「毎日〈死〉と向き合うから、“今日を楽しまなければ”と思う」
パリのとある大病院。当直の看護師たちの会話。
「集中治療室で働くと、毎日死と向き合うから“今日を楽しまなければ”と思うの」
ある手術室では、内視鏡の映像が脳を内部から治療する様子をモニターに映し出している。別の部屋では、あまりの忙しさに医師が愚痴をこぼす。
「毎週100人の患者を診て20人手術している……異常だ」
病院の大動脈のような廊下を徘徊するのは、個室を抜け出した認知症患者とそれを追う医師たち。静かな時を刻んでいた地下の遺体安置所にも、次々と新たな遺体が運ばれてくる。
長い1日はまだ始まったばかりだった――。
命を救う病院の、秩序なき日常
なんだか永遠に続きそうな、医療従事者のつぶやきから始まる本作。文字通り“頭の中”をいじられている初老の男性は、ときおり激痛に顔を歪めつつ医師と談笑している。スクリーンに大映しになった脈打つ「何か」、そこに注入される「何か」。説明されなければ、私たちはそれが何なのかさえわからない。被膜の外から伝わってくるような医師たちのやり取りは、まどろみの中で響く声のように聴こえる。
精密機器のように複雑怪奇な人体は、H・R・ギーガーやデヴィッド・クローネンバーグが描く世界まんま。小型カメラの映像は人体の不思議を無言で突きつけ、医師たちの愚痴やジョークは歪んだ社会構造を暴き、モルグに並ぶ遺体はあっけない最期を想像させる。たびたび挿入される認知症らしき老患者の徘徊シーンや、いまや懐かしの気送管(エアシューター)は、迷路のように入り組んだ院内を体内に見立てているのだろうか。
男性器に何らかの機器をぶち込んでいるシーンにかぶさるブラックジョークには顔をしかめて苦笑するしかないが、正直「ぶっといカテーテル抜きながら口論しないで……」と思わずにいられない。まるで医師や看護師の激務に対する不満が男性器にぶつけられているかのような、ちょっと意地悪でシュールなシーンだ。ぐったりうなだれるち◯こ、おつかれさまである。
「De Humani Corporis Fabrica」は、16世紀の医師アンドレアス・ヴェサリウスが1543年に著した人体解剖書の題。医療とは、長きにわたる努力と挑戦の上に成り立つ知識と技術の蓄積だ。しかし、それによって救われるはずの命が今この瞬間も、極限まで肥大した傲慢な欲望(大量破壊兵器)によって奪われ続けているという、正反対の現実との隔たりにクラクラしてしまう。そしてエンディングに流れる某バンドの鬱な名曲の歌詞が、また意味深に響くのだった……。
『人体の構造について』は2024年11月22日(金)よりヒューマントラストシネマ渋谷&有楽町ほか全国ロードショー