「“リベンジもの”の中では、暴力も正当化される」
――ファンにとっては有名なエピソードだが、かつて呂布カルマはプロの漫画家を目指していた。「赤裸々な暴力性/バイオレンス」や「対決」の構図、そして「現実とは異なる世界観」を描きたかったそうだが、これらの要素は『モンキーマン』にも当てはまる。
僕は不良でもなかったんですけど、若いときの“加害欲求”ってあるじゃないですか、暴力的なモヤモヤとした欲求。それは誰しもあって、だから喧嘩したりもすると思うんですけど、僕はそれを“描く”っていう方向に持っていって。でも、いま思えば漫画家になりたいというより、ただ暴力を描きたかっただけなんだなって。ストーリーとかはどうでもよくて、とにかく戦っているところを描きたい、っていう。
『モンキーマン』も、もっと若い頃に観たらめちゃくちゃ影響を受けてたかもしれない。だからパテルがアクション映画を選んだ理由も分かる気がします。しかもリベンジものって、暴力が正当化されるじゃないですか。だからいいんですよね(笑)。でも、中には「そこまでされなくても……」っていう、巻添えで死んでる奴もいるよなと思いながら観てました。そういえばキッドに協力させられるあいつ(※ピトバッシュ演じるチンピラ、アルフォンソ)って最後、どうなりましたっけ? あいつクズっぽかったから別にいいですけど(笑)。 セコい感じがブリブリに出てて、でもいい奴でしたね。
地下格闘技場の試合とかも、民衆の愚かさ具合が出てて良かったです。最初はみんな(モンキーマンに対して)「負けろ!」みたいな感じだったのに、誰かが応援し始めたらすぐに手のひらを返す感じとか、「お前らに意志はないんか」っていう(笑)。でもリアルではありますよね。
映画全体の世界観(架空の都市ヤタナなど)に関しては、アメリカなんかと比べたらインドのことはあまり知られていないだろうから、みんな「まあこういうものか」と思うんじゃないかな(笑)。それこそゴッサムシティ(※「バットマン」の舞台)なんかよりも、意外とフィクションとして捉えないかもしれない。
「バイオレンス映画にはスッキリするタイプと、痛みが残るタイプがある」
――本作は「リベンジ」が大きなテーマとなっているが、呂布カルマ個人として「いつかリベンジしたい」と思っている相手はいるのだろうか……?
直接的な意味での“復讐願望”はないですけど、自分が活躍している姿を見せることで「どうだ、これだけ差がついたぞ」っていうのはありますね。それはリベンジというより、もっとポジティブなものかもしれない。恨みっていうほどでもないけど、そういう相手に時間や気持ちを割くのは無駄だなって。
でも『モンキーマン』のキッドは、そこに取り憑かれてるじゃないですか。「お前の人生を生きてくれよ!」って思いながら観てましたね(笑)。母親も本当にそれを望んでいるのか? って。だから最後は少し寂しい気持ちにもなりました。
恨みを持つ相手に復讐するっていうのは誰にでもありえることだと思うので、一定の気持ち良さみたいなものはあると思います。もっと普遍的なものというか。バイオレンス映画にはスッキリするタイプの映画と、痛みが残るタイプの映画があると思うんですけど、『モンキーマン』は後者。スッキリしたい人は「S」だけど、この映画は「M」の人向けかなと。
本来、暴力って後味の悪いものだと思うので、その暴力性がもたらす描写もリアルだと感じました。そんなの好む奴いるんか? って気もするけど(笑)、でも、いると思うんですよ。だから『モンキーマン』は、スカッとする映画ではない。観たあとにモヤッと残るんだけど、でも難しくはない、みたいな(笑)。
撮影:町田千秋
『モンキーマン』は2024年8月23日(金)より大ヒット公開中
『モンキーマン』
たった一つの小さな残り火が、すべてを燃やし尽くす。
幼い頃に母を殺され、人生の全てを奪われた〈キッド〉は、夜な夜な開催される闇のファイトクラブで猿のマスクを被り、〈モンキーマン〉を名乗る“殴られ屋”として生計を立てていた。
どん底で苦しみながら生きてきた彼だったが、自分から全てを奪ったヤツらのアジトに潜入する方法を偶然にも見つける――。
何年も押し殺してきた怒りを爆発させたキッドの目的はただ一つ「ヤツらを殺す」。
【復讐の化神〈モンキーマン〉】となった彼の、人生をかけた壮絶なる復讐劇が幕を開ける!
監督・脚本・主演:デヴ・パテル
プロデューサー:ジョーダン・ピール(『ゲット・アウト』『NOPE/ノープ』)、バジル・イワニク(『ジョン・ウィック』シリーズ)、エリカ・リー(『ジョン・ウィック』シリーズ)
制作年: | 2024 |
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2024年8月23日(金)より大ヒット公開中