2020年のインド映画第一弾は、歴史に名を残す王妃を描いた『マニカルニカ ジャーンシーの女王』(2019年)である。
マニカルニカは結婚前の名前で、インド中部のジャーンシー藩王国に嫁いだあと、彼女は夫である藩王から、ラクシュミーというヒンドゥー教の女神の名を授けられる。人々は敬意を込めて「バーイー(女性に対する敬称)」を付け、彼女を「ラクシュミー・バーイー」と呼んだ。1857年に起きた反イギリス闘争「インド大反乱」では、夫亡きあとの藩王国を守るため、実質的な女王として勇猛果敢に戦ったラクシュミー・バーイー。
この、インドの史上最も強靱な女性の一生を描いたのが、映画『マニカルニカ ジャーンシーの女王』だ。日本人にはなじみの薄いインド中世の物語なので、少し詳しくストーリーを書いておこう。
1800年代のインドで生まれた“戦う王妃”の物語!
マニカルニカ(カンガナー・ラーナーウト)が生まれたのは1828年だが、この頃インド亜大陸では、イギリスが支配地域を広げつつあった。それまでインド西部から中部にかけて、強大な勢力を誇っていたマラーター王国を核とするマラーター同盟(「マラーター連合」とも訳される)は、1818年にイギリスとの戦いに敗れ、実質的に解体される。王に代わって国を治めていた宰相バージーラーオ2世(スレーシュ・オベロイ)は、本拠地からはるか東方、中部インドのビトゥールという町に追放され、イギリスから年金を得て暮らしていくことになる。
そのバージーラーオ2世が可愛がったのが幼いマニカルニカで、本来はバラモン(僧侶階級)の娘なのだが、クシャトリヤ(武士階級)の子弟と同じように剣や乗馬を学んで育つ。その時の剣の師が、後日「インド大反乱」の指導者の一人となるタンティヤ・トーペー(アトゥル・クルカルニー)だった。
ビトゥールを訪れたジャーンシー藩王国の大臣がマニカルニカを見初め、病弱な藩王ガンガーダル・ラーオ(ジーシュ・セーングプタ)の妃にと請い、1842年に嫁いだマニカルニカは名をラクシュミーと改める。藩王とラクシュミーは仲睦まじく、何年か後に王子も生まれるのだが、生後数ヶ月で死亡してしまう。このため、夫妻は1853年に親戚の幼い男児アーナンド・ラーオを養子に迎え、ダーモーダル・ラーオと名付けて後継者にする。ところがその直後、今度は藩王ガンガーダル・ラーオが病死してしまうのだった。
当時、イギリスは次々と各地の王国を手中に収め、占領地を広げていたが、戦い以外では勝手にイギリスが作った法律「養子は王国の正式な後継者とは認められない」に基づいて、各王国をイギリスに併合していた。ジャーンシー藩王国にもそれが適用され、ラクシュミーとダーモーダルは王宮を追い出されるが、その後もラクシュミーは様々な手段を使って、ジャーンシー藩王国の継承を認めさせようとイギリス側に働きかけた。そんな中で、「インド大反乱」が勃発するのである。
これは、イギリス軍が新式銃を導入するにあたって、銃弾をくるんだ油紙に豚の脂が使われ、その作業が被差別カーストによって行われている、ということが判明したために、ヒンドゥー教徒の兵士もイスラム教徒の兵士も弾丸に触れるのを拒否したことから始まった、反イギリス抵抗運動だ。イギリス軍に雇われたインド人兵士は「シパーヒー(「兵士、軍人」の意味)」と呼ばれたために、日本では以前「セポイの反乱」と呼ばれたこともある。
北インド各地でのインド人兵士を中心とする何度かの蜂起を経て、1857年5月以降、反乱はインド各地に一挙に広がってゆく。ジャーンシーでもまた、併合後に駐屯したイギリス軍のインド人兵士や民衆が蜂起し、やがてラクシュミーが彼らの戦いの統括者となり、女子軍を組織したりして反イギリスの戦いに加わっていく。こうして「ジャーンシー・キー・ラーニー(ジャーンシーの王妃、女王)」ラクシュミー・バーイーは反乱のシンボルとなり、後世の詩に謳われたりする伝説的存在となっていくのである……。
脚本は『バーフバリ』二部作の原案者、つまりラージャマウリ監督の父!
本作『マニカルニカ ジャーンシーの女王』は、インドのジャンヌ・ダルクと言ってもいい女性が描かれた、見応えのある歴史ドラマである。
それというのも、脚本を担当しているのが『バーフバリ』二部作(2015年~)の原案者K・V・ヴィジャエーンドラ・プラサード、つまり、S・S・ラージャマウリ監督の父。史実を巧みに押さえながらも、心躍る歴史ドラマに仕上げているのはさすがの腕前だ。映画的な演出からか、主演のカンガナー・ラーナーウトが戦いのシーンですごい形相をしたりと、少々誇張しすぎの点がなきにしもあらずだが、インドの歴史を知る上では必見の作品である。
ほかにも見どころは多く、マニカルニカ&ラクシュミーのファッションにも目を奪われる。乙女時代の活動的なファッションに優雅な王妃ファッション、そして夫を亡くしたのに未亡人の姿になることを拒否し、やがて戦う王妃として一国の指導者の風格を備えていく颯爽たるファッションの数々。ターバンやアクセサリーも含めて、優雅さと機能性を両立させたデザインはニーター・ルッラーによるもので、300を超える映画の衣裳を担当した著名女性デザイナーだけのことはある。公開が2週間限定の予定なのは残念だが、大スクリーンで見てこその本作、ぜひお見逃しなく。
文:松岡環
『マニカルニカ ジャーンシーの女王』は2020年1月3日(金)新宿ピカデリーほかにて2週間限定ロードショー
『マニカルニカ ジャーンシーの女王』
ヴァラナシで僧侶の娘に生まれたマニカルニカ(カンガナー・ラーナーウト)は、ビトゥールの宰相に育てられ、幼い時から武士階級の男子同様に剣や弓、乗馬を習って成長した。その勇敢な行動を見かけたジャーンシー藩王国の大臣から、藩王ガンガーダル・ラーオ(ジーシュ・セーングプタ)との縁談が持ち込まれ、やがてマニカルニカはジャーンシーに嫁ぐ。藩王は彼女にラクシュミーという名を与え、マニカルニカは人々からラクシュミー・バーイーと呼ばれて親しまれる。しかし、生まれた王子は夭折し、親戚の幼い男児を養子に迎えたものの、間もなく藩王が病死してしまう。その機に乗じてイギリスは藩王国を併合、ラクシュミーは城を後にする。だが1857年にインド大反乱が勃発すると、ラクシュミーも呼応して蜂起、国のため、民のため、戦いの場へと歩を進める!
制作年: | 2019 |
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監督: | |
脚本: | |
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2020年1月3日(金)新宿ピカデリーほかにて2週間限定ロードショー