全員女性、過激なバンド名、しかもパンクス
1970~80年代にかけて英ロンドンを拠点に活動し、パンクやレゲエを貪欲に取り込んだ音楽性で後世に影響を与えまくったザ・スリッツ。中流階級出身も多かったパンク第一世代のバンドで、メンバー全員女性という珍しさと拙いながらも大胆かつアーティーな音楽性が人気を呼び、男性ばかりの当時のシーンでも一目置かれる存在だった。
しかも、オリジナルメンバーのパルモリヴはThe 101’ers時代のジョー・ストラマーと同棲していたし、ギターのヴィヴ・アルバータインもザ・クラッシュのミック・ジョーンズと付き合っていたし、結成時わずか14歳だったアリ・アップの母親は多くのアーティストのゴッドマザー的な存在(後にセックス・ピストルズのジョニー・ロットンと再婚)という、シーンのド真ん中にいた少女たちである。
「なんか楽しそう」みたいな感じで始めたバンドとはいえ彼女たちの才能は本物で、初ライブはザ・クラッシュ、バズコックス、サブウェイ・セクトとの対バン。そのメンツでホワイト・ライオット・ツアーも行っているが、その当時の状況について「子ども扱いされてムカついた(笑)」みたいなことを愚痴るという、ファンにとってはたまらないドキュメンタリー映画が、現在公開中の『ザ・スリッツ:ヒア・トゥ・ビー・ハード』だ。
監督は、米オリンピアの超カッコいいポストハードコアバンド、KARPのドキュメンタリー映画『Kill All Redneck Pricks: A Documentary Film about a Band Called KARP』(※日本では需要がなさすぎて未公開/未配信)を手がけたウィリアム・E・バッジリー。フェデレーションXというバンドの人でもあり、本作の端々に彼ならではの視点や人脈の片鱗を伺うことができる。
参考にしたい! チープかわいいファッションセンス
1970年代ロンドンの抑圧された女の子たちによって結成されたスリッツは、パンクバンドとしてもガールズバンドとしても、まさに先駆者と言える存在。後のパンク~ニューウェイブ系アーティストはもちろん、90年代に盛り上がったライオット・ガール・ムーブメントにも影響を与えた、控えめに言っても音楽史に永遠に残る偉大なバンドだ。本作はその結成から解散、そしてフロントウーマンのアリ・アップが2010年に亡くなるまでを描いている。
基本構成は初期の貴重な映像とメンバーの告白だが、当時のスリッツについて証言するのは、マネージャーを務めていたドン・レッツ、エイドリアン・シャーウッド、ザ・レインコーツのジーナ・バーチ、セックス・ピストルズのポール・クック、ブラットモービルのアリソン・ウルフ、そして英国発レゲエ“ラヴァーズ・ロック”の始祖であり、スリッツの傑作『Cut』のプロデューサーでもあるデニス・ボーヴェルなどなど、錚々たるメンツである。
また、初期の様子は『Cut』のデラックス盤にもボーナストラックとして収録されている「John Peel BBC Radio 1 Session 1977」の音源を当時のライブ映像に乗せているようで、これがめちゃくちゃカッコいい。まだ幼い表情のアリとヴィヴの瑞々しさも新鮮だし、彼女たちのファッションが今で言うならば水曜日のカンパネラみたいな、最近の若者が真似しても違和感ないであろうパンク風チープシック的なセンスでカッコかわいいのもポイントだ。
ちなみにどこかの狭い部屋でプリテンダーズのクリッシー・ハインドにギターを教わる映像もあるのだが、こんなのいったい誰が撮ったのだろうか!?
レゲエ/ダブへの傾倒、不朽の名作『Cut』の誕生
パンク/ニューウェイブ~レゲエ/ダブと音楽性を変えていったスリッツだが、当時かなり斬新だったであろうパンクとレゲエとファンクの異種イベントではスティール・パルスらと共演したようで、やがてこっち方面に傾倒していくきっかけのひとつがここにあっただろうと想像できる。1950年代にロンドンにやってきたカリブ系移民によって持ち込まれたレゲエが、差別を受けていた移民と社会から抑圧されていたパンクスを結びつけたのだ。
ボブ・マーリーの「パンキー・レゲエ・パーティ」にはクラッシュやダムドらパンクバンドの名前を羅列する歌詞があるが、もともとはスリッツのことを歌っているというから驚きである。しかし、いまだに性差別的なジャンルとして有名なレゲエだけに、スリッツもその洗礼を受けたらしい。それでもレゲエを取り入れたのは、よっぽど彼女たちの嗜好や演奏スタイルにしっくりきたのだろう。特にアリは、後にジャマイカに移住しラスタファリに改宗するほどだった。
ともあれ79年にはアイランド・レコードと契約し、制作に口出しされない最高の環境をゲットしたスリッツ。ここでボーヴェルを起用し、名曲「Typical Girls」と傑作アルバム『Cut』が誕生するわけだが、この時点でアリはまだ十代だったというから恐れ入る。
その後、81年リリースの『大地の音』はワールドミュージックを取り入れ、さらなる新境地に突入。表題曲の日本語バージョンでもお馴染みの大作だが、世間一般的には早すぎてあまり評価されなかったようだ。そしてバンドは失意のまま解散し、それぞれ長らく疎遠になっていたところ、突如アリからベースのテッサ・ポリットに連絡があり、ヴィヴは参加しなかったものの2005年に再結成を果たす。
駆け抜けるように生きた48年間
当時のマネージャーは、アリは密かに自分を蝕む病に気づいていたようなフシがあったと振り返っている。死を前にスリッツを再結成させたのは、やはり自身のルーツにけじめをつけておきたかったのだろうか。
アリはラスタファリアンだったため乳がん治療を拒否したそうだが、実はヴィヴも子宮頸がんを患ったことを後に出版した自伝で告白しており、治療によって克服したそうだ。
USツアーを楽しむ晩年のアリの映像は、間もなく亡くなる人間とは思えないほど生き生きとしている。まさに駆け抜けるように生きた48年間を、我々はテッサたちと共に懐かしみ、愛おしみ、そして悲しむことしかできない。
『ザ・スリッツ:ヒア・トゥ・ビー・ハード』は12月15日(土)より新宿シネマカリテにて3週間限定公開、ほか全国順次公開中。