「寝られない映画はダメだ」と言っていた美術予備校時代の友人
私は映画を観ている途中で眠ってしまうことがよくある。だけれど、眠ってしまった映画がつまらないということではけしてない。つまらない映画を一睡もせずに観きって「ああ、つまらなかったー」ということもある。映画好きの友人たちとは、たまに「あの映画は2回眠ってしまって、3回目の挑戦でやっと観終わった」なんていう会話が堂々と交わされることもある。
2、3年前にエドワード・ヤン監督の『牯嶺街(クーリンチェ)少年殺人事件』(1991年)が再上映されたときも、みんなでよくそういう話をした。私も気合を入れて挑戦したが、結局2回映画館に通うはめになった。あれは有楽町だったか。2回で3600円。かなり良いランチが食べれるな。でもランチも高いから美味いってわけでもない。
最も記憶に残る寝映画は、10年前くらいに渋谷ユーロスペースで観たアンドレイ・タルコフスキー監督作品『惑星ソラリス』(1972年)だ。あのときは映画と夢の境目がわからなくなって、幻覚を見た。DVDで何度も観たことがあったから、夢のなかの映画館でも『惑星ソラリス』が上映されて、軽いパニックになったのだ。だけれど、良い体験だった。映画は幻覚も見せてくれる。
そういえば、美術予備校時代の友人のワクイ君は「寝られない映画はダメだ」と言っていた。ワクイ君は、私が通っていたコースとは違うコースに通っていたのだが、僕が4時間の小論文テストを抜け出して予備校の真ん中にある休憩スペースのベンチに座っていたときに出会ったガタイの良い男だ。進学後はお互いの大学が遠かったこともあって、あまり会うことはなかったが、一度、彼の自主映画が学内上映されるというので鷹の台まで観に行った。
ワクイくんの映画は案の定、寝ろと言わんばかりの固定ロングショットの連続で、僕はまんまと初めの方から寝てしまった。上映後、受付の横に座っていたワクイ君に、寝たことを正直に伝えると、彼は満足げに「そうかそうか」と言って照れたのだった。変わった人もいるもんだ。
寝ようが寝まいが、自分と映画の時間が同じように進んでいく映画は凄い
正直に言うと『凱里ブルース』も寝た。何度も寝た。観て寝て起きて、また寝て起きて観てを繰り返して、もうダメだこりゃと思って、一回忘れて、別の日にまた挑戦して観終わった。
でも良い映画だった。静かに、息をしているように揺れるカメラが、あっちへ行ったりこっちへ行ったりする役者たちを交互に追っていく。まるで自分が幽霊になったような視点で映画が進んでいく。後半の長時間ワンカットでは、どうしてこっち(カメラ)に気付いてくれないんだろう、という気さえ起きてくる。ワンカットはやっぱり面白い。その間だけは、観客と映画の時間の進むスピードが一緒になる。
僕がいくら寝ようが、寝まいが、自分と映画の時間が同じように進んでいく。これってやっぱり凄いことだ。ワクイ君の言った「寝られない映画はダメだ」は極端だが、あながち間違いでもないかもしれないな、と思ったりする。ワクイ君に、この映画を教えようと思って久しぶりに彼にLINEを送ると「そうかそうか、観てみるわー!」と返事が来た。彼のLINEのアイコンがジャック・バウアーになっていて驚いた。
ちなみにワクイ君はいま、川のせせらぎとか、ミツバチが花から蜜を集める様子を撮った映像素材を扱う会社で営業マンをしているらしい。その映像は主にオフィスビルのエレベーターのモニターで流れているという。
文:松㟢翔平
『凱里ブルース』は2020年5月9日(土)よりシアター・イメージフォーラムほか全国順次ロードショー
『凱里ブルース』
エキゾチックな亜熱帯、貴州省の霧と湿気に包まれた凱里(かいり)市の小さな診療所に身を置いて、老齢の女医と幽霊のように暮らすチェン。彼が刑期を終えてこの地に帰還したときには、彼の帰りを待っていたはずの妻はこの世になく、亡き母のイメージとともに、チェンの心に影を落としていた。さらにしばらくして、可愛がっていた甥も弟の策略でどこかへと連れ去られてしまった。チェンは甥を連れ戻す為に、また女医のかつての恋人に想い出の品を届ける為に、旅に出のだか、辿り着いたのは“ダンマイ”という名の、過去の記憶と現実と夢が混在する、不思議な街だった──。
制作年: | 2015 |
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監督: | |
出演: |
2020年5月9日(土)よりシアター・イメージフォーラムほか全国順次ロードショー