はじめて訪れた台湾の湿気った空気や匂いが記憶に蘇る
この映画のなかでは、人間の存在が希薄だ。何人も出てくる様々な顔をした人々よりも、台湾の音や映像が強く印象に残る。劇中に出てくる台北か新北かの高速道路を、高い位置からパンしたショットを見て、僕は自分が初めて台湾に到着したときのことを思い出した。
1年前の夏、深夜2時に桃園空港に着いた僕は、大型の巡回バスで台北駅まで向かった。車窓から見える初めての台湾の景色は真っ暗で、ほとんど何も見えず、自分の地元に流れる圏央道やなにかと大して変わらないじゃないか、と思ったのだった。
それでも顔の周りに漂い続ける湿気きった空気とその匂いが、自分はいま台湾に着いたのだということを意識させた。映画のなかでは、そういう湿気やモノ(たとえば千切られる豚肉や、飯、柔らかそうなタバコ)が、明らかに人間よりも力強く存在していて雄弁だ。
生命力が希薄な人間たち、雄弁に語りかけてくる台湾の音や匂い
豊川悦司演じる島(シマ)は台湾に逃げてきて隠れている日本のヤクザで感情を表に出すことがなく、ほとんど口を開かない。一方、妻夫木聡演じる牧野(マキノ)はお調子者でいつもニヤニヤとふざけている。
一見して対称的な二人だが、共通しているのは両者とも生命力が薄いということだ。生命力とは、つまり意志だ。二人とも強い意志を持っていない。なぜなら彼らは、強い意志を持っていようがいまいが、そんなことは関係なく、誰かの機嫌によって簡単に命を失ってしまうような立場にあるからだ。
しかし、本来、意志と立場は全く無関係な場所にあるはずのものだろう。牧野が鏡の前で自分の顔を見つめるシーンでは、彼はそのことに気付いたように力強い表情を見せる。音も景色も掻き消してしまうような顔だった。だが、彼らに残る微かな生命力も、いつの間にか圧倒的な景色とワイルドな音に回収されてしまう。
物語が進めば進むほど、彼らの輪郭はぼやけて、美しい台湾の景色に飲み込まれていく。ある意味それは楽園の風景なのかもしれないし、地獄の風景なのかもしれない。神様のいない物語では、その二つは全く同一で、彼らはただただ彼岸に溶けていった。
文:松㟢翔平
『パラダイス・ネクスト』は2019年7月27日(土)より新宿武蔵野館ほか全国順次公開