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すべての“御法度”を破った男・大島渚! 松竹BL映画の系譜を継ぐ二部作『戦場のメリークリスマス』と『御法度』

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ライター:#セルジオ石熊
すべての“御法度”を破った男・大島渚! 松竹BL映画の系譜を継ぐ二部作『戦場のメリークリスマス』と『御法度』

「表現の自由」と戦い続けた大島渚
【ポスターは映画のパスポート 第5回】

大島渚のBL(ボーイズラブ)2部作が、CS映画専門チャンネル ムービープラスで放映される。このところ民放テレビでも「おっさんずラブ」「きのう何食べた?」など、コメディとはいえ同性愛を前面に出したドラマが人気を集めているが、少し前までゲイ/ホモセクシュアルなどのテーマは、あまり大っぴらに描かれるものではなかった。日本では1970年代までにゲイ雑誌や、BL雑誌(主に女性が愉しむ小説・マンガ誌)が登場していたとはいえ、日陰の花のような存在だった。その頃、大島渚が戦っていたのはもうひとつの「表現の自由」だった。

1970年代といえば、アメリカでポルノ映画が隆盛を迎えた時代だ。1960年代に北欧諸国でポルノ解禁・合法化が進み、アメリカでも「表現の自由」が認められて、性行為そのものを画面に映し出すハードコア・ポルノ映画が堂々と映画館で上映されるようになっていった。『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』(2019年)で「ポルノ映画がプレミア上映会?」とか言っているセリフがでてくるが、このあたりから着実に変わりつつあったのだ。その後の展開は『ブギー・ナイツ』(1997年)やHBOのドラマ『DEUCE/ポルノストリート in NY』(2017~2019年)などで描かれている。

そんな時代、「ポルノ後進国」だった日本で堂々と「表現の自由」を求めて戦いを挑んだのが大島渚だった。日本初のハードコア・ポルノ『愛のコリーダ』(1976年)は、撮影したフィルムをフランスへ空輸して現像するというアクロバティックな作戦で製作され、海外ではもちろん無修正、日本では大幅なカットとボカシが入った状態で上映され、「表現の自由」後進国たる日本の現状を世界に知らしめた。

国の制度への挑戦ゆえに“ポルノ”として興味本位で注目されてしまったが、『愛のコリーダ』と、その姉妹編的な『愛の亡霊』(1978年)は、「男女の愛」の極限を描いた秀作で、ボカシなしで鑑賞した海外の批評家・観客には高く評価され、『愛の亡霊』は第31回カンヌ国際映画祭コンペティション部門で監督賞が授与された。

しかし、日本国は、映画ではなく脚本やスチール写真を掲載した書籍「愛のコリーダ」を“わいせつ物頒布等の罪”で起訴するという意味の分からない懲罰を与えようとした(判決は無罪)。そして、京都大学法学部の卒業生である大島渚は、このバカバカしい『愛のコリーダ』裁判劇で「表現の自由」闘争に見切りをつけ、別の方向へ舵を取ることにする。

『愛のコリーダ』
日本公開版半裁ポスター 1976年 東宝東和 アート&デザイン:益川進
Japan B2 StyleB 72cm×58cm TOWA Japan 1976 Art: Susumu Masukawa

※『愛のコリーダ』のポスターはスチール写真とイラストをそれぞれ大きく見せる2種類のバージョンが作られた。イラスト・デザイン・タイトル文字は東宝宣伝部で黒澤明作品などを担当していた益川進(1917~1992年)。

『愛の亡霊』L’empire de la passion
西ドイツ版A1ポスター 1979年 アート: ローラン・トポール
West German A1 83cm X 59cm 1979 Art: Roland Topor

※富士山と女性の股間が合体した大胆なイラストレーションは、『ファンタスティック・プラネット』(1973年)で知られるフランスの漫画家ローラン・トポールによるもの。ロマン・ポランスキー監督作『テナント/恐怖を借りた男』(1976年)の原作者であり、ヴェルナー・ヘルツォーク監督の『ノスフェラトゥ』(1978年)には俳優として出演し、日本人シャンソン歌手・薩めぐみのために歌も作った異能の人だった。

世界を先取りしていたキャスティング・センス

『戦場のメリークリスマス』(1983年)は当初、ロバート・レッドフォード、沢田研二、勝新太郎の競演で構想されていたというが、紆余曲折の末、デヴィッド・ボウイ、坂本龍一、ビートたけし(映画でのクレジットはTakeshi)となった。結果論かもしれないが、時代の変わり目を敏感に感じ取ったような奇跡的なキャスティングだ。

ロックスターとしての代表作「ジギー・スターダスト」(1972年)のツアー衣装を日本人デザイナー山本寛斎に依頼し、名作アルバム「ヒーローズ」(1977年)のジャケット写真を鋤田正義に撮らせ、一時期は京都に住んでいたともいわれるデヴィッド・ボウイは、その美貌ですでに日本では音楽ファンのみならずBL雑誌のアイドルだった。『地球に落ちて来た男』(1976年)、『ジャスト・ア・ジゴロ』(1978年)などの主演作もすでにあった。

1942年、日本軍がまだ優勢だったころのインドネシア・ジャワ島。ボウイ演じる反抗的な捕虜に“恋焦がれる”日本軍俘虜収容所長を演じた坂本龍一は、テクノポップグループ<イエロー・マジック・オーケストラ(YMO)>で流行音楽の最先端を行っていたし、軍曹役のビートたけしは、お笑い芸人として他とは一線を画した存在だった。2人とも演技はほぼ素人だったが、大島は以前から『新宿泥棒日記』(1969年)で画家・デザイナーの横尾忠則、『夏の妹』(1972年)にはシンガーソングライター・りりィを起用するなど、プロの俳優以外の人々の独特の存在感を映画に利用することが多かったのだ。

坂本龍一、ビートたけしの演技は「普通の映画」に慣れた観客には驚くべき違和感を叩きつけてくるものだったし、公開当時から散々な評価だった。が、いま観ると彼らふたりとデヴィッド・ボウイは、どこか違う世界に浮遊しているように見える。偶然か、大島渚の計算か、タイトル・ロールであるローレンス中佐を演じたイギリス人俳優トム・コンティや、オーストラリア俳優ジャック・トンプソンがしっかりした「普通の演技」を見せるほど、坂本、たけし、ボウイの3人は、まるで違う宇宙に存在しているかのような独特の存在感を獲得していく。

戦争映画であるにもかかわらず、戦闘シーンは一切ない『戦場のメリークリスマス』は、極限状態における様々な人間関係、男たちの心の揺れを見事に描き出した傑作となった。

『戦場のメリークリスマス』MERRY CHRISTMAS, MR. LAWRENCE
イギリス版クォード 1983 アート:ペンズ
UK British Quad 75cm×102cm 1983 Art: Pens

戦場における“禁色”

大島渚は、戦場における男同士の特殊な関係性を描き出す。けっして直接的ではないが、確実にそこにある“異質感”が、この「普通の映画」ではあり得ないキャスティングによって見事に具現化されている。大島は、こうした「同性愛」や「秘められた愛」を表現するのは、「ハードコア」とは対極にある、なにか「秘めやかで密やかなもの」とわかっていたのだろう。

そう考えると、まさに奇跡のように凄いキャスティングなのだが、それに比べてローレンス・ヴァン・デル・ポストの「影の獄にて」を大島が脚色した脚本には妙なブレがある。ボウイ演じる俘虜の少年時代の回想が何度も入り、彼と障害者である“弟”の関係が説明されるのだが、それは“弟”ではなかったほうがよくはないだろうか。予算の問題かもしれないが、だったら坂本龍一の陸軍将校の回想場面も必要だったろう。彼はセリフで「二・二六事件に参加できなかった」と語るのみだ。そんな空白を坂本龍一は、出世作となった映画のサウンドトラック盤で、あの印象的なテーマ曲のピアノ版に「Forbidden Colors」と名付けてヒントにした。これは三島由紀夫の同性愛小説「禁色」の英語題名だ。

そして、原作者名であり映画の英語題名にも残された名前ローレンスは、同性愛者だったとされる『アラビアのロレンス』(1962年)の主人公と同じだ。大島が最初に構想した俘虜将校役は、まさに『アラビアのロレンス』のピーター・オトゥールだったという。

余談だが、大島渚が松竹で『愛と希望の街』(1959年)を撮って映画監督デビューした年に、のちに日本初のゲイ映画と認定されるようになる木下惠介監督作『惜春鳥』(1959年)が作られていたのは何かの偶然だろうか。少なくとも大島が木下作品を見ていたことは確実だろう(ちなみに『惜春鳥』をゲイ映画と喝破したのは某有名BL雑誌の寄稿者だった故・石原郁子さんだ)。

デヴィッド・ボウイはもちろん、坂本龍一、ビートたけしのその後の活躍は誰でも知っている。『愛の亡霊』でのカンヌ監督賞以外ほぼ無冠の帝王に終わった大島渚による大胆不敵なキャスティングが、のちの坂本龍一のアカデミー賞作曲賞(『ラストエンペラー』[1987年])やビートたけし(北野武)のヴェネチア国際映画祭金獅子賞(『HANA-BI』[1997年])につながったと考えると感慨深い。

『戦場のメリークリスマス』MERRY CHRISTMAS, MR. LAWRENCE
アメリカ版1シートポスター 1983年
USA1Sheet 104cm×69cm 1983 Universal NSS# 830136

お国柄が出た各国のアートワーク

1983年のカンヌ国際映画祭でパルム・ドール(最高賞)最有力とされた『戦場のメリークリスマス』だったが、残念ながら受賞はならなかった。それでも、“デヴィッド・ボウイ&世界の大島”の名前で世界各国で公開され、フランスなどヨーロッパやラテン諸国では、イギリス人の名前を避けたのか、日本語の「俘虜」がそのまま「FURYO」として題名になっているのが面白い。日本人は、一瞬、「不良?」と思ってしまうかもしれない(笑)。

『戦場のメリークリスマス』FURYO
フランス版ポスター 1983年 アート:ミシェル・ランディ
French Affiche Grande 160cm×120cm 1983 Visa 10059 Art:Michel Landi

また、各国それぞれテイストの違うイラストが使われているのも興味深い。日本では、メインキャスト+監督の顔写真を四角い枠に入れて並べた無粋なものが通常版ポスターだったが、一部では“アート”なデザインのものも使われた。

『戦場のメリークリスマス』MERRY CHRISTMAS, MR. LAWRENCE
日本公開版半裁ポスター 1983年 松竹富士 映倫82781
Japan B2 72cm×58cm Shochiku-Fuji Japan 1983

遺作でもゲイと芸術を追いかけた『御法度』

「俺はすべての御法度を破ってきた――大島渚」 センセーショナルな宣伝コピーに飾られて1999年に公開された『御法度』は、残念ながら大島渚監督の遺作となった。製作準備中に脳溢血で倒れて車椅子生活となっても執念で完成させたというから、どんな映画なのだろうかと期待して観に行ったら、新選組の中でのゲイ騒動を淡々と描いているだけで、正直肩透かし感が強かったのを覚えている。

『御法度』GOHATTO
日本版半裁ポスター 松竹 1999年 映倫99204
Japan B2 72cm×58cm Shochiku Japan 1999

故・松田優作の息子で当時16歳だった松田龍平が、男版“ファム・ファタール”的な役割を演じていてなかなかミステリアスな雰囲気は出ている。とはいえ、直接的な描写を避けてばかりいるので煮え切らない。ゲイ的セックスシーンも浅野忠信、武田真治らキレイどころ(?)ではなく、田口トモロヲ相手だけというのは、BLファンから詐欺だと言われても反論できないだろう(笑)。そのおかげか、本来は引き立て役のはずのビートたけし、坂上二郎、幕末写真に写っている人物そっくりのトミーズ雅ら、「BL」ならぬ「ブ男」(失礼)たちばかりが印象に残ってしまった。

それでも、撮影にアメリカ帰りの栗田豊通、美術は大映のベテラン西岡善信を揃え、クライマックスでは溝口健二の『雨月物語』(1953年:ヴェネツィア国際映画祭銀獅子賞)を思わせる幽玄の世界を再現して見せる(セリフでも「雨月物語」のことが語られる)。マーティン・スコセッシやジャン=リュック・ゴダールが激賞する日本映画の名作を持ち出していたのは興味深い。おそらく大島渚にとって、「ゲイ」は「ハードコア」ではなく「芸術」に通じるものだったのだろう。いわゆる新選組的衣装を排除したワダ・エミ考案による衣装も素晴らしい。坂本龍一は出演こそしていないが、ヒリヒリするような緊張感を感じさせる音楽を提供して、『戦場のメリークリスマス』よりも完成度は高い。

『御法度』GOHATTO
日本版B1ポスター 松竹 1999年 映倫99204 アート:横尾忠則 
Japan B1 116cm×72cm Shochiku Japan 1999
Art:Tadanori Yokoo

日本公開時は、高級感のある色彩と紙質の通常版に加えメインキャストと監督が新撰組衣装で白バックに立つポートレート・ポスター6種が製作され、さらに横尾忠則デザインによる大型ポスターも作られた。それでも、「タブー」と題された海外版の美しくも怪しげな仕上がりには及ばなかったのではないだろうか。

『御法度』TABOU
フランス版ポスター 2000年   
French Affiche Grande 160cm×120cm 2000 Visa:15 498

文:セルジオ石熊

『戦場のメリークリスマス』『御法度』『愛の亡霊』はCS映画専門チャンネル ムービープラス「シリーズ:世界を魅了する日本人 映画監督 大島渚&衣装デザイナー ワダ・エミ」にて2020年5月放送

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