妻夫木聡と豊川悦司の2人を主演に迎え、全編台湾ロケで撮影されたノワール映画『パラダイス・ネクスト』が2019年7月27日(土)から公開される。日本映画界を代表する俳優2人に加え、あの坂本龍一がテーマ曲を担当。なんとも豪華な面々が集った本作を監督したのは、これまでホウ・シャオシェン監督やジャ・ジャンクー監督作品の音楽を手がけてきた半野喜弘だ。
今回は『雨にゆれる女』(2016年)に続いて長編監督2作目となる半野監督に、映画製作に至る妻夫木との意外なやり取りや撮影エピソード、世界の巨匠たちからの影響について聞いた。
12年前、映画会社に拒否された脚本が妻夫木聡の笑顔で蘇った!?
―本作は全編台湾ロケですが、台湾を舞台に脚本を書いた理由を教えてください。
一番最初に映画音楽をやったのがホウ・シャオシェン監督だったので、僕の映画人生の故郷って、やっぱり台湾なんですよね。この作品は12年ほど前に書き始めた脚本で、3年くらいかかって書き上げました。その時は6、7人ぐらいの群像劇で、英語のパートもあって、今の話の3倍ぐらいのボリュームだったんです。それを映画会社に持っていったんですが、その時の僕は短編も撮ったことないし、もちろん長編もない。海外撮影で、このボリュームで3か国語使うということで「できるわけないですよ」と皆さんに断られて。その後、僕も徐々に映画の現場のことがわかってきて。最初の脚本だと製作費が10億円ぐらいかかるなって(笑)。湖一面を土砂降りにすることがどんなに大変かっていうのが分からなかったんですよ。
―12年前に書いた脚本がいま映画化されたのは、どんなきっかけで?
1作目の『雨にゆれる女』が完成する直前ぐらいに、たまたま妻夫木くん(ホウ・シャオシェン監督『黒衣の刺客』出演)と初対面でご飯食べましょうっていう機会があって。ただ単に「同じホウ・シャオシェン組だよね」ってことだったんですけど。「何かやりたいね」って話をしていて、そういえばあのとき書いた脚本の主人公が35、6歳の設定で、聞けば妻夫木くんが当時まさに35、6歳だった。しかも主人公は笑顔がチャーミングで、嘘ばっかり言ってるんだけど何となく笑顔で人を惹き付けて、何となく許されてしまうような男。そこで妻夫木くんを見たらニコッと笑ってて、「あ、いた!」と(笑)。当時の、まだ一番お金がかかる状態の脚本を「ギャグだと思って読んで」って渡したら「ぜひやりたい」って言ってくれて、そこからですかね。なので、この企画は妻夫木くんとの出会いで蘇った、まさに共犯という感覚です。彼には映画の中での演技も含めて本当に助けられました。
―長年温めてきた脚本ということで、やはり思い入れが大きかった?
(この映画は)いろんな意味で抽象度が高いかもしれません。僕が『雨にゆれる女』以降に書いた脚本はもう少し理路整然としてるんです。でも一番自分自身に近い脚本って、やっぱりこれだなっていう想いがあったんですよね。この抽象性みたいなのが、実は一番自分の人間性に近くて。僕が今までに書いた脚本の中では、物語というよりも抽象的な空気とか、色の連鎖で100分を体感するっていう意味で、一番音楽的な脚本なんです。だからこそ成立させるのが難しかった。脚本段階だと「なんだこの話?」って言われるんですよ。映画会社に持っていっても「もっとドラマチックに何か起こらないんですか?」とか「もっと説明ないの?」って言われるんです。
―どうやって映画会社の方を説得されたんですか?
プロデューサーの人たちがやってくれたんで、僕はどんな嘘ついたか分からない(笑)。でも、主役の2人が先に決まっていて有名な俳優さんということに救われた部分はすごくあったと思います。ただ、2人が決まった時点では、まだお金は1円も集まってなかったし、企画書もなかったんです。
―妻夫木さんは笑顔を見て決めたとのことですが、豊川さんを選ばれた理由は?
もともと豊川さんをイメージしてて……。あるとき知り合いのスタッフと2人で飲んでいて、「妻夫木さんの相手役は豊川さんがいいと思って書いたんですよ」っていう話をしたら、「(所属事務所の)社長を知ってるから電話しちゃおう!」って、その場で急に電話してくれて、何とか脚本を送らせてもらえることになったんです。そうしたら「すぐ会いたい」と言ってもらえて。ただその時は企画書もなかったので、仕方なく家にあった白ワインを持って挨拶に行ったら「いまどきプロデューサー決まってません、お金、スタッフ、キャスト決まってません、企画書ありません、それで白ワイン持って“豊川悦司貸してくれ”っていう奴いないよ(笑)」って面白がってもらえて、それで決まったんです。
「緊張感が失われないように、役者さんが“芝居をする前”に撮影を終えたかった」
―豊川さんと妻夫木さんの対象的な演技が印象的でしたが、何かリクエストはされたんですか?
妻夫木くんとは脚本の段階からずっと話してましたし、豊川さんが作ってくれた男がピタッとはまったので、「そういうキャラじゃないんだよ」みたいなことはなかったですね。彼ら2人って、僕よりもはるかに多くの現場を経験してきてるじゃないですか。だから僕よりも上手く演出できる部分、特にアクションシーンは身体を使う人が自分たちで考えた方が、やりやすかったり良かったりすることってあると思うんですよ。だから妻夫木くんを豊川さんが蹴るシーンでは、僕が何を表現したいのかを説明して、あとは2人に動きを考えてもらいました。
―だから過剰にならず、自然に感じたんですね。
この映画では特にナチュラリズムを残したくて、“芝居になる前の瞬間を撮る”ことがすごく大事なんじゃないかって、妻夫木くんとも話していたんです。ストーリー重視の映画ではないから、その場の緊張感やフレッシュさが失われると、見ていられない映画になってしまう。だからこそ、その瞬間に本人が感じていることが“繰り返しになる前”、なるべく役者さんが“芝居をする前”に撮影を終えたかったんです。
クライマックスで牧野(妻夫木)が島(豊川)に車中であることを告白するシーンもセリフは決まっていなくて、脚本には「役者と相談」とだけ書いてあって、それまでの撮影を経てから決めようって。もちろん軸は決まってるんですけど、言い方も含めて、牧野はどんな言葉で切り出すんだろう? どの程度説明するんだろう? いや、もう説明もしないんじゃないか? とか、撮影の前日にホテルの部屋で妻夫木くんと相談して決めて。その内容はカメラマンにもスタッフにも、豊川さんにも知らせませんでした。当然、豊川さんは「じゃあ僕がどうリアクションするか分からないよ。フレームから外れるかもしれないし、何もしないかもしれないし、車を降りるかもしれない」っておっしゃって。外れたら外れただし、何も起こらなかったらそこまでの映画だし、何かが起こるかもしれない。分からないから「いいです。好きにやってください」って伝えました。
更にそうなると、カメラマンは75㎜で撮ろうとしていたんですが、「緊迫感が高まるから100㎜レンズにしたい」と伝えました。ピントマンからは「絶対にピントが合わない」って反対されたんですが、「それでもやろう!」と決めて。そうしたら奇跡的に、いろんなことがすごく上手くいったんです。
―それが決断できるということは、監督はスタッフの皆さんに相当信頼されていたんですね。
逆に、僕がキャストやスタッフを信頼していたんだと思います。「無理だ」って言う人もいましたよ。でも僕は、無理だと思ってない。「うちのスタッフと、うちの俳優ならできます。1回でも誰も失敗しません」って。あれをやらないとこの映画はもはや存在できなかったような気がしたんですよね。
「音を抜いていくことによって“空白から感じ取れる何か”を重視した」
―半野監督の作品は“音”がとても印象的で、台湾の雰囲気や湿度、屋台のにおいなどが伝わってくるようでした。
ちょっと現実よりはフィクション感を強くしたいと思って。遠近感などを無視して、リアルさよりも、その音が今ここで鳴ることで観る人に「おっ!」って思わせることを作為的に作っていくようにしましたね。特に台北の街のシーンに関しては、いかに雑多な感じを表現するかは音にかかってるという意識はありました。
―劇中の音楽も、民族音楽から急にラテン音楽になったり、バラエティに富んでいます。
今回、音楽に関しては、いわゆる“映画音楽の正解”から外れた使い方をしようと思ったんですね。映画の一部に音楽が鳴るということではなくて、その瞬間は音楽が最前線に飛び出してくる、くらいの扱いで音楽を使おうと。それは僕たちみたいな映画音楽作家からすると「だめだ、失敗だ!」って言われることなんですけど、それでしか生まれない効果もあるので、一度チャレンジしてもいいかなと思ってやってみたんです。実は、坂本(龍一)さんのテーマ曲以外はほとんど歌詞がついてるんですよ。
台湾の民謡は昔の原住民の曲で、台湾の人も意味はわからないそうです。次にかかったのはキューバの昔の民謡で、中盤では中国・上海の戦後ぐらいのスターの古い曲が流れます。そしてバイクを走らせるところでは英語の曲が流れたりと、言語もバラバラ。歌詞の意味が分からない、国が違う、言語も違う、でも常に言葉のある音楽が、いわゆるアート映画的ではない入り方で流れて、うっすらと映画を支えるのではなく、ぐいぐい主張してくる。そんなことをやってみるのも面白いんじゃないかと思ったんですね。それとは裏腹に、1曲だけ圧倒的に映画的な曲も欲しかったので、「これこそ映画音楽です」みたいな楽曲を坂本さんに書いてもらったんです。
―もともと音楽家ですが、音楽と映画では制作方法に共通点はありますか?
あると思います。ただ“視点”が違うと思うんです。「ちゃんとストーリーを語れ」と叱られることもありますが、ちゃんと語っている映画はたくさんあるので、中にはこういう風にやんちゃな個性的な子がいてもいいじゃないですか、っていう想いはありますね。だからこそ見える瞬間があるとも思っていて。他と違うところが、この映画の個性というかシグネチャになればいいなと思っています。
音楽もそうなんですよ。たくさん音を入れていくと、全ての整合性がきっちり合っていくんです。でも、それで聞こえなくなったものもたくさんある。音を抜いていくと、聞こえなかった音が聞こえるんです。いろんな意味で“整合性の取れた流れの美しさ”はなくなったけど、聞こえなかったものが断片的に聞こえるという現象が起きる。これは映画にしても同じだと思っていて、ちゃんと語ることもベストだけど、今回に関しては、整合性の中で納得してもらうよりも、情報がない“空白から感じ取れる何か”を感じてもらえたらうれしいなっていう方向に舵を切ったんです。
「自分らしくあることが重要で、それでも作品を好きになってくれたら本当にうれしい」
―ホウ・シャオシェン監督、ジャ・ジャンクー監督といった巨匠と多くお仕事をされてきて、学んだことは?
ジャ・ジャンクー監督から学んだことは「人間、図太く生きろ」(笑)。
ホウ監督は僕にとって最も尊敬する人なので、簡単には語れないのですが、ホウ監督が撮影前日にホテルに来てくださって、「自分らしくやれ」と言ってくださったのは本当に嬉しかったです。脚本にサインをしていただいて、撮影のお守りにしました。
―最後の質問です。“楽園(パラダイス)”はあると思いますか?
ないですよ、そんなの(笑)。本質的なものの価値なんて、後から気づくんじゃないかなって気がする。だから牧野や島はずっと楽園の周辺をうろうろしていて、あの時のあの一瞬が楽園だったと後から気づく。安住した楽園って、ないんじゃないかな。
『パラダイス・ネクスト』は2019年7月27日(土)より新宿武蔵野館ほか全国順次ロードショー
『パラダイス・ネクスト』
世間から身を隠すように台北で生きる男・島の前に、突然お調子者で馴れ馴れしい男・牧野が現れる。牧野は初めて会う島を知っており、島が台湾に来るきっかけになった“ある事件”を知っていると言う。
牧野が何者かに命を狙われていることを知った島は、追手から逃れるため牧野を連れて台北から花蓮へ向かう。辿り着いた二人の前に、シャオエンという女性が現れ、この運命の出会いによって、牧野と島の閉ざされた過去が明らかになり、二人の逃避行は楽園を探す旅に変わっていく…。
制作年: | 2019 |
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監督: | |
脚本: | |
音楽: | |
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