目が覚めると喉が渇いている。きっとみんな、目を覚ましたときには喉が渇いているだろう。
先日、飛行機に乗ったら僕の横に一列、小さな兄弟を連れた家族が座った。夫婦の会話を盗み聞きしていると、父親はどうやら僕と同い年のようだった。飛行機は旭川に向かって飛んでいる。同い年なのに、子どもたちを連れて北海道旅行だなんて立派だなあと思いつつ、自分もどこか違う道を歩んでいたら、こんな人生もあったのかなあという、しょうもない想いにふけりながらこんこんと眠った。
みんな生まれも育ちも違うから、一つとして同じ人生はないとは思うけれど、すごく淡白に考えると、基本的に身体の構造自体は大量生産される家電製品のようにほとんど一緒だし、どんなに鈍感でも敏感でも、感受性の幅は人間の構造の範囲を超えることがない。
飛行機で眠って起きると、喉が渇いていた。きっと、みんなもそうだと思う。
見知らぬ誰かを苦しめながら、その痛みに共感しようとする世界の矛盾
世界中の70億人全員、喉が渇くし、お腹が空く。今では地球の裏側の人たちがどんなことをしているのか、見られるようになった。連絡もすぐに取れる。世界は繋がった。人間の認識範囲は地球の裏側にまで拡がり、時間も行き来する。
人間が認識できる範囲が拡がったのと同時に、搾取や闘争の範囲も拡大した。わたしたちが安い服を買うために、遠くの誰かがひどい低賃金で働いている。わたしたちは間接的な殺人を続けて、いわゆる“丁寧な暮らし”を実現している。地球の裏側の住人を苦しめることと、彼らの痛みに共感すること。両方を同時にできてしまうから人間というのは恐ろしいし、面白くもある。
わたしたちの世界では、この“矛盾のバランス”が崩れてしまわないように、映画『アス』でも大きくフィーチャーされた<ハンズ・アクロス・アメリカ>のようなイベントがたびたび開催されている。<ハンズ・アクロス・アメリカ>は1986年に開催されたチャリティイベントで、当時の世の中はUSA for Africaによる「We Are The World」の成功によって空前のチャリティブームに沸いていた。<ハンズ・アクロス・アメリカ>は、みんなで同じ時間に手を繋いでアメリカを横断し、太平洋と大西洋を繋げましょうというピースフルな企画だった。
個々が他人に不干渉な生活を続ける中、突如として立ち上がる<ハンズ・アクロス・アメリカ>のような儀式が救うのは、チャリティの対象ではなく、それを行う側の人々だ。儀式というものは常に不気味で、大げさで、必ず生贄を必要とする。
恐ろしいドッペルゲンガーが幸せな家族に殺意むき出しで襲いかかる!
『アス』はウィルソン一家の休暇中のお話。そこそこ裕福な一家で、夫のゲイブは思いつきで壊れかけのモーターボートを買ってしまったり、ジョークをことごとく娘に無視されていたりと、かなり空気の読めない親父だけれど、なにより家族を愛していて楽しませようと努力している良き男。妻のアデレードも、そんな夫との生活に幸せを感じている様子だ。「ウィード(マリファナ)って何?」なんて聞いちゃう好奇心旺盛な息子ジェイソンに、娘のゾーラも思春期まっさかりだけれど家族旅行にはちゃんとついてくる。
そんな可愛い家族がせっかく豪華な別荘でゆっくりしているというのに、自分たちと瓜二つの“ウィルソン一家の分身”が突然現れ、理由も告げずいきなり彼らを襲い始める。
分身たちの喉は潰れていて、まともに話すこともできない。赤いツナギの囚人服姿で、「テザード(繋がれた/縛られた者)」と呼ばれている。このニセ一家は、これまで生贄にされた人々の象徴として描かれているように見える。生贄のために産み落とされ、育てられた不気味な彼らが、地上に姿を表した理由がはっきりと明かされることはない。だからこそ、彼らの行動原理は不明で理不尽に映る。
爽快な返り討ちアクションの後で突きつけられる衝撃のラストに絶句!
それでも善良なウィルソン一家が反撃に転じ、テザードたちをぶち殺していく様は空前絶後の爽快感! トラウマを抱えたアデレードが、母として子を守るために奮闘し、偉大な兵士として覚醒していく姿には涙を禁じえない。僕は客席で、ウィルソン一家が戦いに勝利するたびに心のなかで「もっとやれ! いまだ、殺せ!!」と叫び、拳を握りしめた。
……しかしラストシーン、それまでの爽快感から一転、わたしたちは安全地帯から押し出される。
監督のジョーダン・ピールは明らかに、地球の裏側の人々を苦しめることと、彼らの痛みに共感することのご都合主義的なバランスを崩してやろうという意志を持って、この映画を作っている。映画の冒頭のシーンで流れる<ハンズ・アクロス・アメリカ>の映像を見ている子どもの眼差しと、ラストシーンで自分の母を見つめる息子ジェイソンの眼差しは、まったく同じ感情を持っているのではないか。そしてジェイソンの眼はまた、わたしたちのことも見つめている。
ことあるごとに日本で大流行する「絆」という言葉に感動を覚える感受性豊かな優しき人には、この映画はおすすめしない。
文:松㟢翔平
『アス』は2019年9月6日(金)より公開
『アス』
アデレードは夫のゲイブ、娘のゾーラ、息子のジェイソンと共に夏休みを過ごす為、幼少期に住んでいた、カリフォルニア州サンタクルーズの家を訪れる。早速、友人達と一緒にビーチへ行くが、不気味な偶然に見舞われた事で、過去の原因不明で未解決なトラウマがフラッシュバックする。やがて、家族の身に恐ろしい事が起こるという妄想を強めていくアデレード。その夜、家の前に自分達とそっくりな“わたしたち”がやってくる・・・。
制作年: | 2019 |
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出演: |
2019年9月6日(金)より公開