映画史上オールタイム・ベストテン第2位を堅持する世紀の時代劇巨篇【惹句師・関根忠郎の映画一刀両断】
映画『七人の侍』(1954年)と言えば、日本の至宝・黒澤明監督の傑作巨篇として、遍く知られている最高の一本でしょう。その証左にこの作品は、長く日本映画オールタイム・ベストテンの第2位(※)の座を守り続けてきました(ちなみに第1位は小津安二郎監督作品『東京物語』(1953年)ですが、これも不動の位置を守っています)。
※英BBCが2010年代以降に実施したアンケートに依る
今回、私がぜひ書かせて頂きたいと思ったこの『七人の侍』は、1954年4月に全国公開されたダイナミックな時代劇巨篇。今から66年前に空前の大ヒットを記録した作品です。世界で最も有名な日本映画としても広く知られ、名誉ある海外オールタイム・ベストテンにも高位を占める稀有な映画です。上映時間は3時間27分。前半と後半の間に5分間のインターミッションがあります。
野武士群盗団の来襲! 絶体絶命の危機に瀕した農民は七人の侍を雇った
戦国時代後期──戦(いくさ)に敗れた野武士が悪辣な群盗と化して、あちこちの山間に繰り返し出没し農村を襲撃しては掠奪を欲しいままにしていた。そこで思い余った農民が野武士を撃退すべく、その日の食い物にも事欠く貧しい浪人を雇うことにした。代償は腹いっぱいの白米。農民たちは宿場町に出て腕の立ちそうな侍を探し、村の防衛を懇願した。
先ず、この意表を突く物語設定の面白さが秀逸(何と素晴らしい脚本の発想と展開)。加えてスカウトされる七人の侍のキャラクター造形も七人七色でワクワクするほどの映画的快感。温和沈着にして戦略に長けた勘兵衛(志村喬)、練れた人格者の副将・五郎兵衛(稲葉義男)、勘兵衛のかつての忠実な配下・七郎次(加東大介)、窮地に居ても明るく柔軟な平八(千秋実)、修業中の峻厳な剣客・久蔵(宮口精二)、育ちのいい郷士の子息・勝四郎(木村功)、そして長刀を担いで浪人の如く振る舞う無頼の農民・菊千代(三船敏郎)。この七人の適材適所の配分は、脚本作劇術の高度な熟練を感じさせ、これには本当に舌を巻く。無論、七人の侍に依拠する農民たち(本当は百姓と言いたいのだが)のキャラクターも多種多様で興味深い。
このオリジナル脚本を書き上げた橋本忍、小国英雄、黒澤明の協同作業に絶大な敬意あるのみ。やがて場面は山間の村に入った浪人たちが戦闘準備を行う場面に移行。野武士を迎え撃つ地の利を築き、用意万端を施す一方、農民を戦士に変えるべく竹槍の訓練をも実施する。これが本作の前半部。ワイプという技法を駆使しての快い映像展開は、今、リピートしても見事と言うしかない。
前半のクライマックス! 血迷う農民にリーダー勘兵衛“怒り”の一喝
66年前、そうした映画の醍醐味にどっぷり浸かっていた、その前半部終了の直前に、当時中学生だった私は、思いがけなくも突然、ある衝撃的場面にぶつかった。野武士軍団との対戦工作上、勘兵衛が村外れの農家数軒を引き払うよう命じると、そこで生活する農民の幾人かが反乱。自分たちの家は自分たちで自衛すると戦列を離脱。これに対し勘兵衛が初めて怒りを顕わにして抜刀するや「己れのことばかり考える奴は己をも滅ぼす奴だ。仲間を守ってこそ自分を守れるのだ」と一喝。戦(いくさ)には連帯が必要と諫める。
私はこの一喝にガーンと横っ面を殴られたように仰天した。今風に言えば、自分ファーストではなく、仲間ファーストの共同戦線の大切さを訴求する映画的主題の叫びでもあった。以来、私は志村喬が演じる島田勘兵衛のこのセリフが忘れられないものになった。何度見てもこの場面は素晴らしい。
後半は野武士軍団との壮絶戦闘シーン! 映画史上不滅のダイナミズム
そして後半は言うまでもなく、七人の侍と農民たちとの共同戦線による野武士軍団との凄絶な戦闘が繰り広げられる。豪雨の中で群盗40騎と死力を尽くして戦うアクション・シーンは文字通り力感と熱量のダイナミックな頂点。これを凌ぐ大スケールの肉弾戦は、今後もまずありえないことだろう。現今のデジタル依存とはまったく無縁のモブ・シーンのド迫力。俳優たちの生の肉体を極限にまで駆使して、鬼の黒澤演出が作り出す怒涛の戦闘リアリズム。苦節の撮影1年を優に超した巨篇ならではの完成度だ。
何千何百何万本の槍のような豪雨を浴びながら、斬り合い、刺し合い、組んず解れつの肉弾戦は蓋し凄絶にして荘厳。8台のカメラによる同時撮影=マルチカム・システムが威力を発揮した映画史上最高にして最大級のアクション。多方向から迫力に満ちた映像を充分に確保し、これらの豊富な素材(フィルム)を見事な編集で成し遂げた空前絶後の激闘シーンだ。
かくて戦闘は終わった。菊千代、久蔵、平八、五郎兵衛が壮烈に討ち死にして逝った。辛くも生き残った勘兵衛、七郎次、勝四郎。小高い丘に並んだ四つの土饅頭を見上げながら「今度もまた、負け戦(いくさ)だったな。勝ったのはあの百姓たちだ。我々ではない」としみじみ呟く勘兵衛。彼らの視線の先では、村総出の田植えが始まっている。平和が戻った。あの主題曲[音楽・早坂文雄]とともに画面に「終」の太文字──。
https://www.youtube.com/watch?v=GF5U83UIX1o
折にふれて、私はこの「七人の侍」をDVDで見直すことが度々ある。今回は世界を覆うコロナウイルス感染禍の猛威を感じつつ、ごく自然に『七人の侍』のディスクをレコーダーにセットした。3時間27分──いつものようにこの巨篇をじっくり堪能した。見れば見るほど感銘が深まり、飽きることが一切ない。
ブルーレイ『七人の侍』では、有名な雨の中の決闘シーンの“ゴミ消し”作業は全て手作業で、ここだけで1週間かかった・・・スタッフの方の集中力と根気に頭が下がります。
— 東宝ライツ事業部 (@tohovisual) October 21, 2009
多くの戦乱が生んだ夥しいほどの浪人の横行。自暴自棄の果て掠奪のため徒党を組む野武士。不条理な災害にも見舞われながら呻吟する貧農が、度々掠奪の波に見舞われて是非なく防衛のため、食い詰め浪人を雇って村を守ってもらう。このオリジナルな着想に始まった映画作りは、偉大な傑作時代劇の誕生に繋がった。戦国時代末期、混沌とした時勢の只中で士農工商という身分差を越えて、士と農が結束するという実験の意外な面白さ。そこから悪逆の略奪集団と闘うべく、やがては侍と農民の結束が生まれて行くという展開の奥深い感動性。そして前述したように、優れた叡智と豊かな人格を内に秘めるリーダー・島田勘兵衛の農民を諫める一喝「他人(ひと)を守ってこそ自分を守れる」という連帯の叫びが、強烈に心の深部まで響いてくるのかもしれない。
いつの世も《災い》は何の予告もなしに何処からとも思いがけなく訪れることが多い。自然災害(地震、津波、気候変動)は勿論、産業公害(水俣病、イタイイタイ病)も、あるいは各種細菌感染禍も、不用意の隙間に付け込むように侵入しては人間存在を脅かす大事を引き起こす。人はあらゆる厄災に関して、ほぼ無力だが、現下、全世界がいわば“コロナ・テスト”を受けて、全人類が未曽有の悲劇に対する対応の姿勢と理智を試されているときだと思われる。その一方、コロナを巡る米中の新たな葛藤などを生み出し始めているようだ。
世界分断の危機を更に深めていく気配の中で、いま暫く<STAY HOME>して休息を取りながら、映画『七人の侍』の強度な芸術力と真の娯楽性の見事な合体を確かめることも、決して無駄なことではないと思われる。野武士の襲来をコロナウイルスに擬(なぞら)えながら、『七人の侍』絶賛の一文を書かせて貰って暫し至福を味わった。
文:関根忠郎
『七人の侍』はU-NEXT他で配信中