング』のステディカムなど、革新的な技術を映画の表現に積極的に取り入れた人だった。『2001年宇宙の旅』も、当時はまだ大学の研究レベルだったCG技術を使った特撮や、超低速度撮影による鮮明な宇宙空間の表現などで、今見ても少しも遜色ない宇宙の絶景を作り上げている。個人的な経験になるが、2011年にパリのシネマテークで開催されたキューブリック展を訪れた際、冒頭のアフリカの類人猿の場面を撮影したフロント・プロジェクションの再現を見て、キューブリック魔術の一端を知った。飛行機嫌いなキューブリックは、英国ボアハムウッドのMGM撮影所のセットにB班が撮影したアフリカの映像を投影し、その前で俳優に類人猿の演技をさせて合成したのである。
ちなみに、キューブリックは『2001年宇宙の旅』を70ミリ・シネラマ作品として製作した。彼の映像と音楽と時間の相乗効果は、映画館の70ミリの大画面で見たときに最大限発揮されるように計算されている。そのため、家庭用の小さな画面で見ると迫力の点で少し物足りない(キューブリックが生きていたら怒り出すだろう)が、それでも凄さの一端に触れることはできる。できたら部屋を暗くして、画面に集中してご覧いただきたい。
文:齋藤敦子
『2001年宇宙の旅』
人類の夜明けから月面、そして木星への旅を通し、謎の石版“モノリス”と知的生命体の接触を描く、SF映画不朽の名作。
制作年: | 1968 |
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特集:キューブリック没後20年
CS映画専門チャンネル ムービープラスにて2019年3月放送
【放送作品】日本初放送ドキュメンタリー「映画監督:スタンリー・キューブリック」、『時計じかけのオレンジ』、『フルメタル・ジャケット』