リヴァー・フェニックス その早すぎる死から31年
リヴァー・フェニックスほど神格化された俳優は他にいないだろう。1993年に23歳で亡くなった彼の存在は、その早すぎる死から20年以上が経ってなお映画史に燦然と輝いている。言わずもがな、リヴァーはあのホアキン・フェニックスの実兄であり、レイン、リバティ、サマーら妹たちもエンタメ~ファッション業界で活躍中だ。
かつて入信していたカルト教団から脱した両親の影響もあり、生涯にわたって菜食主義を貫いていたリヴァー。健康的な食生活や環境保護にも熱心だったが、同時に彼はヘビースモーカーでもあり、死因は麻薬の中毒症状によるものとされている。その自己矛盾に彼の苦悩が現れているとも言えるが、いまだ死因への疑問が議論される所以でもあるだろう。
真面目で健康的だった若き俳優は、なぜ23歳で命を落としたのか
リヴァーの死の翌日に地元新聞は、当日の様子を詳細に報じている。新聞によると、日曜の早朝にウエスト・ハリウッドのナイトクラブ(ジョニー・デップが所有権の一部を保有していたザ・ヴァイパー・ルーム)から出てきたリヴァーは、路上に倒れ昏倒、発作を起こす。
しかし、繁華街という場所柄か彼を介抱しようとする者はなかなか現れず、やっとのことでホアキンが公衆電話を探して911に連絡。救急隊員が彼を担架に乗せたとき、クラブから出てきた友人のフリー(レッド・ホット・チリ・ペッパーズのベーシスト)が「自分も一緒に行く」と言い、付き添ったそうだ。
緊急通報をしたホアキンは、救急隊員いわく「かなり取り乱した様子」だったという。リヴァーは搬送時すでに心停止状態で、脈拍も血圧もゼロの状態で病院に到着。その際に薬物検査が行われたようだが、詳細はすぐには公表されなかった。
On October 31, 1993, River Phoenix died at the age of 23 pic.twitter.com/cMY8fh3S7t
— RetroNewsNow (@RetroNewsNow) November 1, 2023
とくに日本では『スタンド・バイ・ミー』(1986年)のイメージが強かったためか、やんちゃな若手俳優というイメージを抱いている人も少なくないだろう。しかし同世代に多かった不良イメージをウリにする俳優たちよりもはるかに健康的な生活態度で、仕事にも真面目に取り組み、肉類もジャンクなものも一切摂取しない完全な菜食主義で、革製品を身につけることもなかったという。
繁華街のナイトライフに詳しいカメラマンいわく、クラブ巡りをするリヴァーに出くわしたことはなかったというから、純粋に友人が出演するライブイベントに顔を出したのだろう。代表作の一つ『マイ・プライベート・アイダホ』(1991年)で共演した親友のキアヌ・リーブスとは、そういった生真面目な部分でも共鳴していたのかもしれない。いずれにせよ、なぜ彼がハロウィーンのよるに麻薬を摂取したのかは謎のままだ。
『マイ・プライベート・アイダホ』
ポートランドの街角に立ち、中年男に体を売って日銭を稼ぐマイクには、緊張すると突然、眠りに陥るという奇病があった。彼の親友スコットはポートランド市長の息子だが、家を飛び出して男娼をしている。自分を捨てた母親を捜す決意をしたマイクは、スコットを誘って故郷アイダホに向かい……。
監督:ガス・ヴァン・サント
出演:リヴァー・フェニックス キアヌ・リーヴス ジェームズ・ルッソ
制作年: | 1991 |
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CS映画専門チャンネル ムービープラスで2024年9月放送