孤高の天才芸術家・草間彌生の成功と苦悩、再生を追ったドキュメンタリー映画『草間彌生∞INFINITY』(2018年)が2019年11月22日(金)より公開となる。17年の歳月をかけて、多くの日本人が知らないであろう草間の半生を追ったヘザー・レンズ監督と、編集・共同脚本の出野圭太さんにお話を伺った。
「草間彌生がどんな経験をしてきたのか、特にアメリカの人たちにきちんと伝えるべきだと思った」
―まず『草間彌生∞INFINITY』を企画されたきっかけを教えて下さい。
ヘザー:大学で美術を学んでいるときに、草間彌生さんに興味を持ちはじめました。草間さんは1950年代後半から1970年代初頭まで、米国に暮らしてアーティスト活動をしていましたが、私が大学に通っていた1990年代当時の米国では草間さんの活動は認められておらず、過小評価されていました。今のように、世界中で誰もが知る芸術家ではなかったんです。
その後、私は南カリフォルニア大学の映画学部で美術額の修士を取得し、卒業後に草間さんのドキュメンタリー作りに取り掛かりました。このドキュメンタリーはお金を稼ぐためではなく、思い入れのあることを世に伝えるための“パッション・プロジェクト”だと思っています。
―企画から作品の完成まで、かなりの時間がかかったそうですね。
ヘザー:2001年頃からリサーチを始めて、2004年~2018年の間に撮影をしたので、このプロジェクト自体には17年間の歳月をかけました。とても難しい挑戦となりました。ちょうど撮影を始めた頃から、草間さんは世界的にどんどん有名になっていき、世界中を飛び回っていました。私自身も草間さんのことをリサーチするために彼女についていかないといけないので、資金繰りも大変でしたね。
―日本のアーティストを映画化することは、言語や文化の違いもあるので、難しかったのではないでしょうか?
ヘザー:私自身、撮影中に日本人と結婚をしたこともあり、日本文化を深く知るきっかけになりました。夫の祖父が、広島で空爆を受けて亡くなっていて、第二次世界大戦のことを学んだことにより、草間さんが子供時代に戦争を経験した側面をより理解することができました。米国で1960年代後半に反戦パフォーマンス(裸の男女に水玉をボディペインティングする「ハプニング」)を行っていた頃は、メディアはヌードというだけで騒ぎ立てていました。恐らく、メディア側の人たちは草間さんが戦争を実際に体験して、どんな想いを持っているのか知らなかったのです。
私は、特にアメリカの人たちに彼女がどんな経験をしてきた人なのかちゃんと伝えるべきだと思い、プロジェクトを進めていきました。そして、他の編集者だとかなりの時間がかかってしまったところ、日本人でバイリンガルの出野圭太さんが途中から編集と脚本を手伝ってくれたおかけで、完成までこぎ着けることができました。
日本語・英語ネイティブの編集者の存在が映画の完成に大いに貢献
―出野圭太さんは、どういった経緯で本作に参加されたのでしょうか?
出野:私が、ペニー・マーシャル監督が手掛けたデニス・ロッドマンのドキュメンタリー『Rodman(原題)』(2020年米国公開予定)のプロジェクトに参加しているときに、ドキュメンタリーの編集も手がけられると評価していただき、ヘザー監督からお声がかかりました。日本語を話せる編集者はハリウッドにいなかったということもあると思います。
ヘザー:出野さんには、2018年にこの作品をサンダンス映画祭で上映する前にチームに入っていただきました。出品する1ヵ月前に一から編集をやり直したんです。休日関係なく、1日も休まずにノンストップで編集作業を行いました。サンダンス映画祭での上映を迎えた日は、もうヘトヘトでしたね(笑)。
出野:ずっとアメリカの方が編集をやっていたので一般的なアメリカのドキュメンタリーの方式に則って、インタビューした音声を文字に起こして、英語に訳したテキストをベースに編集をしていました。なので、(最初に見たときは)文法も映画のストーリーもめちゃくちゃでした。ですから日本語のインタビューを全て観て、構成をがらっと替えました。
―最終的には草間さんの人生を時系列で伝える形式でしたね。
ヘザー:もともとは物語性のある脚本として書いていたんです。1966年の第33回ヴェネツィア・ビエンナーレに日本人女性として初めて招待された時期を、物語のちょうど真ん中にと思っていました。そして、1993年に第45回ヴェネツィア・ビエンナーレで日本館初の個展を開催されたところで終われば、きれいに物語立てられると思っていたんです。撮影を行っていく間にも草間さんがどんどん有名になって活動範囲を広げられていました。今現在、彼女が制作していることを伝えて終わることは、映画が完成して観客に届ける頃には鮮度がなくなってしまいます。ですから、普遍的な真実を伝えて終わる方法を模索しました。
先進的な考えを持った人は、自分が生まれ育った地域では認められず、違う文化圏で受け入れられることがあるので、そういった側面は描きたかったんです。草間さんは米国で人種や性差別を受けながら、色んな経験をして、日本で認知されるようになっていきましたから。
「先駆者であり不屈の精神で色んな壁を乗り越えてきたことに感銘を受け勇気をもらった」
―草間さんが世界的に有名になっていく姿は想像していましたか?
ヘザー:実は、まったく想像できませんでした。現在では誰もが知る世界的なアーティストになっていますが、私が映画を作ろうと思ったときは、草間さんに少しでも光が当たればと思って始めたので、なんだか不思議な感じですよね(笑)。アメリカで理解されていない部分に注目をして制作を進めました。制作の過程で私自身も、なぜ理解されなかったのかわかってきました。草間さんが米国に住んでいたときは、白人の男性アーティストと同じ機会が与えられていなかった。そういうディテールを伝えることが大事だと思っていました。私だけでなく、他の美術史の研究者も同じようなことを書き始めていました。
『草間彌生∞INFINITY』を映画祭で上映したときに、これが真実だと信じたくないという観客の方もいらっしゃいました。特に、草間さんが芸術の新しい形を提示していて、そこにインスピレーションを受けたアーティストの作品が草間さんよりも人気が出て、先駆者のような扱いを受けていたんです。
―草間さんがNYでも日本でも、保守的な考えに打ち勝とうと戦ってきた姿に感銘を受けました。監督が一番描きたかったことは、草間さんの立ち向かう姿勢でしょうか?
ヘザー:そうですね。映画を作っていく過程でも、とても感銘を受けましたし、勇気を貰いました。ここまで先駆者であったこと、不屈の精神で色んな壁を乗り越えてきたことに、私自身も影響を受けました。
出野:ハリウッドは白人男性社会で、その中でヘザー監督がこの作品を作る過程で色んな困難に遭っています。そういったことを乗り越えていく姿を見ていると、草間さんの人生と重なる部分があって面白いなと思いました。草間さんは一つのことを追求されていますが、ヘザー監督も17年間かけて、この映画を作りました。ずっとシンクロしながら、制作をしていきましたね。
ヘザー:『クレイジー・リッチ』(2018年)のようにアジア人キャストがメインの作品がヒットするようになりましたが、アジア関連の作品がアメリカで注目されることは、とても稀なことです。この作品が少しでも映画界のダイバーシティに貢献できることを願っています。
―草間さんと実際に会ってお話した印象を教えて下さい。
ヘザー:草間さんと会う前に日本語を勉強しました。そして、彼女のことをしっかりリサーチして完璧に準備をして、インタビューに臨みました。彼女のスタジオを訪れたとき、まずはしっかり握手をして、英語で会話しました。日本語を学ばなくても大丈夫だったようです(笑)。とても温かく迎え入れてくださり、インタビューが終わってから友人と食事の約束があったのですが、草間さんと話しているのが夢のような時間で、あまりにも楽しかったので、このままずっと話していたと思いましたよ(笑)。インタビューの最後に「私の人生で一番幸せな日でした」と草間さんに伝えたところ、とても喜んでくださいました。
『草間彌生∞INFINITY』は2019年11月22日(金)より渋谷パルコ8F WHITE CINE QUINTOほか全国ロードショー