子供のいる夫婦が、ベビーシッターを雇って短時間外出するのはアメリカでは当たり前の慣習。だが『ガープの世界』(1982年)の夫婦は、ベビーシッターと楽しそうな時を過ごす子供たちを“窓の外”から眺めることで至福の時を過ごす。
人生は弧を描く一本の線……すべてのことが繋がっている
2014年に惜しまれつつ世を去った俳優/コメディアン、ロビン・ウィリアムズ。彼が映画出演第二作目としてタイトル・ロールを演じ、そのスターとしての地位を決定的にしたのが『ガープの世界』。彼は『ミセス・ダウト』(1993年)のような喜劇も、『フィッシャー・キング』(1991年)のような悲劇的物語も、自在に行き来した名優だった。一方、原作者のジョン・アーヴィングは、複雑に入り組んだ構成と悲劇的な出来事が数多く起こる展開でありながらも、人生の素晴らしさを描くことのできる現代アメリカを代表する作家だ。『ガープの世界』を名作として成立させる上で、喜劇性と悲劇性の両面を見事に融合させうるこの二人の個性こそが、最も重要な要素だったことは間違いない。
因果応報的にすべての登場人物の運命が弧を描く、一本の線として繋がって描かれる『ガープの世界』のストーリーを簡潔に示すのは不可能に近い(映画化自体が絶対に不可能と言われていた)が、物語は作家で後に母校レスリング部のコーチとなる主人公T・S・ガープ(ロビン・ウィリアムズ)と、その妻で元教師のヘレン(メアリー・ベス・ハート)の夫婦を軸に、女性解放運動の理論的支柱の座に祭り上げられたガープの母ジェニー(グレン・クローズ)や、その周辺の人々の人生を描いていく。
ガープとヘレンの間にはダンカンとウォルトという二人の可愛い息子が誕生するが、ガープがベビーシッターの女学生と浮気してしまったことをきっかけにヘレンも自身の教え子と関係を持ち、悲劇の連鎖により事故で幼いウォルトが亡くなってしまう。……二人は互いに相手を責め、夫婦関係は修復不可能かに思える。
だが、ガープとヘレンは時間をかけ、ゆっくりと夫婦の絆を取り戻していき、もう一人子供を作ろうと決意。生まれてきた女の子に、凶弾に倒れたガープの母にちなんでジェニーと名付ける。……そして、二人にとっての“人生最良のとき”は、ダンカンとリトル・ジェニーをベビーシッターの青年に預け、夫婦で映画を見に行くと言って家を出たあとに訪れる。
楽しそうな様子の子供たちを、外に停めた車の中から窓越しに眺めるデート
家を出て車に乗り込んだ二人だが、なぜかガープは車を発進させようとしない。そして車中から窓越しに、子供たちがベビーシッターの青年と楽しそうに過ごす様子を満面の笑みで見つめるのだ。そんなガープの意図に気付いたヘレンもまた、「これもある種のデートね!」と言い、取り戻した家族の幸せを二人で窓越しに確かめ、どんな試練にも屈しなかった夫婦の愛の絆を実感する。
よく映画の中で、不幸な境遇にある人物が寒空の中を歩いていて、たまたま通りかかった見知らぬ家庭の様子を外から窓越しに垣間見る、というようなシーンがある。家の中は暖かで、笑顔に溢れ、笑い声に包まれている。……これは、窓というフィルターを介して、その外側にいる立場の人間だからこそ感じることが出来る幸せの形なのだろう。
幸せというものは、そのさなかにいるときには意外と気付かないもの。失ってしまって初めて幸せだった家族の時間を実感したガープとヘレンの二人は、物語の最後近くになってようやく再び幸せな家族の時間を築くことに成功し、それを客観的な視点で確認しようとして、この一風変わった“デート”を実践したのだ。
だがしかし、映画はこの“人生最良のとき”で終わるのではなく、その後には最大の悲劇が待ち受けている。ネタバレを禁忌とする最近の傾向を尊重し、未見の方の為にその後の展開を述べることは避けるが、ラストではヘレンの胸に抱かれた幸せそうなガープが、赤ん坊の頃に母ジェニーがしてくれた人生最初の幸せな記憶――「高い、高い!」と空中に放り投げてキャッチする――に戻っていく。この映画自体が、弧を描く一本の線として映画のはじめと終わりが繋がって描かれているのだ!
忘れてはならないジョージ・ロイ・ヒルのシャープな演出!
『ガープの世界』を名作にした最も重要な要素は、喜劇性と悲劇性の両面を見事に融合させうる俳優ロビン・ウィリアムズと作家ジョン・アーヴィングの二人の個性、と述べたが、忘れてはならないのが、それを一本の映画として見事に集約させた監督ジョージ・ロイ・ヒルの演出力だ。『明日に向って撃て!』(1969年)、『スティング』(1973年)、『スラップ・ショット』(1977年)などの大ヒット作で知られるジョージ・ロイ・ヒルだが、映画化不可能と言われていたアーヴィングの原作をまとめあげたその手腕は実にシャープで、テンポ良く、複雑に入り組んだ物語を紡いでいく。
物語の中盤、作家を志すガープと、自身も物を書きたいと一緒にニューヨークに出たジェニーの母子は、二間あるアパートのそれぞれの部屋でタイプライターに向き合う。先にどんどん書き進めていくジェニーに対して、ガープは何を書こうか、テーマもその手法も掴みかねていたのだが、部屋の窓の外で、向かい側のアパートの住人がサックスを奏でているのを見ようと、ブラインドの羽を開けてみる。ここでガープは、書くべきものは自分のこれまでの人生で体験してきた様々な出来事をちりばめて構成した短編小説なのでは、とヒントを掴むのだが、ジョージ・ロイ・ヒル監督の演出は、そのことを視覚的な要素だけで示してしまう。
サックスの音色をバックにブラインドの羽を閉じてまた開けると、窓の外には幼少時の自分が過ごした母方の祖父母の海辺の家がある。次に羽を閉じてまた開けると、レスリング部の練習に明け暮れた学生時代の風景が、また次に羽を閉じてまた開けると、風に舞い散ったタイプ原稿をヘレンと二人で必死に集めようとした時の情景が窓の外に広がっている。……つまり、観客はブラインド越しに、ガープが頭の中で走馬灯のように思い浮かべているこれまでの人生の様々な出来事を視覚的に共有し、個人的体験をベースに物語を作っていけばよいのだ、と気づいたガープの、処女作の構想が生まれる瞬間を目撃するという仕掛けなのだ。
こうして書き上げられたガープによる「魔法の手袋」の物語も、われわれ観客はタイプライターに向かうガープの表情と共に、この映画のそれまでのいくつかのシーンとそこにいた何人かの登場人物が、ガープの頭の中で一つの物語の中に組み込まれる様子を視覚的に確認する。そして「魔法の手袋」を書き終えて“The End”とタイプしたガープは、再び窓のブラインド越しに向かいのアパートの住人がサックスを奏でる様子に目をやる。
――台詞に頼らずに映像の力だけで物語を紡いでいくジョージ・ロイ・ヒル監督のアプローチもまた、「窓」という小道具を上手に使った心憎い演出だった。
文:谷川建司
Presented by YKK AP株式会社
『ガープの世界』
子供は欲しい、でも結婚はしたくない。そう考えた看護師が第二次大戦中、病院での瀕死の軍曹から“一方的に”精液をもらい受ける。こうして生を受けたのが、ガープ。レスリングに夢中になり、恋に悩み、そして小説を書く。悲劇と喜劇がかわるがわるやってきて、ちょっと変わった人たちに囲まれた彼の数奇な運命の物語。
制作年: | 1982 |
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監督: | |
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