冴えないインディーロック青年が突然、ビートルズという偉大な遺産を手にしたら……?
あるとき目を覚ますと、自分以外の誰もが“ザ・ビートルズ”のことを忘れていた。いや、この世から完全に存在が消え去っていた! どういうこと!? ……って知りたいのはこっちだよ!! というブッ飛んだストーリーの音楽ロマコメ『イエスタデイ』。
本作の主人公は、(スーパーのバックヤードで働きながら)シンガーソングライターとして活動している青年ジャック(ヒメーシュ・パテル)。残念ながら音楽家としての才能には恵まれなかったようで、映画冒頭の1分間くらいでその鳴かず飛ばずっぷりがサクッと説明される。ヒップスターもどきの野暮ったいヒゲと、いかにもインディーロック好きらしい原色×地味色のナードな服装……どこを取っても冴えないバンド男子そのものである。
そんな彼にもエリー(リリー・ジェームズ)というマネージャーがいて、幼馴染でもある彼女は辛抱強く活動を支えてくれているのだが、やがて完全に心が折れてしまったジャックは音楽の道を断念。しかし、そのことをエリーに告げた日の帰り道、チャリンコに乗っていたところ謎の大規模停電の煽りを受けてバスと激突! 幸い命に関わるような怪我はなく無事退院し、エリーがプレゼントしてくれた新しいアコギでビートルズの「イエスタデイ」をポロリと爪弾くと、なにやら皆のリアクションがおかしい。この超がつくド名曲を、「生まれて初めて聴きましたけど?」とでも言わんばかりにめちゃくちゃ感動しているのだ。
さすがにジャックも「いやいや、なんの冗談だよ!」と訝りつつ、念のため自宅のレコード棚を確認すると、なぜかビートルズの盤だけがそっくり消失していたものだからさあ大変。こりゃガチでビートルズいないことになってるぞ……! と狼狽えながらも、この奇妙な事態をソッコーで受け入れたジャックは、ぼんやりした記憶を頼りにビートルズが遺した数々の名曲を自身の演奏でアーカイブ化していくことにするのだった。
ビートルズへのリスペクトと罪悪感、成功への憧れと愛する人との狭間で揺れる想い
2010年代生まれでもないかぎり、ビートルズのことをビタイチ知らないという人はいないと思う(そう願いたい)が、歴史的な名曲を自分以外の誰もが知らない/そもそも存在しないという状況は、実際なかなか受け入れがたいだろう。しかし、例えば“尾崎豊”がいなかったことにされている日本で、いきなり「I LOVE YOU」を歌うことを想像してみてほしい。2019年現在でも、それを聴いた誰もが「なに今のクッソやばい曲!?」と、超フレッシュなリアクションをしてくれるに違いない。これはもうサプライズどころか、完全に怪奇現象である。今だけは悲しい歌聴きたくないよとか言ってる状況じゃないし、きしむベッドの上で優しさを持ち寄ってる場合でもない。
しかも、この不思議な物語を牽引するのはジャックでもエリーでもなく、現代最高峰のシンガーソングライター、エド・シーラン(本人)ときた。彼は某テレビ番組でジャックが披露した(本当はビートルズの)曲に感銘を受け、自宅に直電でツアーのサポートアクトをオファーしてくるのだ。ただでさえビートルズが消え去ってパニックなのに、そこにモノホンのエド・シーランが乗っかってくるという過剰な展開は、食糧難の時代にカツ丼のレシピ(=豚肉を卵に浸してパン粉をつけて油で揚げたものを再び卵でとじてご飯に乗せる)を聞いたときの日本人と同じくらいクラクラする状況だろう。
兎にも角にもジャックはトントン拍子で売れっ子シンガーソングライターとして活動の規模を拡げていくわけだが、当然ながらビートルズの手柄をパクっていることに対する罪悪感は拭えないし、敬愛する名曲たちに対する周囲のチャラい反応も気に食わない。さらに、契約を持ちかけてきた大手レコード会社のマネージャー(演じるはコメディエンヌのケイト・マッキノン!)は金のことしか考えていないわ、あんなに仲良しだったエリーとの距離は物理的にも精神的にも離れてしまうわで、世界的なブレイクとは裏腹に悶々とした日々を過ごすことになる。そりゃあ実家暮らしの売れないミュージシャンが自作曲としてビートルズを歌うなんて、そのへんのフリーターにいきなりGoogleの経営を任せるようなものなのだから、その紛糾ぶりは推して知るべしである。
エド・シーラン、絶対いい奴! ビートルズへの愛と敬意にあふれた見事な結末に涙
そんなこんなで大いに笑わせてくれる本作だが、2010年代にビートルズをフレッシュに見せる/聴かせる工夫を凝らしているところも見逃せない。SNSやスマート端末を物語に自然に盛り込むことで、もしストリーミング配信全盛の時代にビートルズが蘇ったら……? という、ファンでなくともワクワクする世界を疑似体験させてくれる。ちなみにレコード会社の時代遅れな戦略会議のシーンは斜陽の音楽業界に対する皮肉と思われるが、たしかに今いきなりビートルズが現れたら、90年代以降ブラックミュージックに押されっぱなしのポップス界の救世主としてもてはやされるのは間違いない。
また、物語の舞台サフォークがガチ地元でもあるエド・シーランの存在は、主人公のモデルとなっただけでなく、現代を象徴するアーティストとしてビートルズと対比させる狙いもあっただろう。要所で物語を動かす重要な役どころなのだが、見た目の朴訥さが功を奏してまったくノイズになっていないところも好印象だった。エド、絶対いい人だわ。ちなみに、エリーは無条件でジャックを想い支えてくれる都合のいいヒロインなわけだが、演じるリリー・ジェームズは『ベイビー・ドライバー』(2017年)でも同じような役を演じていたりして、なかなか業が深い。
他の音楽ネタとしては、USインディーロックやブリットポップの小ネタがチラリと挿入されるので、若い頃に「クッキーシーン」を読んでいたというアラフォー音楽ファンもニヤリとさせてくれるはず。ダニー・ボイル監督も相当の音楽好きと思われるが、60年代の音楽シーンにビートルズが現れたときの衝撃を現代に蘇らせたい、そんな純粋な熱意と敬意が伝わってくる物語だった。
さて、皆さんご存知の通り日本にも似通ったテーマの某マンガがあるわけだが、その結末に賛否両論が巻き起こったことは記憶に新しい。偉大すぎるバンドが積み重ねてきた歴史をひっくり返そうというのだからさもありなんだが、かたや本作の結末は超感動的かつ「そうきたか!」と思わず膝を打つスマートさで、考えうるかぎりベストな締めくくり方ではないだろうか。
……はい! というわけで、みなさんオチがめちゃくちゃ気になってきたと思うので、ぜひ音響の良い劇場でご鑑賞ください!!
『イエスタデイ』
売れないシンガーソングライターのジャックが“音楽で有名になる”という夢をあきらめた日。12秒間だけ世界規模で謎の大停電が発生。真っ暗闇の中、交通事故に遭ったジャックが昏睡状態から目を覚ますと……
あのビートルズが世の中に存在していない! 世界中で彼らを知っているのはジャックひとりだけ!?
ジャックがビートルズの曲を歌うとライブは大盛況! SNSで大反響、マスコミも大注目!!
すると、その曲に魅了された超人気ミュージシャン、エド・シーランが突然やって来て、彼のツアーのオープニングアクトを任されることに。エドも嫉妬するほどのパフォーマンスを披露すると、ついにメジャーデビューのオファーが舞い込んでくる。
思いがけず夢を叶えたかに見えたジャックだったが─。
制作年: | 2019 |
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監督: | |
脚本: | |
出演: |
2019年10月11日(金)より全国ロードショー