1980年代、その街はサイゴンと呼ばれていた
冒頭、寺社を訪れた青年がそっと手を合わせる。ただ心を澄ませたいと彼は願っている――僕にはそんな気がした。仏僧たちが奏でる調べに耳を傾ける横顔に、「ソン・ランを長い間手にしていない」という青年のモノローグが重なる。彼は内なる心の静謐を求めているに違いない。予感は確信に変わっていく。
映画『ソン・ランの響き』は、1980年代のサイゴンを舞台にした物語だ。ケータイが普及した今はホーチミンと呼ばれているベトナムの大都市である。「ソン・ラン」とは、ベトナムに古くから伝わる打楽器。室内楽や大衆演劇で奏でられる楽曲の冒頭と結びで用いられ、演者たちのリズムの基礎となる。劇中で演じられる大衆歌舞劇「カイルオン」の本質とされているという。ソン・ランには、“ふたりの男”という意味もあるらしい。
心の静謐を求めてサイゴンを走る孤独な取立屋ユン
彼の名はユン、借金の取り立てを稼業とするヤクザだ。サイゴンの狭い路地をオートバイで走り集金する。返済の遅れには必ず「明日まで」との約束を取り付ける。逆らえばシャドーボクシングで鍛えたパンチが飛ぶ、強引な取り立てで“雷のユン兄貴”と呼ばれている。集金を終えた彼を迎えるふたりの若者は「兄貴!」と目を輝かせる。いつもクールな彼は憧れの存在なのだ。事務所では、女主人のズーが高金利で金を貸し付けている。回収した金を渡しそそくさと帰ろうとするユンに、ズーは返済が遅れる店を回るようにと指示を出す。
借金の形に電気製品を取り上げたユンは、ゲームソフトに目をつける。「お代は要らない」という店主の申し出に、「ゲーム代と借金は別だ」と律儀に金を払う。小ぎれいに整えられたアパートに帰ると、夜がふけるまで手に入れたゲームに興じる。何もすることがないときは屋上で時間をやり過している。
監督は、サイゴンに生まれた後、アメリカで俳優、歌手、ダンサーなどの経験を持つレオン・レ。初長編作となる本作で、黙々とルーティンをこなすユンの1日を描くことで、心の疼きを抱えて生きる青年の今を浮き彫りにしていく。
がむしゃらで生真面目な舞台俳優リン・フン
黙々と仕事を続けるユンは、返済が滞っているカイルオン劇団を訪れる。再起をかけて公演の準備が進む会場で、見せしめとして楽屋の衣装にガソリンをぶっかけて燃やそうとする。そこに「横暴は許さない」と事情を知らない花形俳優リン・フンが割って入る。「払えない」という団長を尻目に、リン・フンは腕時計とブレスレットを差し出し、「明日の公演が終わったら払う」と約束する。律儀な申し出に、借金の形を無視したユンは無言で劇場を後にする。
初日を控えたリン・フンは、一心不乱にリハーサルに臨む。その演技を見つめていた長老は、「テクニックは抜群だが、この劇を演じるためには経験が必要だ」と諭す。がむしゃらにセリフをまくし立てる生真面目なリン・フンの演技には「何か」が足りないのだ。
カイルオンとは、ベトナム版オペラとも呼ぶべき大衆演劇。20世紀初頭にベトナム南部で始まり、フランス統治下の1930年代から独立後の1960年代にかけて中流階級に支持された。そんなソン・ランのリズムを基調にした弦楽器ダン・グエット(弾月)、エレキギターなどの伴奏に乗せて、俳優たちが歌い踊る。
劇中劇カイルオンを通して、不器用なふたりがすれ違う
返済が滞ったタイの家を訪れたユンは、ふたりの少女に迎えられる。父は留守だという次女が応じ、よくしつけられた長女がお茶とマンゴーを振る舞う。ナイフを取り出したユンは一切れの皮をむく。そのマンゴーを次女が笑顔で頬ばり、ふた切れ目は長女の手に渡される。だが、タイが帰宅し「金はない」と告げられるとユンは態度を一変させ、泣きじゃくる姉妹の前で夫婦を殴りつける。
夜、カイルオン公演が開幕する。会場にはチケットを手にしたユンの姿もある。ここで監督は、古典劇「ミー・チャウとチョン・ツゥイー」を丁寧に描き出す。要約すると、百戦錬磨の勇者がいる。王子である彼は敵国の姫と戦略結婚させられる。ふたりは深く愛し合う。だが、宿命は彼を戦場へと向かわせる。まさかの展開に狼狽した父は娘に刃を振るう。悲しみにくれた彼は妻の亡骸を抱いたままで断崖へと進み身を投じる――という筋書きだ。
この悲恋劇の主役、王子ミー・チャウを演じるために足りないこととは何なのか。ただがむしゃらに舞台を続けるリン・フンと、何かを噛みしめるように舞台を見つめるユン。
翌日、事務所に顔を出したユンは、約束通り借金を返しに来たリン・フンと出くわす。ズーは金を受け取らずに帰った理由を尋ねるが、深くは詮索しない。その後、ユンはタイの妻がふたりの娘を道連れに自殺を図ったことを知らされる。やり場のない呵責がユンの心を締めつける。
何かが足りない そのことだけは分かっている
ある日、リン・フンは町の食堂で客に絡まれ、殴られて昏倒してしまった彼をユンが助ける。負けん気は強いが華奢なリン・フンの「意外な男気」に心を動かされたのだ。アパートで目覚めたリンは急いで出ていくが、鍵をなくしたことに気づいて戻ってくる。だが、どこを探しても見つからない。「泊まっていけ」と声をかけたユンは、ひとりゲームを始める。画面を見ていたリン・フンがゲームに注文をつけ、やがてふたりはゲームに夢中になる。その姿はまるで少年のようだ。
停電でゲームが中断されると、屋台で腹ごしらえをする。差し出された麺を即座にすすり始めるリン・フンと、薬味を細かくチェックしているユン。やがて、どちらが話し始めるではなく、どちらが尋ねたわけでもなく、自分のことを語り始める。屋台からアパートの屋上、再びユンの部屋へ。ふたりの心が響き合い、確かなリズムを刻み始めたとき、特別な想いがこみ上げてくる。
何かが足りない。そのことだけは分かっている。でも、それは一体どんなことなのか。ユンとリン・フン、それぞれの抱える今を丁寧に描いたレオン・レ監督は、夜のサイゴンでとりとめなく交わされるふたりの会話をブルートーンで繊細に積み重ねた先に、劇的な色彩で魅せる本作の核心となるマジカルなモーメントを用意している。
インターネットも携帯電話もない1980年代のサイゴンを舞台に、切なさを加速させる『ソン・ランの響き』は、心に疼きを抱えた現代人にこそ観てほしい作品だ。
『ソン・ランの響き』©2019 STUDIO68『ソン・ランの響き』は2020年2月22日(土)より新宿 K’s cinemaほか全国順次ロードショー
『ソン・ランの響き』
1980年代、サイゴン(現・ホーチミン市)。ユン(リエン・ビン・ファット)は借金の取り立てを生業とし、返済が遅れた客には暴力もいとわず、周りから“雷のユン兄貴”と恐れられていた。ある日、ユンはカイルオンの劇場に借金の取り立てに行く。団長が「支払えない」と言うと、舞台衣装にガソリンをかけ燃やそうとするユン。止めに入る劇団の若きスターリン・フン(アイザック)。彼は自らの腕時計と金の鎖を差し出すが、ユンは受け取らず無言のまま立ち去る。翌日の夜、ユンはカイルオンの芝居を見る。演目は「ミー・チャウとチョン・トゥイー」。敵対する国の王子と王女が、婚姻の契を結ぶが、戦に巻き込まれ引き裂かれる悲恋物語だ。主役のチョン・トゥイーを演じるリン・フンの妖しい美貌と歌声に魅せられるユン。
ある日、町の食堂で一人食事をしていたリン・フンは、酔っぱらいにからまれ、殴り合いになる。たまたま居合わせたユンは加勢し、酔っぱらいを追い払うがリン・フンは昏倒してしまう。ユンの家で目覚めたリン・フンはその夜の芝居に穴をあけてしまったことを後悔し、急いで出ていくが、鍵をなくしていた事に気付き、再びユンの家を訪れる。始めはぎこちない二人だったが、テレビゲームに興じるうちに次第に打ち解けるようになる。すると停電になり、仕方なく外に出る。屋台で麺を食べながら流しの老人の歌を聞いたリン・フンは、その歌が自らの人生に重なると言う。するとユンは、父がカイルオンの伴奏者だったと語るのだった。リン・フンは、カイルオン出身者のヤクザは初めてだと驚き、自分の両親は役者になることを反対していたがやがて許してくれたと語る。だが初主役の舞台を見に来る途中、バスの事故で死んでしまった、立派な役者になるには悲しみも経験しなければならないのだ、と。
リン・フンが、ユンの机から見つけた読み古された本。それは自分も好きな本だった。本の中に挟まれていた紙に詞が書かれてあった。ユンは、父が書いたもので歌ってくれと言う。伴奏がなければ歌えないと言うリン・フン。するとユンはソン・ランを箱から取り出す。ユンの伴奏で歌うリン・フン。それは、結婚に破れ妻に去られた男が、苦しみを歌ったものだった。リン・フンはユンの腕前に感心し、家業だったカイルオンの道に戻ることを勧めるのだったが……。
制作年: | 2018 |
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監督: | |
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2020年2月22日(土)より新宿 K’s cinemaほか全国順次ロードショー