スペインで仕事も美食も覚えた
私は30代の7年間をロンドンで過ごし、食に関してはほんの一部の例外を除いては、舌がバカになる寸前まで追い込まれていた。「イギリスも美味しくなったよ」と、その頃から今に至るまで繰り返し戯言を聞かされるが、ロンドンで美味しいのは中華とインド料理だけ。イギリス人は不思議なもので、イギリスを一歩出れば美味いものだらけとわかっていても、生まれてからずっと食べているフィッシュ・アンド・チップスが一番安心するらしい。
日本に帰ってからも頻繁にロンドンに行っているが、状況に大きな変化は見られない。人によって言うことが違いますがね。
そんなロンドンにいた頃、あることがきっかけで、行き詰まったマドリッドにある広告会社を私が担当して、全面的にサポートすることになってしまった。その危機的状況はまさに危機的で、潰れてもらったほうがいいんじゃないの、という声を聞きながらの仕事だったので、とても大変。あまりの出来事に呆然としてしまうこともしばしばで、週に1、2度はマドリードに早朝便で通うという日々。
しかし、私はこのほぼ絶望が支配する仕事を放り出すことはなかった。飯が信じられないくらい美味かったからである。飯が美味けりゃ仕事すんのかよ。その通り。
ゲロゲロな1日が終わり、ホテルに戻ってビールを飲んでいると9時くらいになる。クライアントでもあるが、ただの友達と化した日本人駐在員やスペイン人の同僚と毎回異なる絶品スペイン料理の店で待ち合わせをするのである。誰が金を出すかといえば、クライアントだったり、会社の経費であるから私の懐は痛まない。人の金で食べるものはさらに美味しい。
マドリードはスペインの中心に位置しているので、海産物はダメなんじゃないかという誤解があるが、経済の中心部には必ず新鮮な食材が集まるのだ。う~ん、違うか。
スペインは、実はどこに行っても美味い。なぜかわからないが、マドリード、バスク、アンダルシア、カタルーニャ、どこで食べても美味かったという記憶しかない。ともあれ、悲劇的喜劇のサーガが続くマドリードで私は会社の立て直し(結局立ち直らなかったが)、と毎週毎週美食に酔うという人生の大事業を成し遂げたのであった。
で、映画の話
『イタリアは呼んでいる』(2014年)というマイケル・ウィンターボトム監督の作品をご覧になった方には説明の必要はないのだが、一応おさらいをしておくと、コメディを得意としながらも作品を選ばず評価の高い俳優、スティーヴ・クーガンとロブ・ブライドンが自分自身を演じながら、ひたすら美味いものを食って、そのレポートを書くという、これ以上美味しい仕事はない、という旅になぜかカメラが密着し、ロードムービーに仕上げているというもの。
『イタリアは呼んでいる』、その前作『スティーヴとロブのグルメトリップ』(2010年)と同じ構成。
毎回観ていて混乱するのだが、これはドキュメンタリーなのか、全てセットされたフィクションなのかがわからない。本人は本人でそのまんまだが、こんなにアングルが確保できるってのがおかしい。なぜ車の中の様子がこんなにうまく収まっているのかが不思議。
しかも同じ構成ながら、本人たちは4年ごとに微妙に歳をとり、洒脱軽妙の度合いを増し、そこはかとない人生の重みを感じさせる。
コメディアン2人が旅をしつつ美味いものを食うというのは、日本のテレビではほぼ毎日同じようなものが放送されていて、もうその手のものはいらないから、ともったいない判断をされるとまずい。あの類とは違います。
食レポという罠
この2人は作品の中で、どこに行ってもおそらく一番のお勧め料理を食べているに違いないのだが、「うわ、あっさりしているのにコクがある」とか「口の中でとろける~」とか、そういうどうでもいいことは言わない。言わないどころか、食レポをほとんどしない。調理風景や出来上がりですでに料理の美味しさは取れ高十分なので、出されたものをただ食べるだけ。
なんか一言言えよ、と突っ込みたくなるが、話すのは映画関連のことがほとんど。それも他の客がいるのに、でかい声で「いや、あの場面ではマーロン・ブランドはこういう風に話した」「それならあそこではロバート・デ・ニーロはこうだった」とモノマネ合戦を始める。似ている。爆笑できる場面と、できない場面がある。できないときはこちらがピンときていないだけで、おそらくイギリスでは劇場が揺れるくらいウケているはず。悔しい。映画好きを試しにかかっている。食レポなんていらないのである。
この作品に台本があるのかどうかが知りたくなる。
えー、書くかどうか迷ったが、台本はある。台本にはこういうことを話す、こんな風に別の登場人物が現れる、くらいのことは書いてあるらしい。
ただ、2人の会話の面白いところはほとんど即興だということなので、脚本家は何をしていたんだと調べてみると、なんと脚本家の名前がない。監督とプロデューサーがロケハンを行い、セッティングをし、大まかな話の筋道だけ決めて、あとはこの2人に任せていたようである。
コメディ俳優には知性と記憶力と豊かな表情が必要で、イギリス人役者には特にそれが備わっているように感じる。味覚はダメでも、やはり芝居はイギリス人。
ああ、美味そうで、笑えて、人生の悲哀を味わえるこの作品。映画ファンは必見でお願いしたい。若い方はわからないところが多いかもしれないが、美味しいものだけ観に行くってのも全然あり。
そんなわけで、美味いものがスペインで皆さんを呼んでいます。スペインで「生きてる!!」って感じていただきたく、テキトーに写真を挟み込んでおりますので、味わいながらどうぞ。
文:大倉眞一郎
『スペインは呼んでいる』は2019年11月8日(金)よりBunkamuraル・シネマほか全国公開
『スペインは呼んでいる』
イギリスのショービジネス界で活躍するスティーヴ・クーガンとロブ・ブライドンが、グルメ取材の 旅に出る人気シリーズ待望の新作。今回の舞台はスペイン。仕事も人生も成功しているふたりだが、恋人とのこと、離れて暮らす息子との関係など悩みはつきない。カミーノ・デ・サンティアゴの巡礼ルート、世界遺産の街クエンカ、イスラム文化が色濃く残るグラナダ…5 泊 6 日の豪奢な旅を終える頃、スティーヴはある決断をロブに伝えるのだが…。人生の岐路に立つ中年男性が旅の終わりに気づく本当に大切なものとは?
制作年: | 2017 |
---|---|
監督: | |
出演: |
2019年11月8日(金)よりBunkamuraル・シネマほか全国公開