「悲しみ」「喪失」が再定義する「ゾンビ」という存在
本作は“ゾンビ映画”の定義をひっくり返す人間劇ながら、ジャンル映画的な入観も否定しない。すでに“ゾンビ”が現代人のDNAに刷り込まれているからこそ、その存在と引き離せない人々の痛みや悲しみ、後悔といった“念”の陰影がいっそう浮かび上がってくる。
35mmフィルムで撮影された映像は美しいがうっすらと紗がかかっているようにも見え、すべて妄想、夢想なのではないかという感覚もつきまとう。群像劇ながら極端なセリフの少なさで観客に想像する余地を残している部分が多く、しかし登場人物たちの深い悲しみはストレートに突き刺さる。
本作はマーラーとアナの父娘とその息子のほかにも老齢の同性カップルと、妻/母を失った若い家族も登場する。それぞれ境遇は異なるものの大切な存在の喪失を悲しみ、なんとか受け入れようと葛藤している。とはいえ相手は死体なので、かれらのとる行動、そこに踏み込もうとする行為には少なからずグロテスクさもともなう。
にじみ出る“ロメロ的”ゾンビ映画のバイブス
いまや私たちは「アンデッド(生ける屍)」をエンタメの素材として消費しまくっているが、映画におけるアンデッド=ゾンビの始祖であるジョージ・A・ロメロは、自身の作品に常に明確なメッセージを乗せていた。本作は攻めたアート映画のように見える瞬間もありつつ、そのシンプルな構造からはロメロ作品のバイブスも滲み出る。
もし大切な人、近しい人を失った経験があれば……という言い方はするべきでないだろうし、当然ながら観る者によって共感ポイントは異なり、悲しみを感じるか、恐怖を覚えるかも人それぞれだろう。ともあれ、物語終盤に唐突に突きつけられる<衝撃>からの<死の許容>を、ぜひ前情報ナシで劇場で体験してほしい。
『アンデッド/愛しき者の不在』は2025年1月17日(金)よりヒューマントラストシネマ渋谷、新宿ピカデリーほか全国公開