いかれているが、いかしている
決して日本の大きなシネマコンプレックスでは上映されることはないだろうけど、こういう三塁線を抜くようなスカッとする作品に出会うと幸せになれる。サスペンスという仕立てにしているが、細やかな設定が際立っていて、極上の心理ドラマであり、コメディでもあり、スプラッターにもなる。所謂、映画のジャンル分けなど意味がない。
「これまでどんな感情も抱いたことはない」と言い切りながら、そこそこ現実に適応するすべを身につけているアマンダは、それでも素行不良のため、疎遠だった幼馴染の優等生リリーのもとへ通わされることになる。「家庭教師」を頼まれたリリーは自分の優位性を保とうとするが、浅はかな演技はすぐにアマンダに見抜かれる。
冒頭の二人のやり取りから、スコーンと持っていかれる人間が私のようなタイプである。しかし、たまたま一緒に観ていた方々は私と気が合って、テンポが微妙にずれる会話と、そのずれ方の妙に快感を覚えて、何度もコソコソ笑いで仲間意識を共有した。
いかれているのは「感情を持たない」アマンダなのか、「すべてわきまえている」リリーなのか。アマンダは自分と正反対のリリーの中に潜む狂いに共感を寄せ、感情らしきものを表し始め、リリーはこれまで会ったことのないタイプのアマンダに心を許し始める。ゾクゾクするほどその関係性の変化はいかしている。
会話から、行動へ
会話劇といっても過言でない緊張感に満ちた冒頭からの数十分を過ぎると、彼女たちは動き始める。最悪なあいつを殺すためにできることはなんなのか。人ひとりを殺すのも簡単ではない。人生を諦めていてもおかしくないはずなのに言うことだけはでかい、どうしようもないドラッグの売人ティムに殺人依頼を行うが、過剰な期待はできない。この大きな場面転換で物語は“心理劇”を超え、三人の“心理的支配劇”を見ているようで、単純なハラハラにとどまらないのが憎らしい。
人生を語るには若すぎる男女のすでに悟ったような態度とやりとり。この作品が成り立っているのは、三人の役者の芝居に尽きる。こんなにひねくれた脚本を深く理解するのは簡単ではない。表面を繕う演技は難しくないが、その奥に隠しているものも確実にこれだというものがあるわけでなく、ストーリーが進むにつれ微妙に変化していくのだから表情一つで意味が変わってしまう。
若い役者三人の将来に大いに期待したい、とパンフレットを読んだら、ティムを演じたアントン・イェルチンはこの作品を撮ってまもなく事故で亡くなったという。『スタートレック イントゥ・ダークネス』に出演していたそうだが、あまりにも惜しい。
ロシア出身であるにもかかわらず、アメリカの田舎町の冴えないドラッグ・ディーラーを演じ切って亡くなってしまった。彼を見るだけでも価値がある。
「サラブレッド」
「完璧な(Thorough)」「品種(bred)」がサラブレッドである。馬に使われていた言葉だが、人間にも転用されているのはご存知の通り。この作品のタイトルは「Thoroughbreds」。複数形である。つまり、不完全にしか見えない少女二人を指している、あるいはティムも含んで三人か。
完璧な人間など存在しないことの皮肉なのか、誰でも完璧だと伝えたかったのか。タイトルも冴えている。
文:大倉眞一郎
『サラブレッド』
長年疎遠だった幼馴染みの少女アマンダ(オリヴィア・クック)とリリー(アニャ・テイラー=ジョイ)は、コネティカット州の郊外で再会する。鋭いウィットを磨いて強烈な個性を育んだアマンダは、そのせいで社会からのけ者にされていた。一方、上品で洗練された上流階級のティーンエイジャーに成長したリリーは、名門校に通いながら一流企業でのインターンも経験していた。全くの正反対に思えた二人は、リリーが抑圧的な継父を憎んでいると発覚した事がきっかけで心を通わせていくが、友情が深まるにつれて互いの凶暴な性格が顔を出し始める。やがて、自分達の人生を軌道修正する為、二人はドラッグの売人ティム(アントン・イェルチン)を雇い、継父の殺害を依頼するが・・・。
制作年: | 2017 |
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2019年9月27日(金)より公開