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「インド映画が歌う」のはなぜ? ドキュメンタリー『タゴール・ソングス』オンライン配信中

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ライター:#安宅直子
「インド映画が歌う」のはなぜ? ドキュメンタリー『タゴール・ソングス』オンライン配信中
『タゴール・ソングス』© nondelaico

インド亜大陸を舞台にしたドキュメンタリー映画、それも日本人の手によるものをご紹介したいと思います。佐々木美佳監督による『タゴール・ソングス』は、20世紀のベンガルの文豪タゴールが作曲・作詞し、ほぼ一つの音楽ジャンルとなっている歌曲群が、現代のベンガル地方でどのように歌い継がれているかを丹念に追った105分です。

『タゴール・ソングス』© nondelaico

ベンガル人にとって、インド亜大陸人にとって、「うた」とは何なのか

作詞・作曲と便宜的に書きましたが、伝統的に亜大陸で“詩”は基本的には歌われるものでした。インド古典音楽の世界で楽聖と呼ばれる人々の作品でも、古い時代のものとなると当初のメロディーが失われ、詩句とラーガ(旋法)の指定だけが残っているものも少なくありません。それでも「作曲家」のクレジットはついてまわるのです。亜大陸での作曲家とは「譜面を書く人」ではなく、自らの詩を歌って人々に伝える技能を持つ人のことでした。また、古典に限らず音楽全般で、和声が用いられずモノフォニー(単一旋律)が基本、そして歌詞のある声楽曲であってもタイトルがない(歌いだしの語句などで代用)ことが多いなどという特徴もあります。

『タゴール・ソングス』© nondelaico

20世紀に入り、1930年代のトーキー出現とともに、映画の挿入歌が亜大陸の音楽シーンの中で無視できない巨大な存在となり、その中で作曲家と作詞家の分業が普通となっていきます。タゴールは作曲・作詞を併せて行った最後の文豪かもしれません。

『タゴール・ソングス』© nondelaico

話は逸れますが、20世紀後半からのインド映画音楽は、民衆の音楽としての普及度ナンバーワンで、この地位は今後もしばらくは不動でしょう。よく「歌と踊りのインド映画」というフレーズが良くも悪くも用いられますが、インド大衆映画の多くが歌と踊りを含む理由は、簡単には説明できません。ネット上には時に珍説・奇説が現れますが、ひとまずは歌と踊りは分けて考えるべきと思います。

『タゴール・ソングス』© nondelaico

比べてみると、歌は踊りよりもはるかに重要です。歌は映像から離れて、実際には映画を見ない人のところまでラジオなどを通して伝播していきます。映画作品が興行的にふるわず、歴史の闇に消えていっても、劇中歌が名曲ならばそれは歌い継がれます。歌詞に込められた奥深い含意やレトリックの妙は、非ネイティブなら辞書を引き倒して初めて解るくらいのもの。そして日常生活の中で、市井の人々がどれほど歌というものに親しんでいるかは『タゴール・ソングス』が分かりやすく見せてくれます。「インド亜大陸人の歌好き」は、疑いなく「インド映画が歌う」の理由の筆頭です。

『タゴール・ソングス』© nondelaico

国境をまたぎベンガル語によって結ばれる、ふたつの地域にそびえる大樹

さて、ここまで「インド亜大陸」という言葉を使ってきましたが、それは「ベンガル地方」が2つの国にまたがっているからです。ひとつはインドの西ベンガル州、もうひとつはバングラデシュです。これら2地域でベンガル語が公用語となっているのは、北インド主要部とパキスタンとがヒンディー/ウルドゥー語によって連続している(下の過去記事を参照)のと、ちょうど対になっています。

『タゴール・ソングス』© nondelaico

インドとバングラデシュとして政治的に分断され、主要な宗教がそれぞれヒンドゥー教とイスラーム教に分かれていても、ベンガル語がこの地域の人々のアイデンティティーの要であることに変わりはありません。1861年から1941年までを生きたタゴールは、1947年の分離独立により分断される前のひとつのベンガル語圏で多くの名作を送り出し、巨樹のように人々の上に枝を差しかける存在となったのです。

豊穣のトリウッド=ベンガル語映画世界へのいざない

タゴールがベンガル語文学の巨人なら、映画においてはサタジット・レイ監督(1921 – 1992年)が、インドの西ベンガル州で発展したベンガル語映画の大きな支柱になりました。タゴールとは世代的に半世紀以上ずれて、サタジット・レイが監督活動を始めたのが1950年代半ばの西ベンガルだったため、その影響力は主としてインドのベンガル語映画界にとどまりはしましたが(バングラデシュには独自のベンガル語映画界が存在します。流通の範囲などから両者は一応別物と考えたほうがよさそうです)。

インドのベンガル語映画界の中心は州都コルカタで、市の南郊トリガンジ(Tollygunge)に撮影所などがあることから、「トリウッド」の愛称で呼ばれることも。南インドのテルグ語映画界と同じですが、たぶんこちらの方が古くからの呼称のはずです。実は日本でも、1980年代末ごろまで、インド映画の単館公開や映画祭上映の中心はベンガル語映画でした。特にサタジット・レイ監督は当時のインド映画の代名詞的な存在だったのです。

1990年代後半から流れが変わり、ヒンディー語や南インドの映画が多く紹介されるようになる一方、なぜかベンガル語映画の上映は激減してしまいした。別にベンガル語映画自体が下火になったり質が落ちたりした訳ではないのに残念です。『タゴール・ソングス』から、映画にも興味を持たれたら、タゴール原作、サタジット・レイ監督の『チャルラータ』(1964年)をまずは見てほしいと思います。そこからは分厚い歴史と独特な深みをもったベンガル語映画の世界が広がるはずです。

文:安宅直子

『タゴール・ソングス』は、オンライン鑑賞サービス「仮設の映画館」にて2020年5月16日(土)10:00~2020年6月12日(金)24:00まで配信(延長の可能性あり)、映画館での上映は全国順次公開予定

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『タゴール・ソングス』

非西欧圏で初めてノーベル文学賞を受賞したラビンドラナート・タゴール。イギリス植民地時代のインドを生きたこの大詩人は、詩だけでなく歌も作っており、その数は二千曲以上にものぼります。「タゴール・ソング」と総称されるその歌々はベンガルの自然、祈り、愛、喜び、悲しみなどを主題とし、ベンガル人の単調であった生活を彩りました。そしてタゴール・ソングは100年以上の時を超えた今もなお、ベンガルの人々に深く愛されています。なぜベンガル人はタゴールの歌にこれほど心を惹かれるのでしょうか。歌が生きるインド、バングラデシュの地を旅しながらその魅力を掘り起こすドキュメンタリー。

制作年: 2019
監督: