「蛍の光」と「Auld Lang Syne」
欧州議会でイギリスのEUからの離脱案が承認された後に、欧州議会議員は日本で呼ぶところの「蛍の光」を歌った。イギリスから選出されていた議員がこの合唱に加わったかどうかはわからないが、なんとも皮肉である。
日本では“卒業式の歌”“別れの歌”として知られている「蛍の光」。スコットランドで生まれたこの曲は、本来、古い友との変わらぬ友情を歌った内容だった。欧州議会議員はどんな思いだったのだろうか。
ついでに付け加えておくと、「よく耐えて勉強しました」的な内容の「蛍の光」だが、そういう記憶がない私には、なんでこの歌を卒業式で歌わせられるのかがさっぱりわからなかった。しかし、この歌詞はなんと4番まであって、3番になると友情の話どろこではなくなり、「お国のために尽くせ」の歌となり、日露戦争後、4番の冒頭はとうとう「台湾の果ても樺太も、八州の内の守りなり」なんてことになっております。とても歌う気にはなれない。(※4番の冒頭は時代ごとに改変され、現在は「千島の奧も沖繩も」)
今回紹介する『在りし日の歌』の中国語原題が『地久天長』。そして「Auld Lang Syne」は中国では「地久天長」というタイトルで歌われ続け、歌詞の意味もほぼスコットランドで歌われている内容に近い。「友情はとこしえに」――かつて強い友情で結ばれていた友のことは決して忘れない。どんなに時間、場所、境遇が開いたとしても、最後には共に苦労し、涙を流し、笑った友人の手を握り笑顔で別れたい。
結論から言ってしまえば、この作品は、1986年から2011年までの二組の夫婦の友情を描いた作品である。人は出会い、友情・愛情を育み、別れ、再会する。それだけのことだと言えば、それだけのこと。しかし、それだけのことの中に私たちは生きる歓びを見出す。人間は言葉を使い、感情を持つがゆえに安定した人間関係を保ちにくい。歯車が狂うと積み上げてきたものが全て崩れ去ってしまうことさえある。
25年で変わること
映画と関係なさそうなことを長々書いたが、すごく関係がある。この作品の中では「地久天長」が繰り返し流される。その度にメロディが身体に染み込んできて、鼻の奥がキュッとなる。
1986年、国有企業で働いていた二組の夫婦は、互いの息子の義理の両親であるという約束をするほど強い絆で結ばれていた。一人っ子政策には絶対に逆らえない時代に、一組の夫婦に新たな命が授かったことを知った片方の夫婦は、友人夫婦を守るため、また自分の立場を守るために強制堕胎に追い込む。
当時、誰にも知られない田舎にでもいない限り、複数の子供を持つことは許されることではなく、他に選択肢がないことはわかっていたが、わだかまりは残る。それでもかろうじて友情は壊れない。
中国で改革開放の旗が振られ始めたのが、ちょうどこの頃で、非効率で儲からない国営企業を縮小して、“ネズミを獲るいいネコ”である儲かる民間企業支援へと舵を切り、その結果リストラが始まる。決まった仕事をこなすだけのことしか知らない優秀だった人間は、いきなり市場に投げ出されて、途方にくれる。
さらに強制堕胎を受けた夫婦に決定的な打撃を与えたのが、一人息子が貯水池で溺れて死んでしまうという悲劇だった。強制堕胎の影響で不妊となってしまった妻と絶望を飲み込むしかない夫は、誰も知らない、言葉も違う場所に移り住む。そこで夫婦が選んだ道もまた、目算が狂うことになる。――このまま、辛い思いだけで映画は終わってしまうのか。
2011年、映画の始まりから25年経った中国は資本主義、市場主義の世界に完全に移行しており、取り残された人間に手が差し伸べられることはない。政治だけは中国共産党一党独裁体制だが、もはや共産主義の片鱗さえ見ることはない。「地久天長」、すなわち「Auld Lang Syne」で歌われる友情が蘇ることはあるのだろうか。
日本の25年と中国の25年、同じ25年間でも変貌ぶりは比べものにならない。中国のかつての街並みは全く面影もなく、格差は無限大に広がってしまった。その変化は人の心まで変えてしまうのか。
秘める演技
強制堕胎を受けた夫婦役を演じたワン・ジンチュンとヨン・メイは、二人揃ってこの作品で2019年のベルリン国際映画祭で銀熊賞である最優秀男優賞と最優秀女優賞を受賞した。辛いことしかないかに思える夫婦の演技は、どれだけ大げさであってもおかしくないはずなのに、この二人の役者が声を荒げることはない。大きな演技では表せない悲しみ、憤り、絶望、諦めを身体の内側に秘めて演じ、静かに映画は進行していく。
二組の夫婦の25年間を描く185分の物語は劇的で、予測のつかない人生を受け入れざるを得ない人間を追いながら、それでも私たちに希望の光を見せてくれる。二人の表情を追うだけでも、この作品を観る価値がある。いい映画にはいい俳優が必要だということを改めて思い知る。
文:大倉眞一郎
『在りし日の歌』は2020年4月3日(金)より角川シネマ有楽町、Bunkamuraル・シネマほか全国順次公開
『在りし日の歌』
ヤオジュンとリーユン夫婦は、ひとり息子のシンと中国の地方都市で幸せに暮らしていた。同じ工場の同僚であるインミンとハイイエン夫婦には、偶然にも同じ年の同じ日に生まれた息子ハオがいた。両親たちは、お互いそれぞれの子の義理の父母としての契りを交わし、息子たちは兄弟のように育った。
ある時、リーユンは第二子を妊娠するが “一人っ子政策”に反するため堕胎させられてしまう。さらに、リーユンは手術時の事故で二度と妊娠できない身体になった。
ある日、ハオは「川で遊ぼう」とシンを誘うが、泳げないシンは頑なに嫌がる。怒ったハオはシンを残して一人で仲間たちのもとへ行ってしまった。やがて日が沈みかけた頃、数人の大人たちが必死の様子で川にやってくる。「シンシン!早く病院へ!」大人たちのその姿を、体を震わせながら真っ青な表情で見ているハオ。
大切なひとり息子シンを事故で失い、乗り越えられない悲しみを抱えたふたりは、住み慣れた故郷を捨て、親しい友と別れ、見知らぬ町へと移り住む。やがて時は流れ――。
制作年: | 2019 |
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監督: | |
出演: |
2020年4月3日(金)より角川シネマ有楽町、Bunkamuraル・シネマほか全国順次公開