人工知能の発展と愛の普遍性
AI(Artificial Intelligence)=「人工知能」という言葉自体は、じつは1950年代から存在する。主にボードゲームを実行できる程度の簡単なプログラム開発から始まり、80年代にはコンピューターの登場によってさらに本格的な開発が始まったが、AIが「自ら思考し、知識を蓄える」までには至らなかった。
映画『A.I.』が公開されたのはインターネット以降、つまり現在に連なる第3次AIブームの初期である。そこからわずか数年でディープラーニング技術などが発展し、最近ではChatGPTなどに代表される「生成AI」の登場によって“ヒトの仕事が奪われる”なんて嘯かれるようになった。医療分野などAI技術への期待と同時に危機感を抱いている人も少なくないと思うが、有り体に言えば“活かすも殺すも人次第”でしかないのも事実だ。
本作で描かれる人工知能=主人公デイビッドは、ひたすらに<愛>を求めて彷徨う。そして物語の中盤過ぎ、旧式ロボットの処刑ショーを楽しんでいた人間たちが、命乞いをするデイビッドの人間味に同情する。これは今、AI全盛の現実世界で起こっている「人間にしか出来ないこと」への希求とつながっているようにも感じられる。
ご存知『ド◯えもん』が完全お茶の間仕様であるように、米アニメ『フューチュラマ』のベンダーが哀しみを抱えたクズ野郎であるように、私たちは常に“人工物”にも人間くささを求めてきた。数千年にわたって人間になることを求め続けるデイビッドは“AIの暴走”という目線で見ると恐ろしさもあるかもしれないが、あまりにも悲しく壮大な本作の結末は、あくまで“今やるべきこと”を投げかけてくる。
オスメントくんの隠れた貢献とは? 革命的な作品だけにトリビアも満載
撮影時とても可愛らしかったハーレイ・ジョエル・オスメントは「あまりにも変わってしまった子役」と揶揄されることがあるが、本作のアンドロイドたちが基本的に「まばたきをしない」という設定は、まだ幼かった彼の提案をスピルバーグが採用したものだという。大きなプレッシャーに潰されてしまう子役出身俳優が多い中、ハリウッド屈指の個性派俳優として活躍できているのも元来の才能と弛まぬ努力によるものだろう。
そしてアラフォー世代の音楽ファンならば、米インダストリアルバンドの雄、ミニストリーが本作のために作曲した「What About Us」を演奏するライブシーンを思い出すはず。映画公開時はちょっと微妙なシーンに見えたが、キューブリック自身がミニストリーの大ファンで出演を打診した(最初はイタズラだと思われて電話を切られた)というエピソードを知った今となっては、まさに宝物のようなシーンである(メンバーは当時インタビューで秘密厳守の撮影現場について「異常だ」と文句を言っていたが)。
June 29, 2001: A.I. Artificial Intelligence. Spielberg/Kubrick film. “What About Us?” appears. CD VHS of track. Also on Greatest Fits. #MinistryBand #WeAreMinistry #AlJourgensen #PaulBarker #MaxBrody #AdamGrossman #DuaneBuford #TyCoon #MinistryMondayhttps://t.co/Ik7zPDQNMY
— Ministry (@WeAreMinistry) June 29, 2020
ちなみに名優ロビン・ウィリアムズが終盤のあるシーンで声のみで出演しているが、彼が主演した1999年のアンドロイド映画『アンドリューNDR114』とはとくに関連はなく、スピルバーグへのバトンタッチ以前、まだキューブリックの生前に録音された音声が使用されているそうだ。
『A.I.』はCS映画専門チャンネル ムービープラスで2024年9月放送