宗教によって違う挨拶の言葉とジェスチャー
インドでは、信仰する宗教によって挨拶のやり方も異なる。ヒンドゥー教徒の場合は両手を合わせて拝むジェスチャーをし、ヒンディー語では「ナマスカール」「ナマステー」、ベンガル語では「ノモシュカル」、タミル語では「ワナッカム」等の挨拶言葉を言うのが一般的だ。でも『パッドマン 5億人の女性を救った男』(2018)では、主人公ラクシュミの挨拶は「ナルマデー・ハル(聖なるナルマダー河よ)」で、いかにもナルマダー河のほとりで生きる人らしい挨拶となっている。他にも、田舎の人はラーマ神の名前を呼んで「ラーム、ラーム」と言うことがあるが、『バジュランギおじさんと、小さな迷子』のパワンは「ジャイ・シュリー・ラーム(ラーマ様を称えよ)」と、ハヌマーンさながらの、ラーマへの忠誠心を表す挨拶をいつも使っている。
イスラーム教徒の挨拶は正式には「アッサラーム・アレイクム(あなたの上に平安がありますように)」だが、短くして「サラーム」と言うことも多い。その時は、上記の写真のように、右手を額のあたりに持ってきて軽く頭を下げ、「サラーム」または「アーダーブ」と言う。「アーダーブ」は「ご挨拶を」という意味だ。
『バジュランギおじさん』のパワンは、ガッチガチのピュア菜食主義ヒンドゥー教徒で、隣家から漂うチキンを焼く匂いにも敏感に反応する。イスラーム教寺院(モスク)に足を踏み入れるのさえイヤで、パキスタンに侵入したあとも挨拶はかたくなに「ジャイ・シュリー・ラーム」を使う。ところが、パキスタンで親切な人々に出会うに従って、彼の心境に変化が起きる。特にある時、自分たちを助けてくれたモスクの導師が柔軟な態度で挨拶してくれたことが心に響き、自分の考えを変えていく。そしていよいよ最後にパキスタンを離れるにあたって、パワンは自ら進んで「サラーム」の挨拶をするのである。挨拶のジェスチャーだけでパワンの心情の変化を表すこのシーンは、大きな感動を呼ぶ。
インド映画をさらに理解したい人には、インドの宗教に関連する雑知識を仕込んでおくのをおすすめする。反対に言えば、インド映画を見れば見るほどこういう雑知識も増えるので、ぜひ、多くの作品を見てほしい。
まだまだある、特異なジェスチャー
雑知識ついでにもう一つ、オマケを書いておくと、『バジュランギおじさんと、小さな迷子』では、ジェスチャーの意味を知っていると大笑いできるシーンがある。
物語も終盤近く、パキスタンの記者チャンド・ナワーブ(ナワーズッディーン・シッディーキー)の助けを借りながら、シャヒーダーの故郷へとパワン一行が向かっていた時のこと。パワンとナワーブが谷川で水をすくって飲んでいると、少し上流の岩陰から、シャヒーダーが立ち上がる。「しゃがんで何をしていたんだ? ひょっとして?!」とパワンが彼女に向かって小指を立てて見せるのだ。
日本では、小指を立てるジェスチャーは「女」、特に「愛人」といった立場の女性を示すが、南アジア世界ではこれは「オシッコ」という意味になる。シャヒーダーが首を横に振るのを見てパワンは安心し、また水を飲み出すのだが、次の瞬間ハッと気づき、今度は指2本を立てたVサインをして見せる。するとシャヒーダーがうんうん、とうなずき、パワンとナワーブは口に含んでいた水を吐き出す。私もこのシーンで初めて知ったのだが、どうやら指2本立ての「Vサイン」は、”大”を表すようなのだ。とはいえ、まだ裏付けが取れていなくて半信半疑。今度インドに行ったら、調査して来ようと思っている。
文:松岡環
<インド映画の世界が広がるキーワードは?~『バーフバリ』から『バジュランギおじさんと、小さな迷子』まで、「宗教」アイテムが映画を回す(1/2)>
『バジュランギおじさんと、小さな迷子』
パキスタンの小さな村に住む女の子シャヒーダー。幼い頃から声が出せない彼女はお母さんと一緒にインドのイスラム寺院に願掛けに行った帰り道、一人インドに取り残されてしまう。そんなシャヒーダーが出会ったのは、ヒンドゥー教のハヌマーン神の熱烈な信者のパワン。母親とはぐれたシャヒーダーを預かることにしたパワンだが、ある日、彼女がパキスタンのイスラム教徒と知り驚愕する。歴史、宗教、経済など様々な面で激しく対立するインドとパキスタン。それでもパスポートもビザもなしに、国境を越えてシャヒーダーを家に送り届けることを決意したパワン。波乱万丈の二人旅が始まった。果たしてパワンは無事にシャヒーダーを母親の元へ送り届けることができるのか?
制作年: | 2015 |
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監督: | |
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