どんなに有名な作家も最初は無名ですが、ロシアの国民的な作家セルゲイ・ドヴラートフがまだ若く無名だった時期の6日間にフォーカスを当てた映画が『ドヴラートフ レニングラードの作家たち』です。
表現者にとっては地獄のような旧ソ連の圧力
ドヴラートフが生まれた1941年、ロシアは当時ソビエト社会主義共和国連邦(通称:ソ連)でした。ソ連は1917年のロシア革命を発端に成立した史上初の社会主義国家であり、1932年にヨシフ・スターリン政権下で社会主義リアリズムが提唱されます。それはソ連の革命思想を称賛するものや、国民をその思想へと導く教育的な作品を国によって公式のものとみなし、それ以外の表現を厳しく取り締まる指針でした。
1953年に最高指導者となったニキータ・フルシチョフの時期に一度、雪解けと呼ばれる表現への取締が緩和される動きもありましたが、ドヴラートフが大学を経て軍隊を辞めた1965年から本作で描かれている1971年はブレジネフ政権のもと、再び文化への当局の監視や抑圧的な力が強まっている時期でした。
当時のソ連で文章を書く仕事となると“国のためになるもの”であり、30歳のドヴラートフは工場新聞のジャーナリストとして働いているのですが、国策を持ち上げるような記事を求められるも合わせられず、職場でうまくいっていませんでした。一方でレニングラードの文学サークルに所属し、散文や小説の執筆を行っていましたが、雑誌にはことごとく掲載を断られます。国に認められた作家団体に所属することで有利になる状況に彼も参加を希望するものの、やはり求められる作品は国の指針に準拠するようなものであり、うまくいかない状況にありました。
彼が心酔していたのは、当時の若者の間で広がっていた個人の心の動きを解放するようなもの、例えばアーネスト・ヘミングウェイや彼を通して見たアメリカ的なものだったので、自分が追い求めるものと国から求められるもの乖離に大きな葛藤を抱えていました。ロシアから亡命した作家ウラジーミル・ナボコフがノーベル賞候補になるような活躍を見せていたことも彼にとっては大きく、自分が国内にいることでくすぶっている気にさせる事柄であったように描かれています。
不遇のドヴラートフを通して見えてくる無意識の同調圧力
本作は、家庭も仕事もうまくいっていない八方塞がりな状況から始まり、ドヴラートフの皮肉めいた言動や自分を曲げられない不器用さを見ていくうちに、彼のうまくいっていない状況は彼自身に原因があるのでは、と若干呆れそうにもななります。しかし観客としての自分のその視線はつまり、社会や国家にとって都合の良いものに迎合しないことを批判する同調圧力的なものも含まれていると思うに至り、自分にはそういう考えがないと思っていたので、驚くとともに反省しました。
もちろん、周囲にもう少し優しくできるのではないかなとは思いますが、彼の表現したいものを追い求める心は現代においても必要なものであり、自分も頑張ろうとじんわり思った作品でした。これまでなかなか知ることがなかった、ソ連で過ごした若者の生活が垣間見れるような作品だったので、その点でもとても面白かったです。
文:川辺素(ミツメ)
『ドヴラートフ レニングラードの作家たち』は2020年6月20日(土)よりユーロスペースほか全国順次公開
『ドヴラートフ レニングラードの作家たち』
ソビエトで活動するロシア人作家ドヴラートフは、友人であった詩人ブロツキーとともに、自分たちの才能を誇り、世間に発表する機会を得るために闘うが、政府からの抑圧によりその才能をつぶされていく。彼らはすべてをかなぐり捨て、移民としてニューヨークへと亡命。厳しい環境下であえぎつつも、精彩を放ち続けたドヴラートフの人生における郷愁と希望の狭間で格闘した極の6日間を描く。
制作年: | 2018 |
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監督: | |
出演: |
2020年6月20日(土)よりユーロスペースほか全国順次公開