始まりは愛妻の生理の日
人類の半分は、もう半分のことをあんまり知らない。知らなくても生きていけるし、知らない方が生きやすいこともある。“男と女の間には深くて暗い川がある”という歌の文句があるけれど、この川を渡ろうとするとき、人はなかなかやっかいな問題にぶち当たる。
『パッドマン 5億人の女性を救った男』の主人公ラクシュミがまさにそうだった。結婚して初めて女性固有の問題を知る。月経である。日本でも昔は月経が“穢れ”とされ、女人禁制の場所が設けられたりしていたが、因習の強いインドでは、さらに厳しい差別があった。
愛する妻が、月経の間は外の廊下で寝なければならず、経血を処理するのが薄汚れた布であると知って愕然とするラクシュミ(母親や妹達の場合は気にならなかったくせに)。大昔ではない、21世紀の話である。生理用ナプキン(インドではイギリス英語でパッドと言う)は高くて買えないと嘆く妻を助けたい一心で、発明工夫が得意なラクシュミは、安価なナプキン作りの研究を始める。しかし、“穢れ”の問題に立ち入るラクシュミに周囲はドン引き。作ったナプキンを試してくれる女性を見つけるのも一苦労。何度も失敗を繰り返すうちに、ラクシュミの熱意がかえって気味悪がられるようになり、ついには最愛の妻さえ実家に連れ戻されてしまう。すべてを失ったラクシュミは、生まれ育った町を出て、大都会へ出て行くことになる、と、ここまでが前半で、インターミッション。インドの上映館なら本当に休憩になって、観客はトイレに行ったり、売店でポップコーンを買ったりすることだろうが、日本の上映館では休憩なしですぐ後半に入るのでご注意。
ついには国連に招かれて
さて、映画を無心で楽しみたい方のために、後半のストーリー展開についてはあまり触れないでおきたい。知らずに見た方が感動が大きいからだ(私はいつもそうする)。が、楽しみを奪わない程度に、『パッドマン』が描いたテーマについて触れておきたい。気になる方は、ここから後は映画を見てからお読みください。
前半のラクシュミは生理用ナプキンの研究によってすべてを失う。そして、後半、大都会に出たラクシュミは、セルロース・ファイバーという素材を発見し、美しく聡明な女性パリ―と知り合って、運勢がぐんぐん上向きになり、見事に生理用ナプキンの開発に成功しただけでなく、ついにはニューヨークの国連で講演するまでになる。このときの彼のスピーチがとりわけ感動的だ。何より、英語の苦手な彼がとつとつとしゃべる言葉の純粋さが感動を呼ぶからだ。
ラクシュミの夢は、安価で清潔なナプキンを発明し、妻を幸せにしたいというごく私的な幸せを叶えることから始まる。けれども、安価で清潔なナプキンは、彼の妻だけでなく、インドの全女性達(インドの総人口10億人の半分だ)を幸せにすることに気づく。そして、彼が素晴らしいのは、その発明で特許をとって自分ひとりで儲けるのでなく、その夢をすべての女性達と分かち持つことを選ぶところだ。その考え方は、06年にノーベル平和賞を受賞したバングラデシュのムハマド・ユヌスとグラミン銀行とよく似ている。両方とも社会から差別されている貧窮層の女性に救いの手を差し伸べた。ラクシュミの安価な生理用ナプキンも、グラミン銀行が貸し出す金額も、貧しい女性に自立をうながし、生活を根底から変えるチャンスを与えた。富を自分だけのものとせずに、皆と分かち合おうとする気持ち。インドとバングラデシュとの違いはあるが、アジアの風土に根付いた考え方なのかもしれない。
そして、もちろん歌ありダンスありの楽しさ満載。ラクシュミを演じるアクシャイ・クマールはバンコクで武術を学び、キラーリー(闘士)という代名詞で知られるボリウッドの大スターだ。そんな武骨な彼が、ナプキン作りに精を出すというミスマッチがインドの観客には大受けだったろう。
生理用ナプキンという、ちょっと人前では口にだしにくい素材を、こんなに感動的な映画に仕立ててくれるインド映画の恐るべきパワー。『バーフバリ』に続いて、またもや、その楽しさにやられてしまった。
文:齋藤敦子
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