映画監督・北野武の“最も暗い夜明け前”に作られた傑作
『ソナチネ』(1993年)は北野武の監督歴においても、ビートたけしの人生を語る上でもターニングポイントとなる作品だ。監督第4作目となる27年前(!)の作品であるが、現在でも北野映画の最高傑作に挙げる人も多い。北野武自身も10年ほど前のインタビューで、最も思い入れがある作品としてこの『ソナチネ』を挙げている。ヨーロッパで高く評価され、“キタニスト”と呼ばれる北野映画ファンが誕生する契機となった。私にとっても最も印象深い北野作品である。最も美しい北野作品と言ってもいいかもしれない。
しかし興行的には大惨敗となり、2週間で公開が打ち切られてしまう。そのことにショックを受けたビートたけしはバイク事故により、生死の狭間をさまよった。そして、この事故を境として北野武監督の運命は大きく変わることとなる。
1996年に東京で開催された国際映画シンポジウムで、フランス人評論家が「鈴木清順が、北野武作品を理解する手懸りになる。鈴木清順は好きですか?」と北野武に質問をした。北野監督は「鈴木清順の作品は1本も見たことがない」と答える。すると、映画評論家であり東大教授の蓮実重彦が「『ソナチネ』という映画は物語の構造は鈴木清順の『東京流れ者』(1966年)と同じだ」と補足した。それに対し北野武は「『ソナチネ』は、よくあるヤクザ映画のストーリーをいかに崩すか。ヤクザ映画のストーリーに、従来的でない映像をいかにはめ込むかをテーマに創作した」と答えている。
ビートたけしとしての実人生ともリンクする演出とストーリー
『ソナチネ』という映画の「核」となる部分はストーリーにない。抗争の助太刀のため沖縄に渡ってきたヤクザたちは成り行き上、何もすることがない暇な時間を過ごさなくてはならなくなる。非日常の中で彼らは童心に帰ってゆき、相撲、花火、落とし穴作りなど子供じみた遊びで暇を潰す。北野監督はそれらを、時に現実を逸脱したユニークな映像表現で描いてみせる。その脈絡のないシーンの連続がこの作品の一番の見せ場である。つまり「暇つぶし」にかこつけて、「先鋭的な映像の脈絡ない連続」=「シュルレアリスム作品」に仕上げることが『ソナチネ』における北野武監督のアイデアの肝である。小ネタ(ソナチネ)のオムニバスだ。
邦画の中でシュルレアリスム作品の金字塔であるのが、鈴木清順の『ツィゴイネルワイゼン』(1980年)である。鈴木清順の『東京流れ者』の枠組みを使って『ツィゴイネルワイゼン』を作ることが、『ソナチネ』における北野武監督のいたずら心を含んだアイデアだったように思える。後に北野監督は『TAKESHIS’』(2005年)という『ツィゴイネルワイゼン』を彷彿とさせるシュルレアリスム作品を発表する。「鈴木清順作品は1本も見たことがない」という北野監督の発言は、種明かしを拒否したように思える。
映像美を追求したシュルレアリスム作品を目指す一方で、北野武個人の本音の独白が散りばめられているのも『ソナチネ』の特徴だ。北野武自ら演ずるヤクザの組長・村川に「ヤクザやめたくなったな。なんかもう疲れたよ」と語らせる。村川は死に魅了された男として描かれている。当時、北野武が抱えていた憂鬱が透けて見える。バイク事故は『ソナチネ』のラスト同様、自死を思わせる。モラトリアムの時間を過ごす羽目になる設定は、フライデー襲撃事件の後の謹慎期間を想像させる。
『キッズ・リターン』の成功、そして『HANA-BI』でベネチア金獅子賞獲得
『ソナチネ』は、ハードボイルドなストーリーとシュルレアリスムの映像美、北野武の私小説が見事に調和した傑作だ。傑作だっただけに興行的な失敗のダメージが大きかっただろう。しかし、なにせ基本がシュルレアリスム作品である。興行的成功が非常に困難であったのも当然に思える。
だが、北野武は事故後わずか2年で『キッズ・リターン』(1996年)をものにする。一転、思い出すだけで胸が熱くなる、テーマ曲を聴くだけで目頭が熱くなる(笑)、誰もが共感できる『ソナチネ』とはタイプが逆の傑作である。
北野作品で最もファンが多いのがこの『キッズ・リターン』ではないだろうか。そして次の『HANA-BI』(1997年)が第54回ベネチア国際映画祭で金獅子賞を受賞し、北野武は映画監督として不動の評価を獲得する。つまり『ソナチネ』は最も暗い夜明け前に作られた傑作であったのだ。
今回久しぶりに『ソナチネ』を鑑賞して一番心を奪われたのは、俳優・渡辺哲の芸達者ぶりだった。作品中のギャグが笑えるのは、ほとんど彼によるところが大きい。大変な名優である。
そしてチャンバラトリオの故・南方英二が、ハリセンを銃に持ち替えて殺し屋役としてキャスティングされている。ものすごい顔のインパクトなので注目して欲しい。海外の人たちはきっと本物の裏の世界の人間と思ったに違いない。
文:椎名基樹