「“次の金儲け”のために金を稼ぐ、それで豊かになっていくという幻想が資本主義」
――また、古川琴音さんが演じる秋子を見ていて、そもそもなぜ必要ないものを買ってしまうのか? ということも考えさせられました。買い物をすることイコール休日の過ごし方みたいに誘導され、公共の公園でもコーヒーを買わないと椅子に座れないようなことになってきて、とにかく消費させようとする社会になってしまっていると感じます。映画の中に、そういうことへの批判があるのかなと思ったのですが。
それを批判しようとは思ってはいないんですが、おっしゃることはよくわかります。お金を使わせようとして、それが「いいことだ」と、「使うからこそ回って、また自分に戻ってくるんだ」という説明をよく受けるんですが、いやあ、僕は……苦手ですね。もうちょっと言うと、この転売っていうのが典型的な例ですが、利益を上げること、利益そのものが目標になっている。まあ、それが資本主義のベースなんですが、どうも苦手ですね。「苦手」って、変な言い方ですけど(笑)。
ある目標があって、何かをするためにお金を貯める、ということはあると思うんです。ただ、多くの会社や個人がお金を貯めて何をするかっていうと、次の金儲け。それって本当、資本主義ですよね。吉井もまさにそれをやっていて、「転売して儲けた金で何すんの?」って言ったら、次の転売をするわけです。それを無限にどこまでも繰り返して、それでどんどんみんな豊かになっていくという幻想が資本主義を支えているのだと思うんですが、それをどこかでやめたいなあと……。お金をもらったら、それを自分の何かささやかな欲望に使うのは全然いいと思うんですが、もらったお金で次の金儲けを考えるっていうのは、本当に抜けられない循環に陥ってしまう気がしますね。すみません、ちょっと脱線しました。
――いえ、すごく面白いと思います。その吉井という役を菅田将暉さんに説明するために『太陽がいっぱい』(1960年/ルネ・クレマン監督)をお勧めになられたとのことですが。
そうです。
――『太陽がいっぱい』の主人公のトム・リプリー(演:アラン・ドロン)自身がもともと、何も持っていなくて生き延びるために犯罪をしてしまうのに、ヴィム・ヴェンダース監督の『アメリカの友人』(1977年)では殺人も厭わない贋作ブローカーになってしまっている人ですね。
僕は(両作の著者であるパトリシア・)ハイスミスの原作は読んでいないので、『太陽がいっぱい』は菅田さんが「何か参考になるものがあれば」というので、ふと思いついたのですが、1960年代初頭の時代背景、いわゆる貧困とか差別などが公然と社会に、目に見えていた時代。その中で、貧しい主人公が何とか生きていこうとして、当然のようにある種の犯罪に手を染めて、それでも一生懸命、真面目に犯罪をするというのが、菅田さんにはすごく新鮮だったようです。「こんな主人公がいたんだ」と。
貧困や差別は全然なくなっていないんですが、現代では目に見えなくなったので、物語のテーマになりづらくなっています。だからその中で犯罪者を出そうとすると、遊び半分になる。あとは一つのファッションのように、ギャングとか不良とかですね。昔はギャングとか不良は、やっぱり貧困や差別の一つの表れだったと思うんですが、いまはある種のファッションですよね。ある種の衣装を着て、ある種の髪型をして、ある種の口調で喋る人たち。
それが集団として悪いことをするというようなことは、ファンタジーの世界ではあり得るんですが、たったひとりでコツコツと犯罪をする人間がいるというのは、菅田さんにはすごく新鮮だったようです。いまは確かに、そういう犯罪者ってフィクションの世界ではほとんどいなくなってしまいましたよね。吉井は犯罪者ではありませんが、ぎりぎりのところにいる人物として『太陽がいっぱい』は役作りのヒントになったようです。
「たまたまそこに相手がいて、ここに包丁があった。それって結構、真実だなという気がします」
――先ほど監督は「社会が狂っている」とおっしゃいましたが、『Cloud クラウド』の登場人物は誰もが少しずつ狂っているように見えます。主人公の吉井はもちろん手段を選ばず儲けようとしていて金には狂っていますが、窪田正孝さん演じる先輩の村岡も我が強すぎてマウントを取ることに強いこだわりがあり、社長の滝本は会社や日常生活への不満を静かに鬱積させていて、吉井の恋人である秋子も買い物中毒で広いキッチンを物で埋めないと気が済まない。登場した時点で「押し入れにいっぱい物がある」と言っています。まるでショーケースのようにいろんな狂気を見せることは、何か狙ってなさっていたんでしょうか。
いえいえ、そんなに狂気を狙って出そうとは思っていないんですが、ただ最終的にはご覧になったように、ある種の戦闘状態といいますか、殺すか殺されるかという、日常ではありえない特殊なドラマに持っていこうとしました。そこに至る過程として、誰の心の中にも少しはある何かがどんどん拡大していくなかで、もう引き返せないほど拡大したものが狂気に見えるんだと思うんです。そういったものが拡大されると、対立して激突して、もう引き返せない状態になってしまう、という構造で物語を作っていきました。
――引き返せないほど拡大したものとおっしゃいましたが、やっぱり多くの人はそこで引き返そうと、自分でバランスを取って戻ってくるのではないかと思うんですが。
それはそうですね、ある一線は超えないでおこうと。だから世の中はなんとかギリギリ、一見平穏なまま過ぎていっていると思うんですが、ただ一部に踏み外す人っていうのはいますよね。きっかけは本当にどうということはない、些細なこととしか思えないことで、ある一線を越えてしまう人っていうのはどうもいるみたいで、自分は絶対に踏み外さないという確証はどこにもない気がします。
――踏み外す人と踏み外さない人の違いはあると思いますか。
僕はじつは、違いはないと思っていて……何が違うのかって、本当にささやかな偶然とか。例えばですよ、殺人事件などを調べてみると――専門家ではないので詳しくまで調べてはいないですが――なんで人を殺してしまったかというと、「目の前に包丁があったから」。つまり包丁さえなければ殺さなかった。ちょっとした“何か”が心の中にあったんです。その何かは誰にもあるんですが、一線は超えない。
たまたまそこに相手がいて、ここに包丁があった。それって結構、真実だなという気がします。たまたま魔が差した、たまたま拳銃があったから撃ってしまう人って、出てくるんじゃないだろうか。もちろん全員がそうではないですが、いくつかの偶然が重なって、ある一線を越えてしまうというのが一番、正解なんじゃないかという気がします。
――最後にキャスティングについて伺いたいんですが、まったく自覚がないけれども悪意を伝えてしまう主人公、悪意の伝播者のような吉井役に菅田さんを起用されたのは?
もちろんテレビでも映画でも拝見しておりまして、本当に人気のあるトップスターなんですが、役によってものすごく朴訥としていい人をやる場合もあるし、本当に悪辣な役もやりますし、ちょっとした脇役でも、主人公もやる。なんでもやれる方だなと。とはいえ実際はどういう方なんだろうと興味がありました。
吉井は決してわかりやすい善人ではないけれども、もちろん悪人でもないという、彼がどっちに転ぶか最後までよくわからない役柄でしたので、菅田さんのような方が演じてくれたら、見ているお客さんも「この人どっちに行くんだろう? 止める方に行くのか突っ走る方か、どっちだろう?」と、最後までわからない。そういう方がぴったりなのではないかと思って声をかけさせていただきました。正直、これほどの人気のあるトップスターがこの役をやってくれる可能性は少ないなと思っていたんですが、幸いやっていただけて本当にラッキーでした。
――そのへんの床屋さんで切ったような髪型で、ザクっと出てくる感じがすごく新鮮でした。
前髪を上げたい、額を見せたいと。髭も含め服装もそうですが、基本的に“構って”いない。転売屋ですから、人と会って仕事をするわけでもないので。でも顔は見せたかった。
最近、とくに若手の男優が前髪を下ろす傾向があるんです。アニメや漫画の影響もあるだろうと思うんですが、どうしても個性が消されてしまいますよね。そうじゃなくて、前髪を上げて眉のところを見せたのはこだわりで、ああいう感じになりました。
取材・文:遠藤京子
『Cloud クラウド』は2024年9月27日(金)より全国公開中
『Cloud クラウド』
世間から忌み嫌われる“転売ヤー”として真面目に働く主人公・吉井。彼が知らず知らずのうちにバラまいた憎悪の粒はネット社会の闇を吸って成長し、どす黒い“集団狂気”へとエスカレートしてゆく。誹謗中傷、フェイクニュース――悪意のスパイラルによって拡がった憎悪は、実体をもった不特定多数の集団へと姿を変え、暴走をはじめる。やがて彼らがはじめた“狩りゲーム”の標的となった吉井の「日常」は、急速に破壊されていく……。
監督・脚本:黒沢清
出演:菅田将暉 古川琴音 奥平大兼
岡山天音 荒川良々 窪田正孝
制作年: | 2024 |
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2024年9月27日(金)全国公開中